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気分は基礎医学  作者: 輪島ライ
2019年4月 生化学基本コース
22/338

22 気分はたこ焼き娘

 2019年4月1日、月曜日。時刻は昼13時30分頃。


 目の前に並ぶのは並んでジュウジュウと音を立てる3枚の鉄板で、その上では空いている穴の数と一致して3×32個=96個のたこ焼きが焼かれている。



「カナやーん、こっちに追加で20個!」

(まか)しといて!」



 部室の壁際に並んだ机で昼から缶ビールを飲んでいる先輩連中の要請に、小柄で可憐な彼女は元気よく返事した。


 目測で14畳ほどの部室にいる陸上部員は誰も彼も新しい元号の話題で持ちきりで、2時間ほど前にネットニュースを見てからはずっとこんな感じらしい。



「令和だ令和! 令和初の集会はカナやんのたこ焼きだ!」

「令和こそカナやんに素敵な彼氏を!」

「余計なこと言うなら作るのやめますよ!!」


 先輩の軽口にカナやんが怒りの声を上げた。



「令和令和って騒いでるけど、皆お酒飲んで騒ぐ理由が欲しいだけみたいね」

「確かにそうだね……」


 僕のいる食卓(と化しているテーブル)の向かい側には同級生の山形さんが座っている。



 彼女は京都府内の薬科大学から畿内医大を再受験して入学しているので二浪で入学した僕よりさらに1つ年上であり、静岡県出身で大学は大阪府内、下宿は京都府内で名前は山形というのが売りらしい。


 という意味があるのかないのか分からない情報は置いておくにしても彼女はサッカー部のマネージャーであって陸上部とは縁もゆかりもない。ここでは剣道部を辞めてから帰宅部員でしかない僕と同じく部外者だ。


 午前中に生化学教室を一旦立ち去った僕は意味もなく陸上部の新年度集会なるものを覗きに行ったのだが、いつの間にかガスコンロの煙とソースの香りが充満する部室でたこ焼きを食べていた。



 ここに至るまでの経緯を思い出す。



 第二キャンパスの運動場を訪ねてちょうど練習中のカナやんと会うことができた僕は、練習が終わって集会が始まるまで待つよう伝えられた。


 部外者である山形さんも何故か同じタイミングで来ていて、彼女に詳しい事情を聞く暇もないうちに僕らは2人揃って陸上部員の先輩に声をかけられそのまま部室に通された。



 そこでは簡易なキッチンを利用して看護学部新3回生の女子マネージャーがたこ焼きの生地を作っていた。


 山形さんは慣れた様子で料理を手伝いに行き、僕は男子部員と共に部内のテーブルや椅子を移動させる作業を行うよう命じられた。



 室内が飲食店のような装いと化した頃にはたこ焼きの生地は完成し、角切りにされたボイルたこ、カツオ節、青のりといった材料が巨大なボウルに盛られていた。


 それからシャワーを浴びてさっぱりしたカナやんが帰ってきてここに至る。



 陸上部は新年会や忘年会と称してしばしば部室での飲み会を開いているが、昨年度にカナやんが入部してきてからは料理をテイクアウトするのではなく彼女のレシピと調理によるたこ焼きパーティーを開催するのが通例になっているらしい。


 部員のほとんどが参加するのは当然として中には山形さんのように部外者であっても理由を作って参加する人もいるという。


 そういう経緯からそもそも事前に参加すると伝えていない僕でもたこ焼きを食べさせて貰える結果になっていた。



「それはそれとしてカナちゃんのたこ焼きはやっぱり絶品よね。白神君もそろそろ追加欲しくない?」

「うん、ぜひ貰いたいです」


 そう答えると山形さんは取り皿を手にしてカナやんのもとに向かい、しばらくすると20個ほどのたこ焼きを受け取って帰ってきた。


 会釈しつつ半分ほどを貰ってそろそろくたびれつつある爪楊枝で口に放り込む。



 カナやんが作るたこ焼きは見るからに古びたガスコンロのせいかそこまで綺麗には焼けていなかったが、外側の生地が軽く焦げている一方で中身には程よく熱が通っており、何より生地そのものの味がおいしいと思った。


 濃口のソースやカツオ節と青のりの風味でごまかすような作りではなく焼き加減と生地のおいしさが際立っているこのたこ焼きなら、部外者までわざわざ食べに来ていることにも納得できた。



「そういや白神君……だったっけ?」


 缶ビールを片手に先輩の陸上部員が僕に尋ねてきた。


 この人はアルコールに強いのか珍しく酔っていないらしい。



「はい。2回生の白神塔也です」

「カナやんに用があるって聞いたけど、もしかして付き合」


 訂正。やっぱりこの人も酔ってる。



「山形さん、その人ビール没収な」

「はいはーい」


 カナやんが低い声で命じると、山形さんは立ち上がって先輩の缶ビールを奪いそのまま部室を出ていった。


 待ってー、と言いつつ先輩も後を追って立ち去ると部室には僕とカナやん以外には酔いつぶれた先輩数名しか残っていなかった。



 カナやんがたこ焼きを作り始めてから既に1時間ほどが経過し、陸上部の主力メンバーである2回生~4回生はずっと前にたこ焼きを食べ終わって今はグラウンドに戻って自主練に励んでいた。


 この場に残っているのは既に現役を引退している5回生と6回生の先輩方だけで、部外者の僕と先ほどまでいた山形さんは自主練に行きようがないので残っていた。



「お疲れ様。作るばっかりで全然休めてないけど大丈夫?」


 追加で貰ったたこ焼きも食べ終えたので僕はカナやんに声をかけた。



「うちも途中で食べよったし大して疲れてへんよ。それより部外者やのにこないに待たせてごめんな」


 そろそろ片付けに入るのか、カナやんは金属製のピックで鉄板の上の焦げ付きを剥がしながら答えた。



「いやいや、僕なんて手持ち無沙汰で来ただけだったのにこんなにおいしいたこ焼きを食べられてラッキーでしかないよ。本当にありがとう」

「ほんまに? 初めて食べる人に言われたら(なん)か嬉しいわ」


 カナやんはガスコンロのカセットボンベを外しつつそう言ってニカっと笑った。



「うちもそろそろ大学に戻るけど、一緒に行く?」

「そのつもり。でも先輩方置いといていいの?」

「片付けはマネージャーさんがやってくれるし、あんまり酔っ払いの相手は好きちゃうねん」

「なるほど……」


 カナやんは現役入学者らしいので4月の時点ではまだ19歳のはずだが、法律的に飲めないのを抜きにしてもお酒は好きでないのかも知れない。


 エプロンを畳んで丸椅子の上に置くと、カナやんは部屋の隅に他の部員のものとまとめて集められていたバッグを手に取った。



「ほな、そろそろ行こか」


 土の付いた運動靴のままのカナやんに、僕もカバンを持って追従した。

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