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紫陽花の枝に氷花を結ぶ

作者: 藤泉都理

【かまくら】





「ここに大きなかまくらがあったのに」




 雪はまだらに低く積もっており、面積はあらわになっている土と同じくらいだった。


(あんなに高く、地面なんて見えないくらい積もっていたのに)


 正直、あの日々が現実だったのか。

 わからない。

 夢だったのだと強く言われてしまえば、そうなのかもしれないとつい頷いてしまいそうなほどに、あわく、もろい思い出だった。


 けれど、夢なのだと断言もできない。


 だって、あの雪女の言葉が今もいろどり鮮やかにここに残っている。


 それに、











『申し訳ございません。ひとふゆしか存在できない喫茶店のこのかまくらには、雪女や氷狼など、雪や氷が成分の冷たい生物しか入れないのですが』


 幼い頃の俺は言ったんだ。

 家に帰りたくなくて。

 つとめて無表情に。

 冷たい心の持ち主ですがいけませんか。と。











(2022.5.23)




【そり滑り】





 妹が生まれてから、俺は冷たい人間になった。

 仮病、脱走、嘘つき、だだこね、噓泣き、夜更かし、不法侵入。

 自分が考えられるせいいっぱいで小学校には行かないで家に残ろうとした。保育園に行こうとした。

 共働きの母さん、父さんを困らせ続けた。


 妹のせいだ。

 妹のせいで俺は。

 ぜんぶぜんぶ、妹のせいだ。

 目に入れても痛くない食べちゃいたいくらいかわいい、あかんぼうの妹のせいだ。


 母さん、父さんだけじゃない。

 友達や先生、近所の人も困らせている。

 わかっているけど、いやなんだはなれたくないずっとそばにいたいできることはぜんぶしてやりたいしたい。

 おむつ替えも、ミルクの準備も、ミルクをあげるのも、着替えさせるのも、お口の周りをふくのも、爪を切るのも、げっぷをさせるのも、絵本を読むのも、歌うのも、話しかけるのも、おなかをぽんぽんするのも、抱っこするのも、お風呂に入れるのも、身体をふくのも、おんぶをするのも、ベビーカーに乗せて散歩に連れて行くのも、朝昼晩寝かしつけるのもぜんぶぜんぶ。


 妹を独り占めしたいって考える俺は、他の人のことを考えられない俺は冷たい人間なんだ。

 わんわん泣いた。

 ごめんなさいごめんなさい、妹のことしか考えられなくてごめんなさいって。

 でもおねがいだから妹のそばにいさせてくださいって。

 わんわん泣いていっしょうけんめいおねがいした。




 のに。




 母さんは妹を連れて母さんの家、つまり俺のおばあちゃんおじいちゃんの家に行ってしまった。

 とおい、とても遠い場所に行ってしまった。




 父さんと二人きりの家はかまくらよりずっと、うんとずっとひえびえとしていた。


 妹がいない家にいたくない俺は、冷たい人間の俺は、走り出した。

 友達から聞いた、冷たい生物しか入れないかまくらへと。

 父さんも母さんも大嫌いだと言ってしまった俺はもうそこでしか暮らせないんだ。











 そうして俺は今、雪女の子どものしずりとそり滑りをしていた。

 遊んでいるわけじゃない。

 暮らすところではないけれど帰りたくないなら泊ってもいいですただし働いてもらいますよ。

 と雪女に言われたから、俺はしずりと一緒にそりに乗ってソーダ氷を取りに行っているだけだ。









(2022.6.15)




【クロール】




 きゃっきゃきゃっきゃと笑いながら助けを求めるしずりがこの刻、なぜか俺は妹に見えて、もう会えないだろう妹に見えて、俺はしずりの前に立ちはだかる雪狼めがけて大声を上げながら突進した。




 平らな場所まで辿り着いてそりを引っ張っていたところで、雪狼に遭遇した俺は一瞬硬直した。

 怖いから。

 ではなくて。

 超かっこよかったから。

 興奮した俺が両手をあげて抱き着きに行こうとするよりも早くに、しずりが動いて雪狼の首に抱き着いてもふもふした。

 うらやましい限りの行動を取ったかと思えば、雪狼の後ろに回り込んで、なぜか助けて発言。

 ふつうに考えれば、ただの悪ふざけ。

 けど、俺の目にはもうそうは見えていなかった。

 なんせしずりが妹に、かっこいい雪狼は悪い雪狼に見えてしまっているのだ。


 助けずしてどうするか。


 おりゃあああああああ。

 腹の底から、頭の血管が切れそうなくらい叫びながら俺は雪狼めがけて突進した。

 一直線。猪だ。

 ただし、のろい猪だ。

 深い雪のせいで足が思うように動かないんだ。

 

 雪の中を泳いだほうが早いんじゃないんだろうか。


 優秀な俺の頭脳がささやく通りに俺は雪の中に突っ込んで、手足を動かした。クロールだ。これでもう一瞬で雪狼まで辿り着くこと間違いなしだ。

 待ってろよ。俺のかわいい妹よ。今俺が、お兄ちゃんが助けに行くからね。










(2022.6.26)


