はじまりの章
2023/07/24。「プロローグ」を「はじまりの章」と改題。大幅に加筆修正しました。
物語の性質上、視点がよく変わります。よろしくお願いします。
はじまりの章+八章で完結の予定です。章ごとに話が一区切りします。
現在、三章まで書き終わっています。三章完結まで毎日一度か二度更新します。三章以降は、執筆の進行次第です。
少しだけ遠い過去の話。
『ティリアはこれから何がしたい?』
ティリアと呼ばれた十二歳の少女は首を傾げた。茶色く染めた髪がさらりと流れ、同じ色に染めた目が瞬いた。祖国ルディア王国から、ここフリジア王国に来てから半年後のことだった。
ティリアはこの日、この国での唯一の友達であるジェドと王都で遊んでいた。ジェドは夕焼け色の髪と琥珀色の目をした、少し年上の男の子だ。そして、ティリアの命の恩人でもある。
二人は広場の階段に座って、詩人や大道芸人を眺めながらクレープを食べていた。ティリアは、ただ遊ぶために過ごすなんて生まれて初めてで、楽しくて興奮していた。
そんな時にされた質問に、ティリアは笑顔で返した。
『これから?他のお菓子も食べたいな。こんなに美味しいものはじめて食べた。まだお金あるから、次は私がジェドくんに奢るね!』
ティリアは浮かれていた。フリジア王国に来てからは、王都郊外にある【静寂の森】にある隠れ家を与えられていた。そこで【おじ様】のお世話になりながら、与えられる仕事をしている。
無理矢理ではないし、仕事は好きだ。おじ様は口は悪いし厳しいところもあるが、祖国の家族と違って『ティリアには絶対に出来ないこと』を命令したりしないし、『可哀想な役立たず』呼ばわりもしない。
また、後日気づいたことだが何かとティリアの心を思いやっていた。ジェドと遊ばせたのも、ティリアの心を癒し、未来に目を向けさせるためだ。
ジェドもそれを知っていたのだろう。優しい声で、再び問うた。
『違うよ。ティリアは、これからこの国で何をしたい?どう生きて、どう過ごしたい?ずっと仕事かお使いしかしてないみたいだけど、ティリアはもっと好きな事をしていいんだよ』
『これから?この国で?』
ティリアはしばし悩んだ。
祖国ではずっと『こうしなさい』と言われるばかり。『なにがしたい?』『どう生きたい?』『好きな事をしていい』なんて、初めて聞かれた。
いや、違う。
(おじ様も『たまには遊んでいいぞ。仕事ばかりじゃ息が詰まる。やりたい事や好きな事はないか?』って、言ってくれてた)
じわりと、ティリアの胸が温かくなる。
(そうか。この国ではやりたいこと、好きなことをしてもいいのね。……なら、私は)
『ジェドくん、私ね、【花染め】仕事が好き』
正確には【染魔】という。だがティリアはその言葉を嫌い【花染め】と呼んでいる。
【花染め】は、魔法植物の力を魔道具などに染めることだ。かつてと違い、今の人間は強力な魔法が使えなくなってしまった。その為、魔法の力を持つ植物のその力で魔道具を染める必要があるのだ。
これは、ティリアの一族しか行えない仕事だ。しかも魔力も集中力も使う大変な作業だが、ティリアは昔から大好きだった。
『今日みたいに街歩きするのも好き。またこうやって歩いて色んな場所に行きたい』
ジェドの琥珀色の目がとても優しく細められた。
『うん。他にもあるかな?』
ティリアは、喜びと気恥ずかしさではにかみながら続ける。
『あとね、色んな人とお喋りするのも大好きなの。旅の間は楽しかった。いっぱい物語を聞けたもの』
かつての故郷、かつての家にいた時、ティリアの人生は辛く苦しいものだった。
そこから逃がされフリジア王国王都へと旅立った。
楽しいことばかりではない道のりだったが、旅人から旅の目的を聞いたり、故郷がどんなところかを聞く……その人が、自分について物語るのを聞くのが、ティリアはとても好きだった。
もっと聞いていたかった。
『あと……あのね、駄目だけど、元の姿でお話したいな』
【静寂の森】を出る時は、髪と目の色を変えて認識阻害魔法を発動させている。誰もティリアの本当の姿を知らないし、会話は記憶に残らない。理由のある事とはいえ、寂しかった。
