除霊ツアーへようこそ
純一と呪われたカード
純一は、広告でたまたま見かけた「心霊現象を科学的に解明!除霊ツアー」という文言に妙に惹かれて参加ボタンを押してしまった。内気な会社員である彼は、日々の単調なルーティンから抜け出したかったのかもしれない。しかし、バスに揺られて辿り着いたのは、苔むした石段と蔦に覆われた窓がどこか陰鬱な雰囲気を漂わせる、まさに「古い館」と呼ぶにふさわしい場所だった。
館の中は薄暗く、埃っぽい空気が漂っている。参加者は皆、興味津々といった様子で辺りを見回していたが、純一だけは場違いな自分に居心地の悪さを感じていた。ガイドらしき人物が「皆様、ようこそ。この館には古くから伝わる呪われた品々がございます」と大仰な声で説明を始める。純一は早くも帰りたくなっていた。
広間に案内されると、年代物の大きなテーブルの上に何枚かのアンティークなカードが並べられていた。どれも色褪せていて、描かれている絵柄も判読しにくいほどだ。ガイドはにこやかに言った。「さあ、皆様。これらのカードは、それぞれ同じ重さに見えますが、実は軽いカードと重いカードがございます。ご自身で選んで、軽いものは右の箱へ、重いものは左の箱へ入れてください」
参加者たちは興味津々といった様子でカードを手に取り、その重さを確かめ始めた。純一も恐る恐る一枚のカードを手に取る。見た目にはどれも同じような紙製のカードに見える。彼は数枚のカードを手に取り、その重さを比較しながら指定された箱に振り分けていった。すると、最後の一枚に手が触れた瞬間、彼の指先にずしりとした異様な重さが伝わった。
それは、他のカードとは明らかに違う。まるで鉄でできているかのような、信じられないほどの重さだった。純一は恐る恐るそのカードをひっくり返してみる。そこには、丸に十字、その下にどくろが描かれた、禍々しい紋章が浮き彫りになっていた。その絵柄を見た瞬間、純一の心臓は激しく痛みだし、まるで誰かに鷲掴みにされたかのような感覚に襲われた。冷や汗が背中を伝う。
しかし、周りの参加者たちは純一の異変に気づく様子もなく、皆それぞれ選んだカードを箱に納めながら、「へえ、こっちのカード、意外と重いね!」「こっちは軽いよ!」などと楽しそうに会話している。彼らは純一が感じたような異常な重さや、心臓の痛みなど微塵も感じていないようだった。純一は震える手でその重いカードを左の箱へと入れた。もしかしたら、自分だけがおかしな体験をしているのかもしれない。このツアーに参加したことを、純一は心から後悔し始めていた。
続く異変:スタッフの言葉と純一の疑念
参加者たちが次の部屋へと移動を始めたのを見て、純一も慌てて彼らの後を追おうとする。しかし、急に足元がふらつき、彼は派手な音を立てて転んでしまった。
「お客様、お怪我はありませんか!」
すぐにスタッフが心配そうな顔で駆け寄ってくる。純一は体を起こしながら、どうしても気になっていたことを尋ねた。「あ、大丈夫です……それより、さっきのカードのことなんですが……あのカード、一枚だけ、鉄製のものでしたよね? ずいぶん重かったですが……」
スタッフはにこやかに首を振った。「お客様、ご安心ください。あのカードは私が個人的に集めたもので、全て紙製ですよ。何の仕掛けもありませんから。皆様、そうおっしゃる方がたまにいらっしゃるのですが、この館の不思議な雰囲気に飲まれて、そう感じてしまうのかもしれませんね」
スタッフの言葉は穏やかで、純一を気遣うような響きがあった。しかし、純一の心臓の痛みはまだ微かに残っており、カードのずっしりとした重さも手のひらに残っているかのように感じられた。全て紙製だというスタッフの言葉は、彼の体験とあまりにもかけ離れていた。
純一は困惑した。自分の感覚が間違っているのだろうか? それとも、スタッフが何かを隠しているのだろうか?
