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 私は軒先(のきさき)に一杯植えてある菜の花を一抱え積むと、それをもって村に売りに行きました。菜の花は食用にも適していますし、江戸から来た料理人が珍しいものを求めて、この辺りまで食料品を仕入れに来ることもあるのです。なにせ浦賀に住む奉行所の人や黒船に乗ってやってきた異人さんに適当なものを召し上がっていただくわけにはいきませんから。


 とはいえ菜の花というものはそう珍しいものでもありません。この日本国の「津々浦々(つつうらうら)」、探せばどこにでも咲いている、ごく普通の、一般的な野草です。ですから私が積んできた菜の花も江戸や浦賀にいるお偉いさんの口に上るということはまずなく、だいたいがこのあたりの民家でおひたしかなんかにされてしまいます。


 菜の花のおひたしは私もよく食べますが、あれはあれでなかなかおいしいものです。他のおかずに少しお魚が欲しいところですが、あれだけでもご飯のおかずにちょうどいいかもしれません。この辺りは漁師町ですので、魚をごく習慣的に食べます。このあたりの地魚といえば(さば)などが有名で、久里浜辺りに行けば(たこ)なども名物のようです。なんでも久里浜の蛸は、江戸ではかなり高値で取引されるそうなのですが、正直なところ、私は蛸はあまり好きではないのです。あのにょろにょろしたところが、どうも……。


 このあたりでもウナギのとれる時代でした。ウナギのかば焼き屋はこの辺りにもこじんまりとした店が一軒出ていて、私も親のいた時分、年に一回あるかないかですが、連れて行ってもらいました。


 ですが、今は店の前を通りすがる際、ウナギのたれのにおいをかぐのが関の山といったところです。ウナギのたれは本当にいいにおいがするので、あれだけでもご飯が一、二杯は行けるだろうと思います。もちろん二杯も三杯もご飯をお替りしたら、私は姑さんに「このごくつぶしめ」といわれた挙句(あげく)、ぶたれてしまうことでしょう。ですので、ご飯は一杯に留めておきます。誰だって顔を張られたくありませんからね。痛いのは嫌です。


 このあたりは決まった漁民(ぎょみん)以外、めったに人の出入りがありません。ですから名のある方がこの村を訪ねてくるということはあまりないのです。この半島で「風光明媚(ふうこうめいび)」で歴史と文学の香りのするところは、主に鎌倉(かまくら)の方にありますから。三崎で有名なのは新鮮な魚ぐらいです。最近では黒船が来たことで、久里浜や浦賀の方が名をあげましたが、この辺りはそんな事件とはまるで無縁なのでした。


 それでもショウイン先生という人の名前は、さすがに覚えました。これは数日前のことですが、この家に「失礼つかまつる」といってずかずか上がり込んできたお侍衆(さむらいしゅう)がいたのです。聞きなれない土地の言葉でしたが、黒船が来てからというものこの辺りには日本全土の(はん)からお侍様がやってきていたので、私は特に不審とも思いませんでした。ですが(しゅうとめ)さんは


 「あれはひとを殺したことがあるよ」


 とこちらを怖がらせるようなことを言うのです。なるほど見るとお侍様たちの目は血走っていましたし、常に刀を腰に帯びています。そしてくちを開けば、どこかにいるショウイン先生という人を取り戻す算段ばかりねっているのです。


 話を聞くにしたがって、そのショウイン先生という人がお上に何かしらで逆らった人であることが分かってきました。しかしこの武士(ぶし)たちは、それを不服としているようなのです。


 恐ろしいと思いました。正直、とても物騒な人たちです。しかし物腰はとても柔らかく、礼儀正しく、躾が行き通っていることが分かります。きっとそのショウイン先生から、いい教えを受けたのでしょう。それでも姑さんが言うには、


 「この連中たちは人を殺すことができる人たちだし、そのためには自分さえ殺すこともできる連中だ。こんな奴らに愛想よくするんじゃないよ」


 とのことでした。当然ですが、姑さんはこのことを彼らの見ていないところで言いました。侍衆は優しい人たちでしたが、それがいつ豹変するかは分からないからです。侍衆は三人もいましたし、私たち家族もそれほどお金持ちなな身の上というわけではありません。たまたまこの年、米がよく取れてで、三人の武士を数日食べさせるだけの食料があったというだけでした。


 白米ではありません。(あわ)です。皆さんは粟など食べたことがないでしょう。この近くに粟田という土地があり、そこで粟を作る農家が多く住んでいるのです。白いお米など生まれてからこの方、私は一度だって食べたことがないのです。


 三人も少しは手持ちの食糧(しょくりょう)を持っていましたが、それは水筒に入れた水や、ここへ来るときに飴屋で買ったらしいべっこう(あめ)などでした。


 かれらは飴を私と翔太にくれました。私たちはそれで手なずけられてしまったようなものです。お侍様たちがどこの(はん)かわからないので、私は勝手に彼らを「べっこう(海亀のこうらのことです)藩」の武士と名付けました。


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