春を告げる黄金 六話
イジスは甘い香りで目が覚めた。重くて絡みつくような、どこかで嗅いだ香りだ。
「あ……俺、いや……私は……申し訳ございません!」
慌て飛び起きた。どうやら話した後、寝ていたらしい。目の前では花染め屋が柔らかく微笑み、ティーポットから新しい茶を注いでいた。今度は紅茶らしい。切り分けられたパンの入った籠や、ジャムの入った小さな壺なども並んでいる。
「お気になさらないでください。疲れが出たのでしょう」
イジスは恐縮しつつ言葉に甘えた。確かに、先程より強く大魔法を使った後のような疲労感がある。魔力もほぼ無い。この十日間の疲労が一気に出たのだろう。
「簡単なものしかありませんが、どうぞお召し上がりください」
花染め屋は優しく微笑み、紅茶と軽食をすすめた。思わず涎が出そうになったイジスだが、憧れの真の魔法使いの前で寝落ちたあげく、食事まで世話になる訳にはいかない。
「いえ、流石にそこまでは……」
「これから私も魔力を使いますから、しっかり食べておきたいんです。さあ、どうぞ」
駄目押しのようにイジスの腹が鳴り、赤面しつつパンとジャムに手を伸ばした。薄い琥珀色のジャムから、あの重くて絡みつく甘い香りがする。パンに塗って口にして、何のジャムか思い出した。
(花蜜ジャムだ)
ここ、フリジア王国の名物の一つだ。シロップフラワーという百合に似た花を、その花の蜜ごと煮込んで作る。この花と花の蜜は、非常に芳香と甘みが強く滋養があり疲労に効く。パンも王都によくある柔らかくきめ細かいものだ。花蜜ジャムによく合う。
「お口にあいましたか?」
「はい。身体に染み渡るようです」
気づけば夢中で食べていた。花染め屋も美しい所作で次々に食べ、紅茶を飲んだ。
あっという間に、籠も小壺も空になり、花染め屋が奥に下げてくれた。
共に一息つき、紅茶で口を湿らせながら話す。先ほどまでの疲労感は、かなり薄れていた。魔力も戻りつつある。
「とても興味深い物語でした。大冒険ですね」
大冒険か。確かに、イジスにとってこの十日間は未知の経験ばかりだった。
「恐れ入ります。花染め屋様のお気に召したようで安心しました」
「もちろんです。それに、ジェドさんの活躍まで聞けるとは予想外でした」
花染め屋の頬が、ほんのりと染まる。
(流石はジェドだ。ここまで名声が届いているのか)
感心しつつ、それに比べて己の非力が情け無くなる。何もかも他人の力を借りてばかりだ。
また卑屈な思いに囚われる。
「なにより、エフォート様のご活躍が素晴らしい」
「私の活躍?」
「はい。魔法での活躍と、人望での活躍です」
きらきらと輝く新緑の眼差しに射抜かれ、イジスの卑屈は砕かれた。
「特に人望です。これを築くのは難しいことです。エフォートだからこそ、ラリアさんのご家族もエフォート様には打ち明け、偏屈な古道具屋は協力し、ジェドさんは助けてくれたのでしょう。少し羨ましいです」
「羨ましい……?」
偉大な真の魔法使いでも、自分のような未熟者を羨ましいと思うのか。
自分にとって当たり前の事を、こんなにも讃えてくれるのか。
花染め屋は柔らかな笑みを浮かべ、居住まいを正した。
「イジス・エフォート様、よき物語を聞かせて頂きました。貴方のために【黄金の慈悲】を染めてみせましょう」
花染め屋の言葉に頷き、【黄金の慈悲】と金輪花を差し出した。
◆◆◆◆◆
花染め屋は机の上に【黄金の慈悲】と金輪花のうちの一輪を並べた。そして椅子から立ち、金輪花を手に取って【黄金の慈悲」にかざした。
「───」
詠唱が響く。イジスは椅子から腰を浮かし、注意深く耳を澄ました。
(これは……ルディア王国の古語か)
イジスは魔法研究の一環で学んでいるので、おおよその意味がわかる。
《魔法の花よ、花ひらよ、お前の色を私におくれ。
魔法の花よ、花ひらよ、花ひらの色はお前の力。お前の命の色。
魔法の花よ、花ひらよ、お前の力を私におくれ》
呪文を繰り返し詠唱する。だんだんと、花染め屋の身体が光っていく。金輪花に負けない強い光だ。光の色は金にも銀にも見える。光りは金輪花に注がれ、金輪花の輝きがさらに眩くなる。
そして、【黄金の慈悲】……使い古され白茶けた杖が、金色に染まっていく。
「美しい……」
色味がますごとに、金輪花の輝きと色味は褪せていき枯れていく。その過程すら美しかった。
とうとう金輪花は枯れて崩れ、後には金色に染まり淡く輝く【黄金の慈悲】が残った。
「済みました。どうぞお手に取って下さい」
イジスは震える手で【黄金の慈悲】を取った。触れることで、強い魔法の力が伝わる。宮廷から支給される魔道具に劣らぬ強さだ。
「たった一輪での染魔だというのに……素晴らしい」
これなら、最上級治癒魔法を発動出来るはず。後は、イジスの魔力と技量次第だ。
(必ずやり遂げる)
イジスは【黄金の慈悲】を握りしめ、花染め屋に向き直った。
花染め屋は、崩れて机の上に散らばった花をいじっていた。何をしているのかと見ていると、金茶色の粒を取り出して小さなガラスの容器に入れた。コルクで蓋をし、大事そうに両手で持っている。イジスの視線に気付いたのだろう。柔らかな声が疑問に答える。
「金輪花の種です。花から命をもらったお礼に、この種は良い場所と時期を選んで植えます」
「花に礼を……もしや、使わなかったもう一輪もそのようにされるのですか?」
「ええ」
この時のイジスの深い感銘と衝撃は筆舌に尽くし難い。
(花に対して敬意を表するのか……花染め屋様は、ただ強い魔法が使えるというだけではなく志も素晴らしい。叶うなら師事したいものだ)
イジスの敬意のこもった眼差しに気づいているのかいないのか。花染め屋はやや早口で言い募った。
「エフォート様、花染めに不足はございませんね?早くラリア様の元へ向かわれて下さい」
その通りだ。イジスは慌てて辞した。花染め屋は見送ってくれた。ドアを開けると、やはり外は霧で伸ばした腕の先も見えない有様だ。花染め屋はすかさず、帰りもあの花びらのような光が案内すると保障した。
最後に、花染め屋はあの花びらを思わせる柔らかな微笑みを浮かべた。
「私はエフォート様を応援します。いえ、私が何をしなくとも色々とお節介を焼かれると思いますので、ご安心ください」
意味深な言葉に首を傾げつつ、イジスは【静寂の森】から王都へと向かった。
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二章完結まで毎日更新予定です。時間はまちまちだと思います。
三章連載再開しました。また、2023/07/24。「プロローグ」を「はじまりの章」と改題。大幅に加筆修正しました。花染め屋の過去と、一章直前までの話を盛り込んでいます。修正前のプロローグを読んだ方にも、ぜひ読んで頂きたいです。