テラスの異変:ゴスロリ少女の言葉
館の裏手に回ると、陽当たりの良いテラスでティータイムが始まっていた。参加者たちはテーブルを囲み、互いに今日の体験を語り合っている。純一はまだ心臓の痛みとスタッフの言葉の違和感に囚われていたが、周りの和やかな雰囲気に少しだけ気が紛れた。
と、隣の椅子に、ゴスロリ風の服装をした若い女性が座った。彼女は純一の顔をじっと見つめ、興味津々といった様子で話しかけてきた。「私、こういう怪しい雰囲気、とっても好きなんです」
純一は曖昧に頷いた。「ああ、そうですか……」
彼女はカップに口をつけ、ふわりと微笑んだ。「さっきのカード、とってもよかったですね。普通の人にはただのカードにしか感じないでしょうけど」
その言葉に、純一ははっとした。彼女は、あのカードの異質さを感じ取っていたのか? それとも、ただの勘違いだろうか? 純一は彼女の言葉の真意を探ろうと、じっとその瞳を見つめた。
共有された秘密:ゴスロリ少女の証言
純一の沈黙を肯定と受け取ったかのように、ゴスロリの女性はさらに続けた。
「やっぱり、あなたも感じたのですね」彼女はにこやかに言った。「私、こういう場所に来ると、そういうのがわかるんです。あれ、各人1枚ずつ、特別なカードが入っていたみたいですよ」
純一の心臓が再び脈打つ。やはり、自分の感覚は間違っていなかったのだ。あの異常な重さも、心臓の痛みも、彼の気のせいではなかった。そして、スタッフの「全て紙製です」という言葉が、さらに疑念を深くした。
「じゃあ……あのスタッフ、きっとそうです」純一は、思わず口から出た言葉に驚いた。だが、もう止まらなかった。「何か知っているんでしょう」
ゴスロリの女性は、純一の言葉に満足そうに頷いた。まるで、それが当然の結論であるかのように。テラスの和やかな雰囲気とは裏腹に、純一の心はざわつき始めていた。このツアーは、ただの心霊スポット巡りではない。何かが、どこかで、彼らを欺いている。
重さの認識:深まる謎
純一はゴスロリの女性の言葉に驚きを隠せないまま、さらに問いかけた。
「それにしても、あんなに重く感じるものなんですね。まるで鉄でできているかのような重さでした」
純一の言葉に、ゴスロリの女性は少し不思議そうな顔をした。
「個人差はあるみたいですけど、私には、持ち比べてわずかに違う程度でしたよ。言われてみれば、確かに少しだけ重いかな、というくらいで。鉄製だなんて、そんな風には感じませんでしたけど……?」
彼女の言葉に、純一は愕然とした。同じ「特別なカード」でも、彼が感じた衝撃的な重さと、彼女が感じた「わずかな違い」とでは、あまりにも隔たりがあった。これは一体どういうことなのだろうか? カード自体に何か仕掛けがあるのか、それとも、この「重さ」は、感じる人によって異なる、もっと個人的なものなのだろうか。
見えない絵柄:深まる純一の孤立
純一は、自分の感じたカードの異様さが、さらに深まることに戸惑いを隠せなかった。
「それに、裏には特徴的な絵があって……丸に十字、その下にどくろの絵が描いてありました。あれを見た瞬間、心臓が……」
純一がそこまで言いかけたところで、ゴスロリの女性は突然、目を輝かせて純一を見た。その瞳は、何か珍しいものを見つけたかのように、好奇心に満ちていた。
「えっ! 絵が見える人なんて珍しいですね!」彼女は興奮気味に言った。「あのカード、裏は全て同じ模様ですよ。ただの古びた文様というか……まさか、そんな絵が見えるなんて……」
彼女の言葉に、純一は愕然とした。彼女には、あの禍々しい絵が見えていないというのか? 純一だけが、あのどくろの絵を見て、心臓の痛みを覚えたというのか?
周りの参加者たちが楽しそうにお茶を飲み交わし、談笑する声が遠く聞こえる。この和やかなテラスの風景の中で、純一はまるで自分だけが別の世界にいるかのような孤独を感じ始めていた。カードの重さの認識の違い、そして絵柄が見えるか見えないかの違い。この異変は、一体何を意味するのだろうか。
スタッフの告白:カードの「印」
純一は意を決して、テラスで参加者の様子を見守っていたスタッフに近づいた。
「あの……先ほどのカードのことなんですが、何かあるんですか?」
スタッフは純一の問いに、穏やかな表情で答えた。「ああ、あのカードのことですね。あれは数年前、とある占い師の方から譲り受けたものなんですよ。曰く、不思議な力があるのだとか」
純一はごくりと唾を飲んだ。やはり、ただのアンティークカードではなかったのだ。
「私には、正直なところ、どのカードも同じ重さにしか感じないのですが……」スタッフはそう言いながら、ポケットから取り出した数枚のカードを純一に見せた。そして、それらを裏返して見せた。
「ほら、よく見てください。いくつかのカードの端に、小さな印があるでしょう? 時々、印のあるカードを言い当てる方もいらっしゃるので、もしかしたらトリックに気づかれたのかと、少し心配しておりましたよ」
スタッフの指差す先には、確かに肉眼ではほとんど見えないような、小さな引っ掻き傷のような印がつけられていた。しかし、それは純一が感じた「鉄のような重さ」や、彼にだけ見えた「丸に十字、その下にどくろ」の絵柄とは、あまりにもかけ離れたものだった。
純一の混乱は深まるばかりだった。スタッフが言う「印」は、彼が感じた異変とは全く関係がない。一体、あのカードの正体は何なのか? そして、なぜ自分だけに、あのような異常な現象が起きたのか?
