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第14話『第三地区』

 震災の翌朝、曇天の空の下にサイレンの音が遠くから響いていた。冷え込む朝の空気の中、駐在所の前に警察のパトカーが二台停車した。SUMIKA本署からの応援部隊が次々と降車してくる。その中の一人を見た瞬間、圭吾の呼吸が浅くなるのを自覚した。


 ――また顔を合わせることになるとは、最悪の再会だ。


 かつて交通事故の現場で初めて顔を合わせた際、ろくに状況も聞かずに圭吾を怒鳴りつけ、強烈なトラウマを植え付けた警部補の姿がそこにあった。以来、その一件が圭吾の心を病む要因の一つとなり、彼の中で消えない傷となって残っていた。


 「よぉ、村瀬。温泉で骨休めはできたか?」


 皮肉交じりの笑みを浮かべながら歩み寄ってきたその男に、圭吾は瞬間的に顔を強張らせるも、訓練された反射で敬礼を返した。


 「お疲れ様です、警部補。昨夜の地震、大きかったですね。応援の方々には感謝しています」


 「こっちは昨夜から詰めっぱなしでな。帰ってくるタイミングだけは見事だな。今ちょうど人手が足りなくて困ってたところだ。巡回車が一台空いてるから、ひとっ走り頼むぞ」


 「……了解しました」


 心の奥底に浮かぶ反発心を抑え、淡々とした口調で返す。圭吾の背後から、爽やかな声がかかった。


 「自分、原田です!本署から来ました!今日一日、よろしくお願いします!」


 その元気な声に、圭吾の張りつめた心が少し緩む。


 「村瀬圭吾だ。よろしくな、原田君。……じゃあ、行こうか」


 パトロールカーに乗り込んだ二人は、市街地へと向かってハンドルを切った。街路樹の葉がかすかに揺れ、交差点には避難所の案内ポスターが貼られている。車窓の外では住民たちが不安げな表情で移動しており、時おり見える倒れた自転車や買い出し用のリュックが、昨夜の地震の爪痕を静かに語っていた。


 原田がスマートフォンの画面を見ながら口を開いた。


 「ネットじゃ色々出てますけど、他の地域の山間部とかの被災地は避難所もまだ設営中みたいですね。案内も一部しか出てないようで」


 「そうか……まだ初動の段階だな。この街はまだマシな方かも知れないが、設備が整った都市でも、こういう時は一気に情報も現場も混乱する」


 「意外ですよね。スマートシティって言うから、もっと全部システマチックに処理されてると思ってました」


 「システムがあっても、動かすのは人間さ。実際の現場を見ないとわからないことは多い」


 「ですね……にしても、あの警部補……震災の翌日に戻ってきた人間にあの態度はちょっと……」


 原田が苦笑しながらつぶやくと、圭吾は小さくため息を漏らし、ハンドルを握る手に力を込めた。


 「そう思うだろ? 俺は、あの事故の一件でずっと引きずってるんだ。あの人の言葉、今でも時々夢に見る。……SUMIKAの駐在になって、ようやく平穏が戻ったと思ってたのにな」


 冗談交じりに語ったその言葉に、原田は思わず視線を向けたが、何も言わずにうなずいた。


 二人はパトロールの途中、倒れた自転車を元に戻したり、高齢女性に「困っている事はないですか?」と声をかけたりと、地味ながらも確実な支援を続けていった。


 「今のところ、大きな混乱は見当たりませんね」


 「今はな……でも問題は、これからのほうだ」


 圭吾の目は、曇天の空の下に広がる街を鋭く見つめる。見た目には整然としたSUMIKA市街だったが、その静けさの中に、何か目に見えない“ひずみ”がじわじわと広がっている――そんな直感が、圭吾の胸の奥でざらついた不安となってうずまいていた。


 「……でも、こういう時こそ俺たちの出番ですよね。人の役に立ってるって感じ、嫌いじゃないです」


 原田の言葉に、圭吾は小さく頷きながら、少しだけ笑った。


 「……そうだな。俺も久々に、仕事してる実感があるよ」


 非常時の中に浮かぶ小さな日常。わずかでも人の助けになれるという実感が、崩れかけた心の輪郭をもう一度なぞってくれているようだった。


 パトロールカーがゆるやかに大通りを進んでいた。曇天の空からは時折、冷たい風が吹き抜け、昨日の地震がもたらした不穏な空気を街全体に滲ませている。建物の隙間には警備用のバリケードが立てられ、電柱には傾きやひびが目立っていた。


