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気分は基礎医学  作者: 輪島ライ
2020年2月 病理学発展コース

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261 気分は再試

 2020年2月3日、月曜日。時刻は昼12時10分頃。


 午前中の診断学の講義を終えた僕は、2つ隣のいつもの席から林君に話しかけられた。


「おい白神。お前、最近何かおかしいと思わないか?」

「おかしいって? 特に何も思わないけど……」


 学年内で何かトラブルがあったという話は全く聞かないし、それ以外で特に違和感を覚えるようなこともない。


「柳沢のことだよ。あいつ、ここ最近1日も授業出てないぞ」

「あっ……」


 元々存在感が薄いので気づかなかったが、写真部員にしてヤミ子先輩の彼氏であるところの柳沢雅人君は確かに最近姿を見ていない。



「勝手に計算してみたけど柳沢はこのまま休み続けたらもうすぐ診断学の本試験受けられなくなるぞ。ただでさえ生化とか微生物とか面倒な科目の再試にかかってるのに、このままだと留年しかねないぞ」

「それ確かにやばいよね……」


 この大学ではそれぞれの科目について講義全体の3分の2以上(実習は100%)出席しなければ本試験を受けられず、必然的に再試験を受けるしかなくなる。


 医学部2回生の試験科目で最も留年に直結しやすいのは生化学であり、微生物学はそれに次いでハイリスクな科目とされていた。


 その2科目の再試にかかっているだけでも大変な柳沢君がさらに診断学の再試を受けることになっては留年一直線である。



「林君も気づいとったん? うちも何かおかしい(おも)ててんけど」

「いくら地味な奴だって1週間以上も連続で欠席されたら気づくよ。2日前にメッセージ送ってみたけど未だに既読無視されてるし」


 前方の座席から歩いてきたカナやんに林君はやれやれといった様子で答えた。


「なあ白神、お前何か知らないのか? 俺よりは柳沢に詳しいと思うんだけど」

「いやー、全然分からないです。僕からもメッセージ送ってみようかな」


 見当もつかない話を続けていると後方から誰かが僕に近寄ってきて、



「ちょっと塔也、あんたがそんなこと言ってちゃ駄目でしょ」

「あっ、壬生川さん」


 その相手は言うまでもなく壬生川さんだった。



「壬生川さん、どういうことだ?」

「塔也は柳沢君と付き合ってる山井先輩と前から仲が良くて、今日からは一緒に病理学教室で学生研究をするの。だったら塔也から先輩に聞いて貰えば一番早いじゃない」

「確かにせやね。白神君、任せてもええ?」

「それぐらいなら全然いいよ。今日の放課後に会うことになってるからその時に聞いてみる」


 壬生川さんのもっともな意見に納得して答えると林君はよろしく頼む、と言ってくれた。


 林君は医学部的リア充だけあって人柄は思いやりに溢れており、友達が大学に出てこないなどすれば真っ先に助けようとする好漢だった。




 そういう訳で僕は放課後に予定通り病理学教室を訪れ、そこでヤミ子先輩と再会した。


 久々に会ったヤミ子先輩は例によって美しかったがその表情にはどことなく影が差しており、まさか柳沢君と何かあったのではないかと僕は心配になった。



「……それで動物実験を始めたい訳だが、今は新型ウイルスのこともあって先が見通せない。万が一大学が閉鎖されても実験動物センターは通常営業のはずだから、とりあえず動物は発注して白神が来られなくなれば飼育は全部こちらでやっておこうと思う。残念だがこのご時世では仕方ないな」

「は、はあ……」


 研究棟5階にある病理学教室の教授室で僕はヤミ子先輩と共に今月から始まる学生研究のオリエンテーションを受けていた。


 やはり久々の再会となる紀伊教授は僕が病理学教室への配属を決めたことを歓迎し、来月から学生研究を本格的に始動させるために動物実験を企画するよう僕に申し付けた。


 2月に入ってますます世界中で感染拡大が続いている新型コロナウイルスの影響で来月からは大学も休校になるとの噂であり、紀伊教授からは今月中に動物実験の計画書を完成させて実験動物センターに提出するよう命じられた。


 3月から大学に登校できなくなっても動物さえ届けば飼育は病理学教室のスタッフで分担して行って頂けるらしい。



「ヤミ子は動物実験についてはずっと先輩な訳だから白神をいつも通り上手く指導してやってくれ。実験モデルについては俺と白神で相談するけど、計画書の書き方とかはヤミ子から教えた方がいいはずだ」

「…………」


 話を振った教授にヤミ子先輩は上の空で沈黙していた。



「おい、大丈夫か?」

「あっ……ごめんなさい。ちょっと考え事してて」

「何だ、ヤミ子にしては珍しいな。まあ病理医は四六時中考え事しててなんぼだけどな。ははははは」


 紀伊教授はいつもの軽いノリでそう流していたが、気さくな人物であるヤミ子先輩が人前でこのような振る舞いを見せるのは珍しい。

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