 


【スケート】




「死ぬぞ、六花りっか


 しずりはいきなり積雪に飛び込んだかと思えば、その場で手足をばたつかせる少年、六花を少しの間見ていたが、まんじりとも進まないので飽きて、かつ助けた方がいいんじゃないかとの雪狼の口添えもあり救出へと向かった。

 積雪の表面に立って、首根っこを掴んで、引っ張り上げて、お姫さま抱っこだ。

 背負うのは嫌いだったのでそうした。

 木の皮を厳重に編み込んだ防寒着と防寒具で全身を守っていたので、凍傷の心配はないだろうが、顔を全然上げていなかったので、呼吸ができなかった可能性は大いにある。


 しずりは注意深く六花の顔を見ては、呼吸の流れを感じたので大丈夫だろうと判断したのだが、六花は無言のまま。

 ぐしゃぐしゃに顔を歪ませていた。


 私に助けられたのがそんなに嫌だったのかと思い手を離そうとしたが、人間の身体は弱いものだよと母に言われたことを思い出して、そうはしなかった。

 このまま抱きかかえたままソーダ氷がある場所まで向かった方が早いと考えたしずりは、このままで行くぞと六花に言えば、遠慮しますと返ってきた。


「なんだと?」

「妹に助けられて、しかも抱きかかえられたまま行くなんて。兄として不甲斐なし」

「だれが兄だ、だれが」

「俺が」

「おまえな。妹がとてつもなく恋しいからと言って、私を妹の代わりにするなよな」


 ますます顔がぐしゃぐしゃになってしまった。

 面倒なやつだと思いつつ、しずりは静観していた雪狼を見た。雪狼が小さく首を縦に振ってくれたので、雪狼の背中ならいいかと六花に尋ねた。六花はとても弱弱しく首を縦に振った。


「あの。ずみません。お願いします」

「ああ。ゆっくり行くから安心しろ」

「ばい」

「じゃあ行くぞ」


 しずりと雪狼はみじんも沈むことなく、まるでスケートリンクのように積雪の表面を軽やかに滑って行った。

 ゆっくりってなんだっけ。

 六花は疑問に思いながら、とりあえず落ちないように雪狼の首に抱き着いた。

 ちょっぴり冷たくて、すっごくふわふわもふもふしていた。










(2022.6.27)




【手袋越し】





 一直線のカーレースってこんな感じなのかな。

 なかば意識が遠ざかっては遠ざかって、さらに遠ざかって、杉と雪以外の景色から一変して、黒紫色の道路が視界一面に広がったところでしずりに呼ばれた六花は、ついゴールインと叫んでいた。


「そうだ。ゴールインだ」


 満面の笑みのしずりを見た六花は、けれど彼女の顔が何重にもぶれて見えたので頭を何度か振って、瞼を何度も開閉させてから、少ししかめっ面で見つめて。

 少し、かなりがっかりした。

 妹ではない。当たり前だが。

 ついついしくしく泣きそうになるのをぐっとこらえて、雪狼にお礼を告げてから背中から下りた。

 途端、つってんころりん転びそうになったところをしずりに受け止めてもらい、間一髪だったのだが、二度も助けられた六花は恥ずかしくなって赤面した。


(うえええ、あちい)


 顔も隠れているので見られずに済んでいるのは幸運だと、ほっと胸をなでおろした。


「ほら。ここは氷の地だから」


 しずりは手を六花に差し伸ばした。

 六花はちょっとためらった。

 ひゅーいと。このまま滑って行けば迷惑はかからないだろうと思ったからだ。

 けれど。

 この空間が。

 上も下も右も左も、どこまでも。

 境目が、どこが壁でどこが地面かもわからないくらいに水色に透き通ったここが少し怖くて。

 少し。

 まるで湖の中に落っこちちゃったのではないかと考えてしまったので。 


「ごめん」

「滑り止めしているはずなんだが。まあ、しょうがないな」

「うう」


 木の皮の手袋越しに手を繋いだ六花はもう一度、ごめんと謝った。

 しずりはまったくだと明るく笑いながら、けれど歩みはゆったりと進めてくれた。

 むずむずと全身がかゆくなった雪狼はこのまま駆け走りたい気持ちを必死に抑えては、ほっこりと笑って立花としずりの背中を見守りながら、同じくゆったりと歩を進めた。










(2022.6.27)




【ソーダ氷】





 ソーダ氷をなにに使うんだ。

 手を繋いでゆっくり、ゆっくりと沈まない平らな氷の上を歩きながら尋ねた。

 しずりは言った。

 お店のかき氷と。


 宇宙に行くための燃料。


 しずりは手を繋いだまま前に回り込んで笑った。

 ゆっくりとではなく。

 蕾が弾けて一気に開いた花みたいに。

 ソーダのような爽やかさと冷たさをかねそなえて。

 そして、言った。


 一緒に行かないか。と。











(2022.6.27)




【永遠秘密】




「で、お兄ちゃんは宇宙に行っちゃったしずりさんがいつでも地球に戻ってこられるように、室外でも使用可能な氷雪空間製造機を開発しようとしているの。それでずっと大学に寝泊まりして家には帰って来ない。と。お母さんとお父さん、寂しがってるよ」

