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気分は基礎医学  作者: 輪島ライ
2019年4月 生化学基本コース

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23 気分は社長令嬢

 第二キャンパスから本部キャンパスへと歩きつつ僕はカナやんと話していた。


 よく考えると入学してから今まで2人きりで話すのは初めてだった。



「いきなりあれだけど、カナやんってたこ焼き作るんだね。しかも上手だし」

「まあそこは皆驚くわ……」


 畿内医科大学医学部医学科2回生のカナやん、つまり生島(いくしま)化奈(かな)さんは大阪弁がきつめでサバサバした感じの女の子だが実は学内でも有数のお金持ちのお嬢様だ。



 彼女の父親は株式会社ホリデーパッチンの社長で母親と叔父さんも理事に名を連ねている。


 要するに同族経営の企業の社長令嬢ということになる。



 ホリデーパッチンという名前だけで何の会社か分かる人は多くないがたこ焼きチェーン店「たこ焼き本舗メガドン」、お好み焼きチェーン店「コテ(かがやき)」、たい焼きチェーン店「たい焼き本舗シモン」といった系列フランチャイズの名前は関西人なら誰でも知っている。


 これらの有名なチェーン店はすべて株式会社ホリデーパッチンの傘下にあり、その資本規模の巨大さは経済学に素人の僕でも理解できる。



「実家の話でおちょくられるんが嫌なだけで、粉もんの料理はうちも大好きやで。実家の店のは食べ飽きとるから今は自分でオリジナルのを工夫してる感じ」

「そういうことかー」


 社長令嬢は流石に珍しいが畿内医大のような私立大学の医学部医学科には実家が資産家である学生も少なくない。


 ただ、カナやんの実家は近畿圏では知名度が高すぎる上に阪急皆月市駅前にはメガドンの店舗が、JR皆月駅前にはシモンの店舗があるせいで畿内医大においてカナやんの存在はどうしても目立ってしまう。


 相手は親しみを表現したつもりでも、頻繁に実家のことを話題にされては彼女もうんざりしてしまうだろう。



「これも聞いていいか分からないけど、カナやんはどうして医学部に入ったの? しかも研究医養成コースで」

「えーと、実家を継がんくてええのってこと?」

「うん。何回も聞かれてたら申し訳ないけど僕も気になってて」


 きょうだいが後継者になるという可能性も十分にあるが、それにしても彼女が実家の業種とは何の関係もない医学部医学科を受験してしかも卒後10年間は大学に残る必要のある研究医養成コースで入学した理由には純粋に興味があった。



「まあ、白神君ならええかな……」


 カナやんはそう言うと歩きながら事情を説明し始めた。



 カナやんは中高一貫の女子校にして近畿圏でも有数の進学校である神宮寺(じんぐうじ)高校を卒業してからこの大学に現役合格している。


 彼女が神宮寺中学校に入学した時点では両親は一人娘を名門大学の経営学部に入学させて会社を継がせようとも考えていたようだが、当の彼女は文系よりも理系の学問に興味があった。



 かといって漫然と名門大学の理学部や工学部に進学するのは企業経営者だけあって将来の実益を重視する両親に反対される可能性が高い。


 そこで、カナやんは医師という資格職になりつつ理系の研究を行える医学部医学科を目指すことにした。



 その一方、カナやんは高校生の頃から勉強で苦労したことはなかったが親戚に医師は一人もおらず、大学受験の時点でも医師の仕事に関する知識は皆無に近かった。


 医学部に入れる学力はあるにしてもこのようなバックグラウンドでは面接試験で不利になる。



 そんな中で彼女が見つけたのが畿内医大の研究医養成コース入試だった。


 学費が大きく減免され、研究に特化したモチベーションが評価され、そして実家から通えて下宿代がかからないという数々のメリットには彼女にとって国公立大学の受験を放棄するのに十分な価値があり、両親も納得の上でカナやんは畿内医大に入学することとなった。


 彼女の医学部進学が決まったことで株式会社ホリデーパッチンは従弟(いとこ)(この場合は叔父さんの息子)が後を継ぐことになり、これ以降カナやんが心配することは何もないらしい。



「へえー、じゃあカナやんは後は自由の身なんだね」

「そのはずやねんけど、肝心の従弟がなあ……」

「えっ?」

「まあそれは今はええわ。あんまり気にせんといて」


 カナやんは少し気になる発言を笑顔でごまかしていた。



「それじゃ今日から一緒に頑張ろな。研究にはうちの方がちょっぴり先輩やし」


 そろそろ本部キャンパスが見えてくる距離になってカナやんは改めて僕に挨拶した。



「よろしく。僕は生化学にも研究にも素人だから、本当に色々お世話になります」


 会釈してそう答えると彼女はまたニカっと笑った。



 カナやんの独特なバックグラウンドは面白い一方、外野からは分からない悩みも多そうだと思った。

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