見えない「絵柄」と深まる純一の異変
純一は、スタッフの言葉の裏にある不穏な気配を感じながらも、もう一度確認せずにはいられなかった。
「えっと、スタッフさん、その傷のあるカードの模様って、絵が書いてあるように見えませんか?」
純一の質問に、スタッフはきょとんとした顔で首を傾げた。
「いえ、お客様。ですから、全て同じですよ。単なる古い模様に、小さな傷があるだけです。何か特別な絵が見えるとおっしゃる方は、お客様が初めてですね」
スタッフの返答は、純一の知る現実とあまりにもかけ離れていた。彼は一度、大きく深呼吸をして、自分の頭の中を整理しようと試みた。
スタッフが見せた、端に小さな傷があるというカード。そのどれにも、純一にははっきりと異なる絵柄が見えていたのだ。例えば、あるカードには花が、別のカードには鳥のようなものが、そして彼が手に取った最も重いカードには、あの禍々しい「丸に十字、その下にどくろ」の紋様が。
スタッフにはただの古い模様と小さな傷にしか見えないものが、純一には鮮明な絵柄として認識されている。そして、その絵柄と連動するかのように、異常な重さや心臓の痛みを感じる。
この現象は一体、何を意味するのだろうか? 純一は、この不可解なツアーの裏に隠された、もっと深い謎の存在を確信し始めていた。
スタッフの「種明かし」とゴスロリ少女の興味
スタッフは、純一とゴスロリの女性が真剣な面持ちでカードについて話し込んでいる様子を見て、観念したように口を開いた。彼の表情には、悪気は微塵も感じられない。むしろ、少し得意げな色すら浮かんでいた。
「それでは、お二人だけに、種明かしをしちゃいますね」
彼はそう前置きし、ツアーの裏側を語り始めた。
「実はこのツアー、元々はただアンティークな館を巡るだけの、ごく普通の観光ツアーだったんです。でも、それだけではなかなかお客様が増えなくて……」
スタッフはそこで言葉を区切り、にこやかに純一とゴスロリの女性を見た。
「そこで私が、少しでも面白くしようと、このカードの仕掛けを思いついたんです。あのカードは、私が個人的に集めているもので、裏の模様に目を凝らすと、それぞれわずかながら印があるんですよ。それで、参加者の皆さんに『軽いカードと重いカードを仕分けさせる』というゲームを考案したわけです」
純一は、彼の言葉に耳を傾けながら、内心で複雑な思いを抱いていた。スタッフの言う「印」と、自分が感じた「絵柄」は全く異なる。しかし、スタッフの言葉は続く。
「この仕掛けが、思いのほか好評でしてね。口コミで『不思議な体験ができるツアー』として評判になり、今ではたくさんの人が来てくれるようになったんです。まさか、お客様のように、本当に何かを感じ取ってしまう方がいらっしゃるとは思いませんでしたが……」
スタッフは、まさか「絵柄」が見えるほど感じ取ってしまうとは思わなかったという顔で、純一に視線を向けた。
ゴスロリの女性は、スタッフの話に「へえー!」と声を上げ、瞳を輝かせている。彼女は、まさにこの「口コミ」に惹かれてツアーに参加したようだった。そして、彼女の視線は再び純一に向けられる。彼女にとって、このツアーはただの「仕掛け」だったかもしれない。しかし、純一の「特別な反応」は、彼女の好奇心を強く刺激しているようだった。
ツアーの終わりに:交わされる名前
テラスで佐々木からカードの「種明かし」を聞いた純一は、ますます混乱していた。ゴスロリの女性――リリィは、佐々木の話に納得しつつも、純一の異様な反応には変わらず興味津々といった様子だ。やがてお茶会も終わりを迎え、ツアー参加者たちはバスへと向かう。純一はまだ、自分の身に起きたことが信じられないでいた。
バスへ向かう途中、純一はリリィと佐々木に声をかけた。
「あの、今日はありがとうございました」純一はぎこちなく頭を下げた。「自分、宮沢純一と言います。宮仕えの純一と書いて、ジュンイチです」
佐々木はにこやかに答えた。「こちらこそ、本日はご参加いただきありがとうございました。私はこのツアーの企画運営を担当しております、佐々木健太と申します。どうぞよろしくお願いします」
佐々木が純一に差し出した名刺には、まさに彼の名前が記されていた。純一はそれを受け取り、小さく頷いた。
次にリリィが、ふわりと笑って言った。「私は月影リリィ。リリィでいいですよ。まさか、こんな面白い体験ができるとは思わなかったわ。あなた、本当に面白いわね、純一さん」
リリィは純一の顔をのぞき込むように言う。彼女の真っ直ぐな好奇心に、純一はたじたじとなった。だが、同時に、自分だけがおかしいのではないという安堵も感じていた。リリィは純一の「見えない絵柄」や「異常な重さ」といった体験を、単なるスタッフの仕掛けではない何かとして捉えているようだった。
