32、
「ぐえ!?」
股間を思い切り蹴った結果、出たのが潰れた蛙のような声。
醜い声と顔を晒して、ベッドにうずくまるトラドス。
その光景をどう捉えたのか──まあ勘違いするよね。
案の定、入って来た人物は、血相変えて寝台に駆け寄って来た。その人物を見て私は目を瞠った。
「ヘンリー様!?」
「アデラ! ──トラドス、貴様ぁっ!!」
止める間もなく……というか止める気は無い。走り寄って来たヘンリー様の拳が「ぐぎゃっ!?」というトラドスの叫び声を引き出した。見事なストレートパンチでございます。
勢いあまってトラドスはベッドから落ち、更にゴロゴロ転がって壁にぶつかったところで止まった。白目むいてる。気持ち悪いわあ。
突然のことで思考が回らず、茫然としながらそんなことを思っていたら、不意に力強い腕に抱きすくめられてしまった。
温かくて優しくて……ずっと恋しかったその腕。その存在。
「ヘンリー様……」
「アデラ、大丈夫かい?」
名を呼べば名を呼んでくれる。
心配そうに顔を覗き込んでくるのは……間違いなく、ヘンリー様その人だった。
不意に。
唐突に。
意図せずに。
ポロポロと涙が溢れだして、止まらなくなってしまった。
「ヘンリー様、ヘンリー様……!」
「うん、アデラ。俺はここに居るよ」
「──!!」
もうこらえきれなかった。涙はドンドン出てくるけど、彼の服を濡らしてしまうだろうけど、構わず私は彼の胸に顔を埋めた。埋めてただ、泣いた。
「ヘンリー様……会いたかった、会いたかったです……!」
「うん。俺も会いたかった、アデラ。来て良かった、本当に良かった……」
ワンワンと子供のように。
そんな風に泣いたのは何年振りか──母が亡くなった時以来ではないか。
そう思うくらいに泣いた。枯れること無く流れる涙を、ヘンリー様は優しく受け止めてくれるのだった。
※ ※ ※
「帰って来たと連絡をもらって、いてもたってもいられなくなってね」
散々泣いた私が落ち着くのを待って、ヘンリー様は説明してくれた。どうしてここに居るのかを。
「会いにきちゃった」
そう言って、またギュッと抱きしめてくれた。離さない、離したくない、そう言うかのように。私もされるがままで、抵抗する気は一切ない。
「そしたらマイヤが血相変えて走って来て、アデラの部屋の扉が開かない、中から会話が聞こえるって。あとトラドスが入ったのを見かけたという者も居てね」
猛ダッシュしたよ。
そう言って笑う彼に私も笑みを返した。
ありがとうマイヤ。あとでちゃんとお礼を言わなくては。
私を抱きしめ続けるヘンリー様だが、私は早く聞きたいことがあった。だから名残惜しくもその体をそっと押して離す。訝し気に見てくるヘンリー様。
私は小さく深呼吸をして、彼の目を覗き込んで小声で問うのだった。
「ヘンリー様。あの手紙の真意は……一体、何ですか?」
はたして声を震わせることなく言えただろうか。
「手紙?」
けれどヘンリー様の反応は予想外のものだった。キョトンとして首を傾げている。
「はて? 手紙とは?」
そこで、まさか、と思う。
まさか、あの手紙は偽物だったのだろうか? 捏造?
でも王家の印は本物だった。仕事で何度も目にしている。精巧に作られた物にしては、出来が良すぎる。王家の印はかなり複雑なもので、専門の職人でも苦労するようなデザインなのだ。
でもそれなら……あれ? てことは、ヘンリー様は手紙をくれてないってこと? 三ヶ月も? それはそれで寂しいかも……。
「いっぱい送りすぎて分からないんだけど、どれのこと?」
うん、逆だった。一通も送ってこないじゃなく一杯あるのね、そうか。
なんだかそれも大問題な気がします。
「たくさん送ってくださったのですか?」
「ほぼ毎日書いてたからなあ……って、え、どうして? まさか──」
毎日って! と思ったけれど、驚愕に目を見開くヘンリー様の気迫に押されて、何も言えなかった。
グッと私の肩を掴む手に力がこもる。
「まさか……受け取って無いの!?」
私はそっとその手をどかして、それがある場所に向かった。
帰宅してばかりで荷物はそのままだけど、それだけは大事に持ってたのだ。部屋の隅に置かれたバッグからそれを取り出した。
「受け取ったのはこれだけです」
「これだけ!?」
驚きつつも手紙を開いて見たヘンリー様は。
案の定。
「何だこれは!?」
と叫ぶのだった。