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第13話『終わりの元凶』

 午後四時を少し過ぎた頃、高速道路のパーキングエリアは、行楽帰りの家族連れや観光バスの乗客たちでにぎわいを見せていた。アスファルトの照り返しが強く、駐車場に止めた車のボンネットはじんわりと熱を帯びていた。


 村瀬圭吾たち三人は、売店でお土産をひと通り見たあと、フードコートで少し早めの夕食を取っていた。長いドライブで少し疲れた身体に、塩気の効いた食事が染み渡る。


「ねえ父さん、見て。このセット、卵が乗ってるよ」


 碧が笑顔でトレイを見せると、圭吾は「おう、よかったな」とうなずいた。横で麻里も、小さな紙コップでお茶を飲みながら、穏やかに微笑んでいる。


「温泉もよかったし、ごはんもおいしいし……ほんと、来てよかったね」


 麻里の言葉に、圭吾も頷いた。ささやかだが、こうした団らんの時間が何よりも嬉しい。思い出の一ページとして、家族の記憶に残れば──そう思っていた。


 しかし、その時だった。


 ──キュイイイイイイィィィィン!


 突然、けたたましいサイレンのような電子音が響いた。最初はスマートフォンのアラームかと思ったが、次第に店内のあちこちから同じ音が重なって鳴り響く。


「緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください──」


 自動音声が冷たく繰り返され、フードコート内のざわめきが一気に緊迫した空気へと変わった。


「えっ、地震?」「マジかよ……!」


 客たちが顔を見合わせ、動揺と不安の色を浮かべる。その瞬間、地面の奥底から不気味な唸り声のような地鳴りが響いた。


 ──ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!


 数秒後、突き上げるような縦揺れが全身を襲った。建物全体が軋む音、落ちる食器の破片、叫び声。すべてが混然一体となって、圭吾の耳に押し寄せた。


「テーブルの下だ! 碧、麻里、早くっ!」


 圭吾は碧と麻里の肩を強く引き寄せ、すぐさまテーブルの下へ身体を滑り込ませた。揺れで立っていられなかった人々が、床に這いつくばりながら避難してくる。


 ガタン! と音を立てて自動販売機が揺れ、壁に激突する。天井の照明がバチバチと瞬き、粉塵が舞う中、麻里は震える碧を抱きしめながら、テーブルの脚にしがみついていた。


「碧、落ち着いて……大丈夫、大丈夫だから……」


「……うん、でも怖いよ……」


 碧の声は震え、顔色は蒼白だった。圭吾も、冷や汗が背中を伝い、胸の奥がぎゅっと締めつけられるようだった。


(この揺れ……ただの余震じゃない。まさか……こんなタイミングで)


 ふと見上げた天井が軋み、ミシリと音を立てる。人々の声、壊れる什器の音、揺れに伴う地鳴り……それら全てが、圭吾の胸に不安の楔を打ち込んでいった。


(終わるなよ、この平穏が……)


 だがその願いは、無情にも打ち砕かれようとしていた。


  「……震源は内陸部の活断層型地震で、最大震度は震度6強。被害が出ている可能性があります。引き続き、余震などに警戒してください」


 高速道路のパーキングエリアの休憩スペースには、据え置き型のテレビから流れるニュース映像と、騒然とした人々のざわめきが充満していた。壁際のモニターには震源地の地図とともに、震度分布を示す赤やオレンジの色分けが鮮やかに表示されている。


 村瀬圭吾は売店脇のベンチに腰掛けながら、スマートフォンの速報とテレビのニュースを交互に見比べ、小さく息を吐いた。


「……やっぱり、震度5強か。ここでこれなら……」


 画面に目を移すと、SUMIKAのある地域は地図上で濃い赤、震度6強のエリアに塗られていた。


「……私たちの家、大丈夫かな……」


 麻里が不安げに呟き、碧が心配そうに圭吾を見上げる。彼の目は、テレビ画面の震源地と高速道路の通行情報に釘付けだった。


「とりあえず、この先の区間は点検が終わって、通行再開されたみたいだ」


「よかった……でも、SUMIKAのほうが揺れが強かったなんて……」


 麻里の声には、隠しきれない不安が滲んでいた。


「ニュースでは今のところけが人は数名って言ってるけど……」


「……ああいうのは、初期情報じゃあてにならない。時間が経つと被害は広がる。過小評価されて報道されることもあるし……」


 圭吾は静かに言ったが、その口調には抑えきれない緊張がにじんでいた。彼の視線は、無意識のうちにフードコートの天井へ向けられていた。さっきまで揺れていたそれが、まるで何事もなかったかのように静まり返っているのが、むしろ不気味に思えた。


