第4話 安請け合いのしわ寄せ
彼女から聞いたところによると、今回の一件は以下のような流れで生じた問題だったらしい。
学生や教職員に新型コロナウイルス感染者が複数名生じたことに加えて緊急事態宣言の発出もあり、畿内医科薬科大学では昨年12月から現在に至るまで対面でのクラブ活動は全面的に禁止されたままだが、畿内歯科大学は緊急事態宣言期間中でなければ対面でのクラブ活動も限定的に認めるという方針だった。
活動前後および活動中の飲食は一切禁止で活動時間も19時までと厳しく制限されているが、それでも今年4月25日に緊急事態宣言の期間が始まるまでは各部活の新歓活動は対面で行われていた。
休学明けの美波は一児の母となったこともあり入学時から所属していた軽音楽部はこの機会に引退しようと考えていたが、ギターボーカルとして十分以上に能力がある上に軽音部の看板娘である美波には部員たちから熱烈な復帰オファーが届いた。
練習で帰宅が遅くなると初人と過ごせる時間が減ってしまうと悩む美波に、俺は夫というよりも同じ医療系の学生として、学生の間しか楽しめない部活という経験を大事にして欲しいと伝えた。
美波のご両親も娘が子供のために大学生活を犠牲にすることには反対し、美波はギターボーカルとして軽音部に復帰することになった。
軽音部の部員たちが美波の復帰を熱烈に希望したのは同じ部活の仲間でありギターボーカルとして優秀だからという理由もあるが、一番の目的は新歓活動の成功だった。
どこの部活でも新入生から見て美人あるいはイケメンの先輩と呼べる部員は重宝されるが、美波の美しさは女子大生の中で群を抜いている。
医療系大学であり学生数が少ない畿内歯科大学はもちろん美波の美貌は関可大学や克明館大学など大規模な私立総合大学でも通用するほどで、軽音部にとってこれほど美しい女子部員を新歓に活用しない手はなかった。
先述した大学の方針のため飲み会を開催したり新入生たちにデリバリーの食事を振る舞ったりすることはできなかったが、軽音部の新歓は部室において無事に行われた。
参加者全員がマスクを着用した状態で、畿内歯科大学の新入生たちは現役部員から楽器演奏の指導を受けたり普段の活動内容について質問や相談をしたりと充実した新歓活動となった。
軽音部に恐るべき美しさを誇る女性の先輩がいるという噂は新入生の間で広まっており、軽音部の新歓に参加した十数名の学生のうち女子学生は1名のみという驚異的な比率となったらしい。
美波はその場で自分は既婚者で子供もいると正直に話したので美波に近づくことを目当てに入部した学生は1人もいなかったが、それでも軽音部は男子部員3名と女子部員1名の新入部員を確保することができた。
緊急事態宣言の発出により対面での新歓期間は2週間ほどで終わってしまったが、それでもコロナ禍で4名もの新入部員を確保できたことは軽音部にとって大金星と言える成果だった。
たった数日の練習期間でも美波は新入部員たちに懇切丁寧にギターの扱いを教え、精神的に不安定だった頃の彼女を知っている部員たちはその姿に感動さえ覚えていた。
新入生の女子部員は自分もギターボーカルになって美波の後継者になりたいと志願し、そう言ってくれた嬉しさもあって美波はその新入生とあっという間に親しくなった。
そこまでは良かったのだが……
「宇都宮先輩って医学生の旦那さんがいるんですよね? こんなに美人で優しい先輩と結婚できるなんて、旦那さんも相当すごい人なんでしょう?」
「私から見れば最高の男性だけど、再試によくかかるし医学生としてはちょっと勉強不足かな。でも本当に素晴らしい人よ」
謙遜しつつも美波は俺のことを好意的に話し、新入生は目を輝かせていたらしい。
ちなみに美波は3回生の途中で結婚して俺と同じ名字になったがいきなり名前が変わると周囲の学生もやりづらいため、卒業までは学内では宇都宮という旧姓で通すことにしていた。
「へえー、やっぱりお似合いの相手なんですね。部活は運動部ですか? それとも文化部?」
「文芸研究会っていう文化部に所属してて、微生物学教室で学生研究もやってるの。全体的に文化系の男子ね」
「文芸……っていうと文芸部みたいなクラブですか!? 私、実は中高で文芸部に入ってたんです。医学部の文芸サークルとか気になります~」
「そうなの? 文芸研究会って聞いて興味持ってくれた子って初めてかも」
新入生は近畿圏内では最も有名な女子校の一つである神戸昇学院中高の出身者で、中学生の頃から文芸部で小説を書いていたという。
畿内歯科大学には文芸系のサークルがないこともあり、彼女は美波の夫が所属しているという文芸研究会に興味を持ったらしかった。
「あの、もし良かったらなんですけどそのクラブの部誌とか作品を見せて貰えませんか? いえ、少し貸して頂くだけでいいので! 宇都宮先輩の旦那さんの作品もぜひ読みたいです!」
「全然いいよ。じゃあ、また部誌を貰ってくるね」
この時点まではまだ問題なかったのだが新入生は美波の夫が書いた「小説」を読んでみたいと希望していたらしく、美波は彼女から俺がどんな作品を書いているのかと尋ねられた。
そこでつい見栄を張ってしまうのが、美波のよくない所で……
「詳しくは読んでみてのお楽しみだけど……まれ君は、すごく面白い小説を一杯書いてる。私もいつも楽しみに読んでて……うん……」
「流石は先輩の旦那さんです! 楽しみだなあ~」
美波が俺の書いた「小説」を読ませると安請け合いしてしまったせいで、俺たちは今現在の苦境に陥ったのだった。
その日は朝に2人で作った弁当を公園の広場で食べて、昼過ぎまで園内の施設を見て回った。
この自然公園は公園という名前だが公営のレジャー施設という側面も強く、小さな子供が全身を使って遊べる自然やアスレチックが豊富なため美波はいつか初人を連れてきた時に備えて各所をくまなく見学していた。
俺と2人で過ごせる時間を楽しみながら息子のこともちゃんと考えている彼女の姿に、俺は頼もしさを感じつつも少しだけ寂しい気がした。
それでも緑の芝生やアスレチックで成長した初人が元気に遊ぶ姿を想像して、俺はその日を楽しみに生きていきたいと思った。
美波は久しぶりのデートを心から楽しんでくれたが公園を出てから帰宅するまで俺の脳内はどうやって小説を書くか、というより書いたことにするかで一杯だった。
こういう事態となっては頼れる仲間たちに相談してみる他ないと俺は決意した。