バスが動き出し、館が遠ざかっていく。純一の心臓の痛みはもう引いていたが、あのカードの記憶は鮮明に残っていた。そして、新しい出会い。この奇妙なツアーが、純一の日常にどんな変化をもたらすのか、彼にはまだ想像もできなかった。
コーヒーショップでの再会:リリィの探求
ツアーから数日後、純一は月影リリィからのメッセージを受け取った。「この前のお礼も兼ねて、お茶しない? 話したいこともあるの」。普段なら即座に断っていたかもしれないが、あの館での出来事が頭から離れなかった純一は、指定されたコーヒーショップへ向かった。
リリィは、ツアーの時と同じくゴスロリ風の服装で、窓際の席に座っていた。その独特の存在感は、休日のショッピングモールの中でも異彩を放っている。純一が席に着くと、リリィはにっこりと微笑んだ。「来てくれてありがとう、純一さん。あの後、やっぱり気になって仕方なくて」
純一はカップを手に取りながら言った。「俺もです。あのカードのこと、ずっと考えてました。佐々木さんが言ってた『印』と、俺に見えた『絵』、あまりにも違いすぎて……」
リリィは身を乗り出した。「そうでしょう? だから、私、佐々木さんに連絡してみたのよ。あのカードの持ち主のこと、何か知らないかって」
純一は驚いて目を見開いた。「え、佐々木さんに? 何か分かりましたか?」
「それがね、最初は『個人的なものなので』って濁してたんだけど……しつこく聞いたら、少しだけ教えてくれたわ」リリィはいたずらっぽく笑った。「どうやら、あのカードは、数年前に亡くなった、ある占い師の遺品だったらしいの。佐々木さんも、その占い師とはほとんど面識がなかったみたいだけど、彼の鑑定所に残されていたものを引き取ったんだって」
純一の胸に、一筋の光が差し込む。占い師の遺品。やはり、あのカードはただの紙ではなかったのだ。
「佐々木さん、その占い師の名前は教えてくれなかったんですか?」純一は前のめりになった。
リリィは、残念そうに首を横に振った。「そこまではね。でも、彼が使っていた鑑定所の場所は、なんとか聞き出せたわ。もう廃業してるらしいけど、もしかしたら何か手掛かりがあるかもしれない」
リリィの言葉に、純一の心臓が再び高鳴った。あの奇妙な体験は、まだ終わっていなかったのだ。そして、リリィという、自分と同じく「特別な何か」を感じ取る人間がそばにいることに、純一は密かな期待を抱いていた。
渋谷の占い師:予期せぬ言葉
リリィが聞き出した手がかりを元に、純一とリリィは渋谷の裏通りにある雑居ビルへと足を運んだ。占い師の鑑定所があったという場所は、今は別の小さな占いの店になっているらしい。純一は少し躊躇したが、リリィは物怖じせず店のドアを開けた。
店内は薄暗く、香木の香りが漂っていた。小さなカウンターの奥に、初老の女性が座っていた。彼女が、この店の占い師なのだろう。リリィは興味津々といった様子で、純一の制止も聞かず占いを申し込んだ。
「ねえ、純一さん、せっかくだから見ていってもらいましょうよ!」
純一は断り切れず、リリィの隣に座った。占い師はリリィの手相をじっと見つめ、静かに語り始めた。「あなたは、とても強い探求心をお持ちですね。見えないもの、隠されたものに惹かれる傾向があります」
リリィは「ふふ、よくお分かりで」と楽しそうに笑う。純一は、占いというものに懐疑的だったが、リリィの熱心さに付き合うことにした。
会話がしばらく続いたその時、占い師の顔色が突然変わった。その瞳には、それまでの落ち着きが消え失せ、代わりに何か異質な光が宿る。声も低く、掠れたものに変わり、まるで誰か別の存在が憑依したかのようだった。
「そのカード……そのカードが、お前たちを呼んでいる……」
占い師は、純一を指さしながら、明らかにこの場にそぐわない言葉を紡ぎ始めた。純一は思わず息を呑んだ。
「その男……お前には見えるのか……闇に蠢く、どくろの絵が……」
占い師の言葉は、純一にだけ見えたあのカードの絵柄を言い当てていた。リリィは驚きで目を見開いている。
「そのカードは、ただの遊びではない……魂を喰らう、呪われたもの…… お前は選ばれた……忌まわしき道へ誘われる……」
占い師は言葉を続けるうちに、体が小刻みに震え始めた。そして、最後に絞り出すような声で呟いた。
「あの館……あの館に、全てがある……」
その言葉を最後に、占い師はぐったりと椅子にもたれかかり、意識を失ってしまった。
リリィの興奮と純一の疑念
占い師が意識を失った後、純一とリリィは呆然と立ち尽くしていた。しかし、先に口を開いたのはリリィだった。彼女の瞳は輝き、興奮で体が震えているようだった。
「すごい! 純一さん、見た? 見たわよね?! あの人、本当に何かに取り憑かれたみたいだった! しかも、あなたのカードの絵柄のこと、言い当てたのよ!」