『じゃあ、隠れ家に【花染め】のお客さんを招くのはどうかな?あの家にいる時は姿を変えなくていいはずだ』
『え?でも、いいのかな?』
『まずは、おじさんに相談した方がいいな。それに、これからもっと遊びに出ることも相談しよう。ティリアはこの国に慣れた。もっと気軽に街歩きしていいと思うよ。認識阻害も緩和してもいいんじゃないかな?』
『楽しそう。でも……』
琥珀色の目が寂しそうに陰り、ティリアの胸がキュッと鳴る。
『ティリアがしたくないならやめよう』
『……ううん!したい!私【花染め屋さん】になる!』
こうして、ティリアは【花染め屋】になった。
◆◆◆◆◆
ティリアは懐かしい思い出から現実に帰った。
今はあれから十年後だ。窓から入る早春の日差しが、ティリアの艶やかな黒髪と新緑色の大きな目を照らした。
ティリアは今日も、フリジア王国王都郊外にある【静寂の森】の工房兼隠れ家で、魔法植物で魔道具を染めていたところだった。
大きな机の上には魔道具である指輪が何個かと、雛菊に似た花が束で置いてある。
(きっと、この夕焼け色の【蝋燭雛菊】を見たせいね。ジェドさんの髪にそっくりなこの色を)
ティリアは唇に笑みを浮かべた。優しい花びらのような笑みだ。
(さて、おじ様からの仕事を終わらせないと)
ティリアは改めて、大きな机の上にある夕焼色の雛菊に似た花の花束と、指輪数個を見た。
花は花弁の先から根っこまで綺麗にそろった【蝋燭雛菊】だ。
名前の通り、八重の雛菊に似た魔法植物だ。丸っこい花の全体が夕陽色で、真ん中が黄色い。可憐な見た目ではあるが、小さな火の玉を吐く危険な魔法植物だった。
指輪はどれもくすんだ色をしている。これらは魔道具だ。まだ魔法の力が込められていなかったり、その力が薄れたので染め直す必要がある。
ティリアは花束から一輪、指輪たちからくすんだ赤銅色の物を選び、目の前に置いた。
(集中しないと)
まず【蝋燭雛菊】を持ち上げ、指輪の上にかざした。全身を巡る魔力を【蝋燭雛菊】に注ぎながら詠唱する。
旧い旧い故郷の言葉の呪文を。
《魔法の花よ、花ひらよ、お前の色を私におくれ。
魔法の花よ、花ひらよ、花ひらの色はお前の力。お前の命の色。
魔法の花よ、花ひらよ、お前の力を私におくれ》
ティリアの魔力があふれる。赤にもオレンジにも見える光が、【蝋燭雛菊】を包む。光はますます強くなり、指輪に流れ込んでゆく。
ポッと、蝋燭に火が灯るように指輪が輝く。
しばらくそうして光を注いでいると【蝋燭雛菊】が枯れていった。ボロボロに崩れて机の上に落ちたそれを、ティリアは丁寧に集めておく。しかるべき場所になおすのは後でだ。
先に指輪を確認する。
くすんだ赤銅色だった指輪は、ほんのりと夕陽色を帯びた金色の指輪になった。触れると少しだけ輝きが増す。
(しっかり染まってる。このまま他の指輪も染めましょう)
ティリアは全ての指輪を染め上げた。今日の分の、【おじ様】からの仕事はこれで終わりだ。枯れた花と指輪たちをしかるべき場所にしまい、机の上を片付けた。
段取りがよかったので、まだ午前中だ。お茶を淹れようとして、【静寂の森】に誰かが入ってきたのがわかった。
「お客様だわ」
途端、ティリアは【花染め屋】の顔になった。
ティリアは五年ほど前から、願い通り飛び込み客を受け入れるようになった。
飛び込み客が来ると気配でわかる。おじ様が森に張り巡らせた守護の魔法がざわざわと揺れ、客の心を少しだけ伝えてくれる。
客の心は様々だ。決意を宿した心であったり、不安な心であったり、怒りに満ちた心であったり、悲しみに揺れる心であったり、希望を抱く心であったりする。
「今回のお客様はどんな方かしら」
もし、ティリアに対して邪な想いがあればここには辿り着けない。いつの間にか森の外に出ているか、命を奪われる。邪な思いが無ければ、この工房兼隠れ家まで誘導される。
だからティリアは、工房の扉を叩く音がするまで待つのだ。
「お客様、どうかここまでたどり着いてください」
そう祈りながら。
お代はたった二つ。それだけでいいですからと。
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2024/09/29 一部加筆修正しました。