233 輝ける日々
塔也の父であり2018年12月に心筋梗塞で死去した白神吾郎は、広島県広島市内の貧困家庭に生まれた。
地元の民間病院の事務長補佐を務めていた父親は金遣いが荒い上に酒癖が悪く、幼い吾郎は酒に酔った父親に度々暴力を振るわれていた。
その病院の事務長補佐は院内で起きたあらゆるトラブルの処理を真っ先に押し付けられる中間管理職であり、長年続く仕事のストレスから父親はアルコール依存症に陥っていた。
9歳の時に父親をアルコール性膵炎で亡くしてから吾郎は市役所勤務の母親に母一人子一人で育てられ、幼い頃から勉学に秀でていた彼は地元で最も難しい公立高校へと進学した。
学費無料という条件に魅力を感じて高校卒業後は市内の理学療法士専門学校の推薦入試を受験する予定であった吾郎は、とあるきっかけから1年限りの大学受験を試みることになった。
進学校でトップクラスの成績を収めていた彼の才能を惜しんだ母方の伯父は吾郎に医学部受験を勧め、現役で国公立大学の医学部医学科に合格できればその後の学費は自分が工面すると申し出た。
模試の判定はC判定が限度だったがそれでも思い切って愛媛県にある伊予大学の医学部医学科を受験し、見事合格を果たした吾郎はそれからは伯父から資金援助を受けつつ医師への道を歩むこととなった。
「初めて吾郎さんに会った時はいつも人前でおどおどしてて、なんて頼りない人なんだろうって思ってた。だけど、あの人は私に告白する時にこう言ったの。君にも生まれてくる子供たちにも、僕は絶対に豊かな生活を送らせるって」
「……」
大学を6年間で順当に卒業した後は皮膚科教室の助手として伊予大学医学部附属病院に勤務し、臨床医としてのキャリアを積み重ねていた吾郎は29歳の時に同病院の勤務薬剤師であった黒田杏子と結婚した。
吾郎は3歳下の新人薬剤師であった彼女に自分からプロポーズし、結婚してから2年後には早くも一人息子となる塔也が生まれた。
その後に皮膚科教室の講師にまで昇進した吾郎は、38歳の若さにして松山市内に皮膚科のクリニックを開業した。
彼は地元では心優しく優秀な開業医として慕われ、クリニックの経営そのものは順調であった。
「初めてあの人が他人にお金を貸したのは、伯父さん相手だった。お世話になった伯父さんが投資をしたいから出資して欲しいと頼んできて、あの人は二つ返事でお金を貸したわ」
「そのお金は、どうなったんですか?」
「まず500万円を貸して、結局は追加で200万円融資して、一銭も返ってこなかったわ。伯父さんは親戚から姿をくらましたけど、あの人はかつての恩人を責めるようなことはしなかったのよ」
吾郎は大学生になって家庭教師のアルバイトを始めるまでは人生でまとまった金を手にしたことがなく、金の使い方を理解できていないことは医師になるまでも医師になってからもトラブルの原因になっていた。
誰に対しても優しすぎた吾郎はそれからも金の無心にやってきた高校の同級生に数百万円を貸してしまったり、怪しげなコンサルタントに騙されてクリニックにたった1日二流芸能人を呼ぶために数十万円を支払ったりしていた。
それでも彼は「失くした金はいくらでも稼げばいい」と言って毎日朝から晩まで診療に従事し、一人息子の塔也が私立医大に通う学費も自分の力で工面しようと努めていた。
「開業する数年前、あの人は大学病院でのキャリアが行き詰まっていつもストレスを抱えてた。看護師さんと不倫しちゃったのはそのせいだと思うし、連帯保証人にも好きでなった訳じゃなかったみたい。もちろん、だからといって浮気を許すつもりはないけど」
「そうなんですか……」
吾郎はクリニックを開業する3年前、35歳の時に職場の看護師と不倫関係に陥った。
開業が正式に決まった2年後にはきっぱりと縁を切ったものの、看護師を辞めて事業を始めようとしていた愛人は関係を妻に曝露しない条件として自分の事業の連帯保証人になるよう吾郎に要求した。
吾郎はそれから愛人とは一切連絡を取らないまま52歳で急逝したがその半年前に愛人は多額の負債を抱えて国外逃亡し、吾郎が死去してから3か月後に借金取りが杏子のもとを訪れたことで彼の不倫行為は発覚することとなった。