(運転中じゃなくて、本当に運がよかった……)


 脳裏に浮かぶのは、車が高速を走っていたときに地震に見舞われていたらという想像だ。ブレーキもハンドルも効かず、混乱の中で中央分離帯に突っ込むか、前方の車に追突するか──どれも考えるだけで胃が締めつけられる。


 彼はふと、家族の顔を見る。麻里は緊張した面持ちで手を組み、碧は持っていた水筒をぎゅっと抱えていた。二人とも言葉は少なかったが、その瞳には圭吾に対する信頼と、不安の入り混じった静かな光が宿っていた。


「……帰ろう。家の様子を確かめたい。運転は慎重にするし、余震が来たらすぐ車を止めて安全な場所に避難する」


 圭吾の決意を込めた口調に、麻里も碧も小さく頷いた。


 荷物を手早くまとめ、三人は駐車場へと向かう。空には夕日が沈みかけており、長く伸びた影がアスファルトを染めていた。


 車のドアを開けて乗り込むと、車内にはさっきまで感じなかった静寂があった。エンジンをかけた圭吾の手には、じっとりと汗がにじんでいた。


 カーナビの画面に映る道筋を確認しながら、彼は祈るように心の中で呟いた。


(どうか……無事でいてくれ。家も、街も、そして……この小さな日常も)


 アクセルをゆっくりと踏み込み、圭吾はハンドルを握り直した。SUMIKAへの帰路は、すでに夕暮れに沈もうとしていた。


 カーナビの液晶画面には、目的地までの残り距離が無機質な数字で表示されていた。


 ——目的地まで、残り約98キロ。


 「……普通なら、二時間弱ってとこだけどな」


 ぼそりと呟いた圭吾の声は、エンジン音にかき消されそうなほど小さかった。助手席の麻里が静かに頷く。


 「この状況じゃ……どこでまた通行止めになるか分からないね」


 「迂回の連続だしな。情報もすぐ古くなる」


 圭吾は慎重にハンドルを握りながら、フロントガラス越しに見える暗い山道を睨んでいた。ナビの地図には、真っ赤に塗られた通行止めのアイコンが次々と現れ、進むべき道を次々と否定していく。


 麻里はスマートフォンで新たなルートを検索し、声をかけた。


 「次の分岐で左。山道になるけど、今のところは通行可能って出てる」


 「了解」


 後部座席では、碧が疲れた様子でシートに身を沈めていた。外の真っ暗な景色を眺める目は覚めているものの、眠気と不安が混ざったような無言の表情だった。


 「コンビニ、見つけたら寄るぞ。トイレも行っといたほうがいいし、何か軽く食べよう」


 「うん……」


 ようやくたどり着いた営業中のコンビニには、すでに多くの車が詰めかけていた。駐車スペースを確保するだけでも数分を要し、ようやく車を降りた圭吾たちは、混み合う店内へと足を踏み入れた。


 店内は明るく、しかしその明かりとは裏腹に、空気はどこか緊張感に満ちていた。水やカップ麺、おにぎりやパンを手にした人々がレジ前に長蛇の列を作り、無言のまま順番を待っている。


 「……やっぱり、みんな考えることは一緒か」


 圭吾はトイレを探したが、使用中のサインとともに入り口付近まで続く列を目にして、思わず眉をひそめた。


 「これじゃ、トイレ入るだけで10分はかかりそうだな」


 麻里は小声で「一人ずつ済ませよう」と提案し、自分と碧に必要な分だけの飲料と軽食を手に取って列に並んだ。碧も無言でそれに続く。


 圭吾は店の片隅の壁際に立ち、周囲を静かに見渡す。誰もが黙々と品物を選び、会話はほとんど交わされていない。テレビもラジオもない空間で、人々の緊張と疲労だけが満ちていた。