 「村瀬さん、断水の件、聞きました?」


 助手席に座っていた原田が、スマートフォンを指先でスクロールさせながら、口調を落とす。


 「断水……ああ。さっき家で蛇口ひねったら、水が出なかった。けど、詳しい事情まではわからないな」


 「浄水施設が、山間部の方にあるらしいんです。しかも、そのあたりって震源にかなり近いらしくて、被害がひどいみたいで……」


 原田の顔には、さりげなくも真剣な影が差していた。


 「山間部……あの辺か。確かに揺れが大きかったはずだ」


 「そうです。それで、その浄水施設からSUMIKA市内へ水を送ってる配水管が、地下であちこち破損してるって。しかも場所の特定が難航してるらしいです。何しろ地下なんで」


 「なるほどな……。そりゃ、簡単には直らんわけだ」


 ハンドルを握る手に、圭吾は力が入る。インフラがやられるということは、生活の根幹が脅かされるということ。震災後の混乱が、じわじわと自分たちの生活を侵食している。


 圭吾は胸ポケットから端末を取り出し、SUMIKAのポータルサイトを開いた。『緊急インフラ情報』の見出しが赤字で表示されており、その下には更新されたばかりの詳細が並んでいた。


 《【重要】断水のお知らせと今後の対応》


 《現在、地震の影響によりSUMIKA市内の広範囲で断水が発生しております。浄水施設が甚大な被害を受けたほか、複数の配水管が地下で破損しており、復旧作業は難航しております。現段階での復旧見通しは、早くて二週間を予定しております。


 断水地域への対応として、本日より自衛隊による給水車が一日三回、各地区を巡回いたします。容器を持参のうえ、近隣の指定場所にて給水をお受け取りください。


 また、第三地区においては供給経路が被害を免れたため、現在、その外周にて簡易浴場と洗濯施設の建設を急いでおります。当施設は断水地域の皆様を対象に、無料でご利用いただけます。開設予定日および利用時間等は、決定次第追って通知いたします》


 「……二週間、か」


 圭吾は呟き、額にうっすらと汗がにじんだ。家族と過ごす日常が、またしても不安定な足場の上に立たされている。


 「でも、給水車が来てくれるのは助かりますよね。浴場と洗濯施設も急いで建てるって書いてあります」


 「それだけ深刻ってことでもある。……けどな、こういう時ほど、情報を鵜呑みにしない方がいい。現場と上の情報は、食い違うもんだから」


 「確かに……」


 原田が小さくうなずき、二人の間にしばし沈黙が落ちた。パトロールカーの窓の外には、まだ人の少ない商店街のシャッターと、道端で破裂した水道管の名残のような水たまりが広がっていた。


 圭吾の胸の奥に、言葉にならない違和感が重く沈んでいた。物資も人も整い始めているのに、なぜか心だけがざわついている。


 原因が自分の中にあるのか、それとも――街そのものにあるのか。


 いまは、まだわからなかった。


 パトロールカーが第三地区の大通りをゆっくりと走っていた。

 震災の影響を微塵も感じさせない滑らかなアスファルト、均整の取れた並木、壊れた看板ひとつ見当たらない完璧な景観。まるで、ここだけが地震から守られていたかのようだった。


 「……ほんとに、同じ市内とは思えませんね」


 助手席に座る原田が、思わず感嘆の声を漏らした。車窓に映るのはどれも巨大な一戸建て。高い塀の内側には広々とした庭、和洋折衷の建築にモダンな屋根、どの家も堂々とした佇まいで、普通の住宅街とはまるで別世界だった。


 「世帯数は千にも満たないが、ここの一戸は外の十戸分の価値がある」


 圭吾が、吐き捨てるようにぼそりと呟いた。

 その声には、羨望とも嫌悪ともつかない、複雑な感情が滲んでいた。


 この地区に住むのは、近隣の限界集落から“招かれた”移住者たち。

 少子高齢化、人口減少、地域衰退——そんな日本の未来に対抗するために生まれた国家主導のスマートシティ構想。その核となる住民として、彼らは多額の協力金と引き換えに、この地に呼ばれ、そして迎え入れられた。


