(2)噂の悪魔
2024年8月11日に投稿した短編の再掲です。
オレを地上に召喚したのは、まだ青臭いガキだった。
そいつは、オレをキラキラとした瞳で見上げている。
オレは悪魔だぞ。少しは恐れ慄くのが礼儀ってもんだろう。
それなのに、期待に満ちた目でオレを見つめるそいつが面白くて、ついつい笑ってしまった。
「あなたは?」
「オレは噂の悪魔だ。」
「噂?」
「そうだ。」
悪魔ってのは、人の恐怖から生まれる。
死ぬのが怖い。死の悪魔。
病気が怖い。疫病の悪魔。
飢饉の悪魔、戦争の悪魔、災害の悪魔なんてのもいる。
他にも、身の回りの恐怖からも悪魔が生まれる。
高い所が怖い、高所の悪魔。
ゴキブリが怖い、虫の悪魔。
沢山集まった穴が怖い。集合体の悪魔。
「噂なんて怖いの?」
「もちろんだ。自分の知られたくない噂を広められたり、ありもしない噂が流れたら……、そう考えると怖いだろう?」
そいつは無言で頷いた。
「そして、噂によって、人は精神的にも社会的にも死ぬことがあるんだ。知ってるだろう?」
「うん。確かに噂は怖い。」
「その恐怖からオレが生まれた。最近はネットのおかげで、噂はより速くてより広くに流れるようになり、しかも永遠に残るようになった。」
そいつはまた頷いた。
「だからオレは強大な力を持つ。お前くらい一捻りだ。」
オレは高らかに笑った。
だが、そいつは恐れる様子がない。こういう奴が潰れていくのが面白いんだ。
「さて、本題に入ろうか。お前の願いを叶えてやろう。巨万の富か?誰かを殺すか?噂の力があれば叶えられる。」
「本当に?」
「ああ。そのためにオレを召喚したんだろう? その代わり、願いに応じた代償が必要だ。」
無言で頷いて返事をする。覚悟はあるのだろう。そいつは少しだけ逡巡し、恥ずかしそうに願いを言った。
「もっと彼から好かれたい。」
本当に青臭い願いだ。
純真というか、細やか過ぎるというか。
「そんなもので良いのか。」
「はい。」
今度は声を出して返事をした。良いだろう。馬鹿らしいが、その願いを叶えてやる。
「代償はお前の記憶だ。今、オレと出会っている記憶をもらおうか。」
「たったそれだけで良いの?」
それで充分だ。有り余るくらいだ。
「ついでに、お前に特別な力も付けてやろう。人の噂が見える力だ。」
「噂が見える?」
「ああ。人が話す噂が、どんな噂か見える力だ。あっても邪魔にはならんだろう?」
そいつは静かに頷いた。
「契約するか?」
オレは手を差し伸べる。
そいつは、迷いなく手を伸ばしてきて、オレの手を取った。
「優しいんだね。悪魔だから、もっと怖いものだと思ってた。」
オレは苦笑した。
契約が終わり、そいつはもうオレのことなんて覚えていない。
オレは、そいつの好ましい噂を広め、彼にそれを信じさせる。簡単なことだ。
あとは放っておいても、願いは叶うだろう。
元いた場所に戻ったオレは、薄暗い通路の奥に座り込んだ。
呪いの噂を広めるのにも飽きてきた頃だ。
オレには地上を眺め、そいつを見つめるという楽しみができた。
そいつは噂が見えるようになっても、彼を信じていられるだろうか。
正気を保っていられるだろうか。
壊れていく様子を想像ただけで面白くて笑えてくる。
「噂は、人が信じる狂気であり、人を終わらせる凶器でもある。」
誰が言ったか知らないが、オレには最高の褒め言葉だ。