 (まるで避難所だ……)


 小さく息を吐き、トイレを済ませたあと、圭吾たちは再び車へと戻った。


 時刻は、すでに日付が変わっていた。


 「もう深夜か……」


 ダッシュボード上の時計が午前1時を示す中、ナビの画面にはようやく「SUMIKA市街まで 残り11km」と表示されていた。


 「あと少しだな……」


 「ほんと、長かった……でも、帰れるって思うと、少しホッとする」


 麻里の言葉に、圭吾も微笑を浮かべたが、その瞳の奥には拭いきれぬ不安が揺れていた。


 (本当に、帰れるのか?……変わらぬ“日常”に)


 助手席の麻里は、眠ることもなく前を見つめている。碧は後部座席でようやく目を閉じていたが、寝息は浅く、時折肩を揺らしていた。


 圭吾はゆっくりとアクセルを踏み、暗い山間の道を、SUMIKA市街へと向かって走り出した。


 深夜二時を回った頃、ようやく圭吾たちはSUMIKA市街に帰り着いた。


 「震度6強だったんだよな……」


 ハンドルを握る圭吾は、フロントガラス越しに広がる夜の街並みに目を凝らす。


 予想していた光景とは、まるで違っていた。崩れた建物も、倒木も見当たらない。道路の亀裂や陥没もなく、街灯が規則正しく灯り、静寂の中にただ時間だけが流れていた。


 「思ったより……無事だな」


 助手席の麻里が、窓の外を見回しながら小さく頷いた。


 「電気もついてる。停電はなさそうね」


 後部座席では、碧がじっと外を見つめたまま黙っている。目は開いているが、疲れたのか身じろぎひとつしなかった。


 「さすが、スマートシティってやつか……。耐震構造もしっかりしてるんだな」


 圭吾の胸には、不安が一つ、また一つと小さく収束していく安堵感が広がっていた。


 自宅に近づくと、いつもの静かな街角がそこにあった。駐在所と一体になった住宅の前に車を停め、三人は足早に玄関へと向かった。


 キーを回し、扉を開ける。


 ふわりと漂ってきたのは、人工木の落ち着いた香り。そして、ずれて並んだ靴。


 「照明……つくね」


 麻里が壁のスイッチを押すと、天井の照明が明るくリビングを照らした。だがすぐに目についたのは、倒れた写真立て、横倒しになった観葉植物、小さなガラス片。


 「……でも、この程度か」


 圭吾が慎重に足元を確認しながら、倒れたものを拾い上げていく。


 「ほんと、大きな被害がなくてよかった……」


 麻里の声は、どこか安堵と緊張の間にあった。


 「やっぱり建物の構造が違うんだろうな。普通の家だったら、もっと酷いことになってたかも……」


 圭吾が深く息を吐き、ようやく肩の力を抜いたその時だった。


 「私、水飲むね」


 麻里がキッチンへ向かい、蛇口に手をかけた。


 ひねる音と共に、沈黙が流れる。


 「……あれ? 出ない」


 圭吾もすぐに蛇口を確認し、洗面所の蛇口も試した。だが、どこからも一滴も出てこなかった。


 「断水か……」


 口にした瞬間、ようやく現実味が帯びてきた。


 「でも電気は来てるし、街灯もついてたよね」


 「復旧の優先順位の問題かも。水道は後回しなのかな」


 麻里が不安げに眉を寄せる。


 「まあ、今は買っておいた水がある。とりあえず、それで今夜はしのごう」


 圭吾は、荷物の中からペットボトルの水を取り出し、麻里と碧に手渡す。


 「ありがとう」


 麻里が柔らかく微笑む。


 碧は無言で水を受け取り、静かに口に含んだ。安堵と疲労が入り混じったような瞳をしていた。


 異常なまでの静けさが、家の中を満たしていた。目立った被害はないはずなのに、どこか現実から浮いたような感覚が、圭吾の中に小さく残っていた。


 「このまま……何もなければいいけどな」


 そう呟いた言葉に、麻里も碧も答えなかった。


 その夜、三人は、静かに、だが落ち着かぬまま眠りについた。



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