リリィはまくし立てるように話し、純一の腕を掴んで揺さぶった。彼女にとっては、これこそが本物の「心霊現象」であり、待ち望んでいた体験なのだろう。
しかし、純一はいまいち胡散臭そうな顔をしていた。彼の頭の中では、冷静な思考が働いていた。
「いや、でも、あれって……もしかしたら、心理学的なものなんじゃないですかね? サトル・アウェアネスとか、コールドリーディングとか……。俺たちの会話から情報を引き出して、それっぽく話してるだけとか」
純一は、自分の心臓が痛むほどだったあの体験ですら、科学的、論理的な説明を求めてしまう。彼は、そう信じなければ、心の平穏が保てないのだ。
「だって、佐々木さんも言ってたでしょう? あのカードは単なる『仕掛け』だって。あの占い師も、きっと何か裏があるんですよ」
リリィは純一の言葉に、少しだけ肩を落とした。しかし、すぐに持ち前の好奇心が勝った。
「そうかなぁ……。でも、あんなにリアルだったのに? 純一さんの心臓が痛くなるっていうのも、心理学で説明できるの?」
純一は答えに詰まった。確かに、あの心臓の痛みだけは、彼自身にも説明がつかない。
再び館へ:タロットカードの謎
リリィは占い師の件に興奮冷めやらぬ様子で、純一を再びあの除霊ツアーへと誘った。「ねぇ、もう一度あの館に行ってみない? きっと何かあるわ!」純一は胡散臭がりつつも、あのカードの謎が解けないことにモヤモヤを感じていたため、リリィの誘いに乗ることにした。
数週間後、二人は再びあのバスに揺られ、古びた館の前に立っていた。佐々木健太が相変わらずの笑顔で迎えてくれる。
「ああ、月影さんと宮沢さん! またのご参加、ありがとうございます」
純一は佐々木にさりげなく尋ねた。「そういえば佐々木さん、今日のカードって……」
佐々木はにこやかに答えた。「ええ、実はですね、前回のカードが少し古くなってきたものですから、今回は市販のタロットカードに変更してみたんです。これなら皆さんにも馴染みがあるでしょう?」
純一はギクリとした。あの「呪われたカード」は、もうないというのか。内心で安堵する気持ちと、一方で真実が遠ざかっていくような、複雑な感情が入り混じる。リリィは少し残念そうにしながらも、新しいタロットカードに興味を抱いているようだった。
広間に案内されると、テーブルの上には見慣れたタロットカードが並べられていた。大アルカナの絵柄が、色鮮やかに描かれている。参加者たちは、前回と同じようにカードを手に取り、軽いものと重いものに仕分けていく。
純一も恐る恐るカードを手に取った。どれも均一な重さだ。あの時のような異様な重さも、心臓の痛みも、まるでない。彼は安堵のため息をついた。やはりあれは、古いカードの材質や、自分の思い込みが引き起こした現象だったのかもしれない。そう思いたかった。
しかし、隣でカードを仕分けていたリリィが、突然、小さな声を上げた。
「……あれ?」
純一がリリィの方を見ると、彼女は一枚のカードをじっと見つめていた。そのカードは、純一も知っている「死神」の絵柄が描かれたものだった。
「どうしたんですか、リリィさん?」純一が尋ねる。
リリィは顔を上げ、純一の目を見つめた。その瞳には、かつて純一が抱いたのと同じ、困惑の色が浮かんでいた。
「純一さん……このカード……なんだか、ずっしり重く感じるの……。それに、この死神の絵……妙にリアルに見えるわ」
純一の背筋に、冷たいものが走った。
再びの異変:リリィのカード
純一は、リリィの言葉に背筋が凍るのを感じた。あの忌まわしい体験が、今度は彼女の身に起こっているというのか。恐る恐る、リリィが手にしている「死神」のタロットカードを裏返してみる。
やはり、そこには佐々木が言っていた小さな印が、カードの端に刻まれていた。肉眼でなければほとんど見えないほどの、わずかな傷。しかし、その印があるにもかかわらず、佐々木は「何も仕掛けはない」と言い切っていた。
純一は、リリィの手からそっとカードを受け取った。そして、自分の手でその重さを確かめる。すると、何の仕掛けもないはずの、ただの紙でできたそのタロットカードが、やはりずっしりと重いのであった。
あの時、純一が感じた鉄のような重さとは異なるが、明らかに他のカードとは違う、不自然な重み。そして、純一の目には、その「死神」の絵柄が、リリィの言う通り、まるで生きているかのように妙にリアルに見える。死神の鎌の鋭利さ、黒いローブの闇、そしてその下にちらりと見える頭蓋骨の冷たさまでが、鮮明に感じられた。
純一は、自分の心臓が再び締め付けられるような感覚を覚えた。これは、一体どういうことだ。あの「呪われたカード」はもうないはずなのに、なぜ同じ現象が繰り返されるのか。そして、なぜ今度はリリィにも、この異変が起きているのか。
佐々木の困惑:新たな「クレーマー」か?