 「移住者には、豪邸と補助金。そして最新技術を駆使した農業設備まで……政府は未来のモデル地区にしたかったんでしょうね」


 原田の言葉にはどこか遠回しな皮肉が含まれていた。


 「AIが農地を管理して、ドローンが収穫と撒水をして……。どっちが“最先端”なのか分からなくなるな」


 圭吾はハンドルを握る手に少し力を込めた。

 その目は、前方に見える白亜の邸宅に注がれていた。

 その門前には配送用の無人ロボットが待機し、塀の上では監視カメラが静かに回っている。自動開閉式の門が、無音で閉じるのが見えた。


 だがその近未来的な生活には、どこか“人の匂い”が感じられなかった。


 「……ここだけ、何かが違う」


 圭吾の呟きに、原田も頷いた。


 「見た目は理想的ですけどね。けど、俺たちみたいな市内の人間のことは“外”の人間としか見てない。話しかけても、門の向こうから“関係ありません”って断られました。しかもすごく丁寧に」


 「共存、じゃないんだな……ただ“隣に住んでるだけ”だ」


 圭吾の声に苦笑が混じる。

 この街は理想を掲げ、未来を形にしようとする国家のモデル事業だった。

 しかし、その“理想”の中には、明確な区切りと、冷たく線を引かれた他者への距離が存在していた。


 同じSUMIKAでありながら、彼らの暮らす“この街”は、圭吾たちの知るそれとはまるで別の場所だった。


 第三区の大通りを抜けた先で、パトロールカーは一旦停車した。

 建設用のトラックとクレーン車が数台、道路脇に列をなし、作業員たちがせわしなく動き回っている。敷地を囲う仮設フェンスの中には、すでに基礎工事が終わったばかりのプレハブの土台が姿を見せていた。


 「……あれ、例の簡易浴場と洗濯施設ですかね」


 助手席の原田が、窓越しに現場を見やりながら呟いた。

 圭吾はハンドルに手を添えたまま、遠目に現場を見つめる。

 足元の揺れや地割れの痕跡など、災害の爪痕はこの一帯にはほとんど見られなかった。


 「なあ、原田……なんで第三区の住人たちだけ、水の供給が別なんだ? こっちはいまだに断水で、復旧の見通しすら立ってないってのに」


 原田は少し考えるような間を置いてから答えた。


 「関係者に聞いた話だと……表向きは、SUMIKAの水は人工的すぎて農業に向かないから、だそうです」


 「人工的って?」


 「処理工程でミネラル分が抜けてるとか、味が変だとか。特に農業用の水としては不向きって話らしいです。それで、彼らは以前住んでた地域から水を引いてきてるそうですよ」


 「……まるで、ここにいるのは一時的って言ってるみたいだな」


 「そうかもしれませんね。あの人たちは、SUMIKAに完全には馴染もうとしてない。水にこだわるって、特に年配の人はそうでしょう。昔の土地の水を飲み続けたいって気持ち、分からなくはないですが……」


 「それだけじゃない気がする」


 圭吾の目は、視線の先にあるフェンスの外側——明らかに“第三区の外”に建設されつつある施設へと向けられていた。


 「仮に水を共有しても、土地までは譲らない。水はやるが、中には入るな……そんな無言の壁みたいなもんか」


 原田がうなずく。


 「自分たちは“選ばれた住民”で、SUMIKAの他の人間とは違うっていう意識が強いんでしょうね。もともと近隣の村の人たちばかりですし、よそ者とは線を引きたいのかもしれません」


 圭吾は微かにため息をついた。


 「未来のための街、って言っても……こうやって“中と外”ができてる時点で、もうひとつの壁があるよな」


 そう語る彼の言葉には、皮肉とともに、どこか寂しさが滲んでいた。


 その後、パトロールは滞りなく終了した。

 第三地区の生活は震災の影響をほとんど受けておらず、他の地区との温度差がより一層浮き彫りになったように感じられた。


 駐在所に戻ると、本署からの応援で来ていた署員たちが、荷物をまとめていた。その中には、かつて交通事故の一件で圭吾を厳しく叱責し、いまだに彼の心に傷を残している警部補の姿もあった。


 「本署に戻るぞ。……ま、精々、しっかりやってくれよ」


 警部補は軽く手を上げると、圭吾たちを一瞥してパトカーへ乗り込んだ。


 その背中を見送りながら、圭吾は肩の力を少しだけ抜いた。


 「……やれやれ、胃が痛くならなかっただけでも進歩か」


 そうぼやく彼に、原田が小さく笑って応えた。


 緊急事態の中での対処だったとはいえ、“外”の空気に触れたことで、SUMIKAの中にある無言の分断がより鮮明になった。


 そして、圭吾の胸には、言いようのない違和感がじわじわと広がり始めていた。



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