18、
夜会で初めて会った時、彼はヘンラオと名乗った。
美しい容姿に似合わず、ちょっと悪い笑みを浮かべて私をからかう。かと思えば少年のように屈託のない笑みを浮かべたりもする。
ふと会話が途切れた時に彼を見れば、とてつもない優しい笑みで私を見ていたこともあった。
そんな表情を目にして、胸が高鳴らないわけがない。
苦しかった。
嬉しかった。
知らない感情に戸惑いながらも、幸せだった。
出会ってから過ごした時間はわずか。けれどそんなことを感じさせないくらいに、彼との時間は濃密だったのだ。
諦めよう。けれど忘れたくない。相反する気持ちに苦しくなった。恋とはとても苦しいものだと知った。
そんな初めての感情を教えてくれた存在が、今目の前に。
「ヘンラ──」
「これはヘンリー様。当事者である貴方がおられないので、戸惑ってしまいましたよ」
「申し訳ないボルノ公爵、ちょっと立て込んでおりましたので。──父上、話はどこまで?」
「今、婚約の話を提案したばかりだ」
「そうですか」
何が何だか分からない。頭の中には疑問符だらけ。
それが今の私です。
え、何これ。どういうこと? 誰か説明してよ。
不安一色でキョロキョロしていたら、クロヴィス様と目が合った。相変わらず同じ微笑みを浮かべていて、説明してくれなさそうな顔だなあ。
そう思っていたら、ニッコリ微笑まれてしまった。優しい顔で。ヘンラオ様と同じ金髪碧眼なのに、とても柔和な印象のクロヴィス様。そんな彼が立ち上がり、私に近付いてきた。
「ええっと──」
「ときにアデラ嬢、今、この話を断ろうとされて──」
「わーわーわー!!!!」
されてました?
と、最後まで王太子の台詞を言わせまいと、父が王太子の口を塞いだ。えええ、それ不敬にならないの?
「クロヴィス様、娘は少々混乱しております! なので今日のところは一旦帰宅してですね、後日また──」
「その必要はありませんよ」
髪を振り乱し、汗ダラダラの父を押しのけたのはヘンラオ様。
それから彼は、私の前に出た。ちなみに父はまだクロヴィス様の口を塞いでいる。手、のけた方がいいと思いますよお父様。
私の前に立ったヘンラオ様は、呆然とする私に向かって恭しく腰を折るのだった。
「こんにちは、アデラ嬢。数日ぶりですね」
「ヘンラオ様、ですよね……?」
挨拶に挨拶を返さないことを非礼と考えることも出来ず、私は確認のように問う。
それに対して彼はニッコリと微笑む。
「この立場として会うのは初めてだね。初めましてアデラ嬢。私の名前はヘンリー、この国の第二王子です。以後お見知りおきを」
そう言って。
彼はそっと私の手の甲に口づけるのだった。
──いやちょっと待って。ものすごく待って欲しい。
今、なんて言ったの?
「え、ヘンラオ様……」
「ヘンリーです」
「いや、ヘンラオ様ですよね」
「そんな変な名前ではありません」
「いやだってそう自分で名乗って……」
しつこく食い下がったら、ガッシと両手を握りしめられてしまった。
そしてズイッと顔を近づけて、彼はニ~ッコリと微笑んでもう一度言うのだった。
「私の、名前は、ヘンリー、です!!」