純一とリリィが、目の前のタロットカードの異変に戸惑う中、佐々木健太は二人の様子を訝しげに見ていた。純一がカードの重さを訴え、リリィがそれに同調する姿は、彼には理解できなかった。
「え、お客様方……どうされましたか?」佐々木は眉をひそめた。「あの、失礼ですが、何か仕掛けがあるとお思いですか? ご安心ください、このタロットカードは今朝、新品を下ろしたばかりのものです。以前のカードと全く同じように、何の仕掛けもありません。ごく普通の、市販のカードですよ」
佐々木の言葉には、困惑の色がにじんでいた。彼は、二人が「新手のクレーマー」ではないかと疑い始めていた。以前のツアーで、純一が「鉄のカード」などと言い出した時も不思議に思ったが、今回は全く新しいカードだ。それでも同じようなことを言い出す純一と、それに同調するリリィの姿に、佐々木は内心でため息をついた。
「もしかして、あのカードに何か特別なものを感じるとか、そういうことでしょうか? そういう方も、たまにいらっしゃいますからね。この館の雰囲気に飲まれてしまうというか……」
佐々木は努めて冷静にそう言ったが、その声には諦めと、ほんのわずかな苛立ちが混じっていた。彼にとって、この「除霊ツアー」はあくまでアトラクションであり、仕掛けと演出で成り立っている。純一とリリィが口にするような超常現象など、信じるはずもなかった。
純一は佐々木の困惑した顔を見て、彼が嘘をついているわけではないことを悟った。やはり佐々木には、自分たちが見ている「絵柄」や感じている「重さ」は認識できないのだ。
箱の起源:深まる謎
純一は佐々木の困惑した表情を見て、これ以上彼に問い詰めても無駄だと悟った。佐々木は本当に、自分たちの感じている異変を理解していないのだ。しかし、純一の頭には、もう一つ気になることがあった。あのカードを仕分けた、二つの箱だ。
純一は佐々木に尋ねた。「ところで、佐々木さん、この箱はどこで手に入れたんですか?」
佐々木は、純一がカードではなく箱について尋ねたことに少し驚いたようだったが、すぐに答えた。「ああ、この箱ですか? これらはですね、もとからこの部屋にあったものなんですよ。私がこのツアーを企画したときには、すでにここに置かれていました。年代物だとは聞いていますが、特に変わったものではないと思いますよ」
佐々木の言葉に、純一は違和感を覚えた。カードは佐々木が持ち込んだものだが、箱は最初からこの館にあったという。リリィも、佐々木の言葉に何かを感じ取ったのか、じっと箱を見つめている。
もし、あのカードの異変が、佐々木の言うような「仕掛け」によるものではないとしたら? そして、新しいタロットカードでも同じ現象が起きているとしたら?
