春を告げる黄金 一話
よく視点が変わります。よろしくお願いします。
三章完結まで、毎日更新予定です。
三月の初め。よく晴れた朝のことだった。
春とはいえ風はまだ鋭く冷たく、芽吹き出した森の木々を揺らしている。揺れる木々からこぼれる光が、森を歩く若者を照らす。
若者は地味なフード付きローブに身を包んでおり、両手と荷物をローブの下に隠している。フードに隠された髪は白茶色、目は茶色だ。神経質そうな顔を厳しくしかめ、警戒しながら歩いている。
当然だ。
何を運んでいるのか。どうしてこの森にいるのか。もし、誰かに知られれば身の破滅だ。
(何が宮廷魔法使いだ。噂にすがりついて情け無い。だが、バンスに頼るわけには……)
若者、イジス・エフォートは自分を罵りながら森を歩く。
ここは、フリジア王国王都郊外にある【静寂の森】だ。誰でも入ることが許されているが、魔獣や魔物が出る上に迷いやすい。近づく者は少ない。
近づくのは冒険者と、ある噂を信じる者たちだけだ。
(だが噂通りだとして、たった一輪で【染魔】できるのか?)
苦悩するうちに森の奥まで来てしまった。足を止める。
(だいぶ進んだな。一応、発動させるか。……風よ。我が敵を知らせよ【索敵】)
周辺を探る低級魔法を発動させる。森に入ってから定期的に発動させていたが、魔道具が無いので探れるのは半径五メートルほどだ。
イジスは『ほとんど無意味だが、やらないよりはマシだ』と、また内心自嘲した。が、人間の魔法が弱まった現代では突出した実力だ。宮廷魔法使いになれた所以である。
(草木と虫と小動物以外は何もいない。ここに来るまでも、それら以外の気配を感じなかった。もう、いいだろう)
踏ん切りがつかなかったが、覚悟を決めた。荷物を強く抱きしめながら、口を開く。
「花染め屋、花染め屋、どうかその指で染めておくれ。花は一輪、物語は一つ、どうかその指で染めておくれ」
歌うように囁くように唱えるように、教えられた言葉を森の中に響かせる。木々がさわさわと動き、光の粉を散らす。それはだんだんと、白く輝く霧になっていき、森を満たしていった。
イジスはこの先にいる存在の力を認め、怯えた。
(噂は本当だったのか。霧はどんどん広がって濃くなっていく。これは魔法には違いないが、魔道具があってもこんな大規模なことができるのか?……いや、そんなことは後でいい)
やがて、霧の狭間に道が示された。ある方向だけ霧が薄く、誘うように小さな光がひらひらと舞う。花びらか蝶か。いずれにしても、これもこの先にいる者の魔法だ。
怯えを振り切り、イジスは前に踏み出した。
(待っていてくれラリア。必ず君を助けてみせる)
イジスの覚悟に呼応するように、幾ばくか立たぬうちに家が現れた。
◆◆◆◆◆
霧の向こうから現れたのは、温かみのある色の家だった。木製の扉の上には【花染め屋】と書かれた看板がかかっている。イジスが扉を叩くとすぐ、扉の向こうから柔らかな声が聞こえた。
「いらっしゃいませ。どうぞお入りください」
イジスは緊張しつつ扉を開け、中に入った。
中は驚くほど明るい。光は、左右の壁にある窓から入る。しかも、贅沢なことに硝子窓だった。
あんなに霧が立ち込めていたのに、まるで別世界に入ったかのようだ。イジスはますます警戒し、鋭い眼差しで部屋の中を確認した。
(他はこれと言って変わったものは無いな)
部屋の壁は漆喰だろうか。温かみのある白色で、床と柱の木の色と調和している。
中央に大きな机と椅子が数脚あり、向かって左の壁沿いに大きな箪笥、右の壁沿いに暖炉があり、正面奥に木でできた扉があった。
「いらっしゃいませ」
扉が開き、若い女性が声をかけて入ってきた。
顔立ちと所作が目を引いた。町娘らしい格好をしているが、この辺りでは珍しい黒髪と新緑色の大きな目をしている。所作には品がある上に、少女の軽やかさと妙齢の女性の落ち着きが合わさっている。
(艶やかな黒髪。やはりルディア王国の……)
女性は、手にティーセットを乗せた盆を持っていた。爽やかな香りがただよう。
「どうぞ、おかけになって下さい。森の中を歩いてお疲れでしょう。お口に合うか分かりませんが、薬草茶をいれました。お召し上がり下さい」
「お気遣いありがとうございます」
声は、穏やかで柔らかい。表情も実に和やかで、まるで知己を茶に誘ったかのようだ。