純一の脳裏に、渋谷の占い師の言葉が蘇った。「あの館……あの館に、全てがある……」
この館に元々あったという「箱」。そして、そこに振り分けられた「特別な」カード。もしかしたら、この箱こそが、純一とリリィの身に起こっている現象の鍵を握っているのかもしれない。
箱に刻まれた日付:新たな手がかり
純一は佐々木から得た情報と、占い師の言葉を反芻しながら、再びカードを仕分けるテーブルの脇へと戻った。リリィも純一の視線に気づき、一緒に箱を覗き込む。
「佐々木さんが言うには、この箱は元々ここにあったものらしいです」純一はリリィに小声で伝えた。
リリィは大きく頷いた。「やっぱり! 私も何となく、カードよりもこの箱の方が、もっと何かありそうだなって感じてたのよね」
純一は、軽いカードを入れる方の箱の裏側に手を伸ばした。埃が積もっていて、その下には何か文字のようなものが薄く見えている。彼は手のひらでそっと埃を払った。
すると、そこに現れたのは、かろうじて判読できる消えかかった文字だった。純一とリリィは顔を寄せ合い、その文字を辿る。それは、まるでペンか何かで無造作に書きつけられたような、あるいは、古すぎて摩耗してしまったような、不鮮明な筆跡だった。
「これ……日付、みたいですね」純一が呟いた。
リリィが目を凝らす。「本当だ! 読めるかな……『一九四五……年……八月……』」
途中で文字が途切れてしまい、正確な日付までは読み取れない。しかし、「一九四五年八月」という文字は、純一とリリィの心に重く響いた。それは、第二次世界大戦の終戦、そして広島と長崎に原爆が投下された、あの忌まわしい月だ。
なぜ、こんな古い館の箱に、この日付が記されているのか? そして、この日付と、彼らが体験している不思議な現象に、一体どんな関係があるというのだろうか?
幻の子供と導かれる森へ
純一とリリィが箱に刻まれた日付に思考を巡らせていた、その時だった。純一の視界の端に、ふと小さな影が映り込んだ。何気なくそちらを見ると、純一のすぐ隣に、小さな子供が立っていた。
その子は、どこかぼんやりとしていて、表情は読み取れない。ただ、純一をじっと見つめ、小さく、しかし明確に、手のひらを差し出して林の奥へと招いているように見えた。
純一は、まるで何かに吸い寄せられるかのように、その子供の示す方向へと足を踏み出した。彼の意識は、子供の存在と、林の先に広がる未知の景色に囚われていた。
しかし、佐々木とリリィには、その子供の姿は見えていなかった。
「お客さん、どうしたんですか?」
佐々木は、突然方向を変えて歩き出した純一の背中に声をかけた。純一が何か奇妙なものに引き寄せられているように見えたのだろう。佐々木は心配そうな顔で、純一を追いかけ始めた。
リリィは、その様子を面白そうに見ていた。純一にしか見えない「何か」が、再び現れたのだ。彼女の目には、佐々木が慌てて純一を追いかける姿が、まるで滑稽な芝居のように映っていた。そして、その「芝居」の続きに興味津々といった様子で、いたずらっぽく笑いながら、佐々木の後を追って純一の足跡を辿った。
純一は、子供に導かれるように、深い林の中へと進んでいく。その先には、一体何が待ち受けているのだろうか。
林の中の塚:見つかった子供の骨
子供に導かれるまま、純一は林の奥深くへと進んでいった。あたりは薄暗く、昼間だというのにひっそりとしている。佐々木とリリィも、心配と好奇心から彼の後を追う。
やがて、純一の目の前に、こんもりとした土でできた小さな塚が現れた。まるで誰かが手作業で積み上げたかのような、不自然な盛り上がりだ。その周囲には、苔むした石がいくつか転がっている。
純一は、導かれるようにその塚に近づき、崩れ落ちた石の一つをゆっくりと取り除いた。すると、その下から、ぽっかりと中へと続く穴が現れた。穴の奥は真っ暗で、何も見えない。
佐々木とリリィが、息を呑んでその穴を眺めている。佐々木は警戒し、リリィは興奮を抑えきれない様子だ。
純一は震える手でスマートフォンを取り出し、ライトを点けて穴の中を照らした。細く、しかし力強い光が闇を切り裂き、その奥に映し出されたものに、純一は息を飲んだ。
そこには、紛れもない子供の小さな骨が横たわっていた。
白く、朽ちかけたその骨は、まるで長い間、この場所にひっそりと隠されていたかのようだ。純一の心臓が、再び締め付けられるように痛んだ。林の奥に彼を誘った子供の幻影と、この骨。全てが繋がっているように思えた。
塚の調査とリリィの告白
子供の骨が見つかったことで、佐々木はすぐに警察に通報した。駆けつけた警察官による現場検証と調査が行われたが、結論は意外なものだった。
「死後、およそ80年は経過していると見られます。外傷の痕跡もなく、事件性は低いかと」
警察官の言葉に、純一は呆然とした。80年。それは、ちょうど一九四五年八月という、あの箱に刻まれた日付と重なる。偶然なのだろうか、それとも──。
その後、警察の調査は進展を見せず、純一たちの「除霊ツアー」は中断となった。純一は釈然としない気持ちを抱えながらも、日常へと戻っていった。しかし、この一件で、リリィとの繋がりはより強固なものになった。
数日後、リリィから純一へ連絡があった。「純一さん、どうしても話しておきたいことがあるの。実はね……」
リリィが純一に語ったのは、驚くべき告白だった。
「あのね、私、警察が骨の年代を特定した時、すごく引っかかったの。それで、家に帰ってすぐに、おばあちゃんに連絡して、古いアルバムとか、家系図みたいなものがないか探してもらったのよ」
リリィは、少し息を整えて続けた。
「そしたらね……驚くことに、私の遠い親戚が、あの館に昔住んでいたらしいの。本当に、ごくごく遠い親戚だから、私も全く知らなかったんだけど。戦前に、あの地域に住んでいた記録が残っていたんだって」
純一は、リリィの言葉に目を見開いた。リリィの親戚が、あの館に。そして、80年前の子供の骨。
「あの骨は……もしかしたら、リリィさんの親戚の子供だったのかもしれない」純一の口から、無意識のうちに言葉が漏れた。
リリィは静かに頷いた。「そう思うと、あのカードの『重さ』や『絵柄』、そして占い師の言葉……全てが繋がるような気がするの。何か、私たちに伝えたいことがあるんじゃないかって」
純一の心の中に、再び得体の知れない感情が渦巻いた。科学や論理では説明できない、しかし確かな繋がり。あのカードは、単なる「仕掛け」などではなかったのだ。そして、リリィとの出会いもまた、偶然ではなかったのかもしれない。
語られぬ過去:子供の行方
リリィが遠い親戚のルーツを辿る中で、衝撃的な事実が明らかになった。
「おばあちゃんの話ではね、私の親戚筋にあたる家に、終戦直前に遊びに出かけたまま、帰らなかった子供がいたらしいの。本当に幼い子だったって」
リリィの声は、どこか悲しげに響いた。純一は息を呑む。日付と、子供の骨。点と点が、恐ろしい線で繋がっていく。
「きっと、防空壕ごっこでもしていて、石が崩れ落ちて出られなくなったんだろうって、みんなで話してたそうよ。当時は、そういう事故も珍しくなかったからって……」
純一の脳裏に、あの林の奥で見つけた小さな塚と、その下の穴、そして横たわっていた子供の骨が鮮明に蘇った。まさに、その通りの状況だ。
「ただ、詳しいことは分からなかったみたい。戦争が激しくなって、周りの人も疎開したり、亡くなったりして……。当時を知る人たちも、もうほとんどいなくなってしまって、詳細は闇の中だって」
リリィの言葉は、まるで霧の中に消えていく過去のようだった。戦争の混乱の中で、一人の子供がひっそりと命を落とし、その死は誰にも知られることなく、時間の中に埋もれていった。そして、80年もの時を経て、純一とリリィという二人の人間の前に、その存在が示されたのだ。
あのカードの「重さ」も、「絵柄」も、そして佐々木には見えない「印」すらも、すべては、この語られざる真実を伝えるためのものだったのかもしれない。純一は、自分の身に起きていた異変が、単なる思い込みや心理的なものではないことを、この時初めて心の底から確信した。
終わらない旅:新たな探求の始まり
「ねぇ、純一さん!」
それからというもの、月影リリィは時折、純一を呼び出すようになっていた。彼女の目的は明確だった。純一の持つ、あの「見えない絵柄」や「異様な重さ」を感じ取る特別な能力に、すっかり魅せられてしまったのだ。
「今週末はここに行こうよ!」リリィは、スマートフォンに表示された、いかにも怪しげな廃病院の画像を見せながら、キラキラした瞳で純一に迫る。
純一は、正直なところ、あまり乗り気ではなかった。あの館での出来事は、彼にとって心底恐ろしい体験だったし、できればもう二度と、あんな思いはしたくなかったのだ。日常の平穏を何よりも愛する彼にとって、怪しいスポット巡りなど、まさに地獄のような沙汰だった。
「いや、でもリリィさん、俺はそういうの、ちょっと……」
純一が言いよどむと、リリィは彼の顔をじっと見つめ、大きく潤んだ瞳で上目遣いに迫ってきた。
「ねぇ、お願い! 純一さんじゃなきゃ、分からないことだって、きっとあるんだから!」
その熱意と、どこか幼さを残す眼差しに、純一は抗えなかった。結局、彼は大きくため息をつきながら、「……まあ、いいか」と小さく呟いた。
純一とリリィの奇妙な関係は、これからも続いていくのだろう。世間には知られることのない、純一の特別な「感覚」を頼りに、二人はこれからも、ネットの片隅に眠る怪しいスポットへと足を踏み入れていくことになりそうだ。
彼の平凡な日常は、あの「除霊ツアー」に参加した日から、完全に終わりを告げていた。