あんなに緊張していたイジスも和んでしまう。
うながされるまま椅子に座る。ティーカップが置かれ、爽やかな香りの茶が注がれた。
(いい香りだ)
薬草茶の香りに、身体からさらに力が抜けた。それでも警戒心を完全に無くしたわけではないので、向かいに座った女性が口にしてからティーカップに手を伸ばした。
薬草茶は、独特の刺激的な風味と清涼感のある風味が合わさっていて、まるで野原の香りをそのまま飲んでいるようだ。そこでようやく、馴染んだ香と味だと気づく。
フッと、イジスの口元がやわらいだ。
「春の味ですね」
「はい。ミントと早咲きのローズマリーを使っています」
(ローズマリーやミントを使った茶は、ラリアもよく飲んでいた。どこにでも生えているから安くてすむと言って。ああ、眠気覚ましに生えているのをそのまま齧って、はしたないと部下に叱られたとも言ってたな)
陽気で活発なラリア。今のラリアは、目を覚ますことすら出来ない。イジスはティーカップを静かに起き、意を決して懐から荷物を出した。
「真の魔法使い様とお見受けします。どうか、この古魔道具に染魔をかけ直して頂けないでしょうか?」
紐でぐるぐる巻きにした細長い包みと、円筒状の箱。二つを机の上に置き、まず細長い包みを広げた。
紐と布で厳重に包まれていたのは、イジスの肘から手首ほどの長さの古ぼけた杖だ。よく見ると精緻な彫刻が施されているが、白茶けていていかにも古道具然としている。
次に、素材保存筒と呼ばれる円筒状の箱から中身を出した。箱の蓋が外れた瞬間、ぱっと金色の光があふれ、部屋の中を満たす。
箱の中から出たのは、二輪の黄金色に輝く花だ。一目でただの花ではないとわかる。形はどこにでもありそうな五片花だというのに、花びらはもとより茎も葉も根っこの先まで黄金色に輝いている。
イジスは眩い光を浴びながら、片手を胸に当てる最敬礼の姿勢で名乗った。
「申し遅れました。私はイジス・エフォートと申します。魔法局に所属している宮廷魔法使いです」
魔法局は、宮廷魔法使いが所属する部署だ。イジスは誠意を表すため、その身分を明らかにした。
「かしこまりました。お題は【金輪花】のうち一輪、願いに至る物語を一つ頂きます。よろしいですね?」
「はい。しかし、魔法植物を対価にするのはわかりますが、物語というのはどういう事でしょうか?」
「ふふふ」
女性は花びらが風に舞うような、軽やかで柔らかい笑みをこぼした。
「エフォート様、そのように畏まらないで下さい。私はただの花染め屋です」
「何を仰る!私は未熟者ですが、真の魔法使いに対して敬意を払わない無礼者ではございません!」
かつてと違い、人間の魔法は弱くなってしまった。どんなに研鑽を詰もうと、魔力があろうと、魔道具がなければ魔法の威力は大幅に下がる。
フリジア王国においても、魔法使いは皆、魔道具に頼り切っていた。その魔道具とて、魔法植物による【染魔】がされていなかったり、何回も使われると威力がなくなってしまう。
魔法植物とは、文字通り魔法の力を持つ植物だ。それぞれ属性がある。一般的なのが火、水、風、土の四属性。他に、光、闇などの特殊属性がある。
現代の魔法使いは、使いたい魔法の属性に即した魔道具を用いることで、自分の魔法を強化しているのだ。
この【染魔】が出来るのも、魔道具に頼らず魔法を使えるのも、ルディア王国の魔法使い一族だけだ。ゆえに染魔の一族あるいは真の魔法使いの一族と呼ばれる。
(このお方は、ルディア王国の魔法使いに違いない)
イジスは敬意を込めて見つめ、女性はそれをさらりと流した。
「そう固くならず、どうぞ花染め屋とお呼びください。気に入っておりますので」
「……かしこまりました」
はぐらかされた。少し納得出来なかったが頷く。ルディア王国が他国との国交を制限して十年経つ。真の魔法使い、いや、花染め屋にも事情があるのだろう。
「では、エフォート様がここに来るに至った事情をお話し下さい。貴方様が語る物語こそが、私への対価になります」
「少し長くなりますが、お話しします」
イジスは花染め屋の、新緑色の目を見つめながら語り出した。
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