優雨ゆうはどうなんだよ?」

「あー。さびしいさびしい」

「嘘をつけ。奏多かなた君がいればいいくせに」

「うへへ。だって運命の人だし」

「幼稚園からのな」

「うへへ」


 優雨は幼稚園児の頃からずっと恋人であり、すでに将来の約束も交わしている奏多にしなだれかかった。

 奏多は照れながらも、優雨の肩をしっかり掴んでいた。


「あーあー。兄ちゃんは寂しいなあ」

「しずりさんが帰って来たら、寂しくないでしょうが」


 六花は妹の、優雨の言葉に何も返さなかった。

 表面上は。

 けれど心中では血の涙を流しながら、しずりが帰って来ようが来なかろうがどうでもよくて、おまえがいない方が寂しんだよと叫んでいた。

 生物、否、この星に存在するすべての中で、一番好きなのは昔も今も変わらずに妹であり、今でも本気で妹と結婚したいと思っている。

 しかし、それはかなわない。

 血がつながっているからではない。

 妹と相思相愛ならば、血のつながりなど問題ではなかった。

 問題なのは、妹と相思相愛の相手がすでにいることだ。

 妹が好きだ。だから幸福になってほしい。だから、奏多を認めている。

 悔しいが。鼻ちょうちんが二つできるくらい悔しいが、奏多といる時の優雨は一番輝いているのだ。

 応援せずしてどうする。




「優雨。お兄さん、泣いているけど大丈夫?」

「しずりさんが恋しくて泣いているんだよ。そっと見守ってあげて」


 全然違うけどね。

 否定の言葉は口にしない。

 妹への恋心はだれにも言わないと決めたんだ。

 しずりにも。

 妹に似ている、彼女にさえも。

 一生隠し通そうと決めている。

 だって、いやだろう。

 ぜんぶがぜんぶじゃないにしても、妹に似ているから、付き合おうって言葉に頷いたなんて。











(2022.6.27)




【紫陽氷花】





 六花、優雨、奏多を驚かせようとしたしずりはけれど、どんどん背中を丸めて、肩を縮めさせる六花を見て、呆れて動きを止めてしまった。

 また面倒なことを考えているのだろうなあと。


 六花の妹至上主義は初めて会った時から知っている。

 心底知っていても、ソーダ氷を一緒に取りに行ってからそんなに時間を置かず、宇宙に行く時に付き合ってと告白したのも、一緒にいるのが楽しかったからだ。


 最初で最後。

 宇宙に一緒に行かないかと誘った時、面白半分、本気半分だった。

 一緒に宇宙を旅したら面白そうだと思ったから。

 けど、六花は即断った。

 理由はもちろん、なるべく妹から離れたくないから。

 会えないかもしれないけどと、べそべそ泣き出した時は本当に好きなんだなあすごいなあと思った。

 こんなに感情をむき出しにして面白いなあとも。


 妹の優雨に似ているから交際を了承したのはなんとなく想像がついた。

 でも瓜二つ化と言えばそうではない。顔が少し似ているかもな程度だ。笑い方は結構似ているかもしれない。あとは。似ているのか首を傾げるしかないが、六花にはまだ似ていると思う要素があるのだろう。

 そしてそのことを申し訳なく思っていることも。


 別にどうってことないのだが。

 好きな相手が妹を第一に考えて行動しているの嫌じゃないのかと仲間に訊かれたこともあるが、全然嫌ではない。

 必死になって、妹のために動いている六花を見るのが面白いし、すごいと尊敬するし、好きだから。

 でも、隠したがっているから、指摘はしない。

 本当は気にしてないと言った方がいいのではと考える時もあるが、言ったところで解決はせずに六花がうじうじ悩み続けるのは目に見えている。

 まあいつか、言うか言わないかわからないが、気長に待とうと思っているところだ。


 




「おーい、ただいま」

「おう」


 優雨と奏多は気づいていたのだろう。さっと姿をくらませた二人に苦笑しつつ、しずりは六花の背中を叩いた。

 雪ん子だったしずりは、どっしりとした雪氷に囲まれていなければ存在できなかったが、今は雪女にまで成長したので、まだら雪でも大丈夫だった。あとはクーラーの冷涼機能でも。なんなら気合を入れれば真夏日でも一日くらいなら。


「はかどっているか?」

「まあ、ぼちぼち」

「早くしないとおまえの寿命がなくなる前に完成しないんじゃないか?」

「完成させるし」

「そうか。それは楽しみだな。待っている甲斐がある」

「………疲れたんじゃないか」

「宇宙から帰って来たばかりだしな」

「じゃあ、帰るか」


 しずりは先に歩こうとする六花の腕に自身の腕を絡ませ、にししと笑った。


「いいのか、腕を解かなくても?」

「なんだよ?」

「宇宙に連れて行かれると危機感を抱いて逃げ出さなくていいのかと尋ねている」

「………おまえなあ。忘れろよな」

「忘れないさ。おまえの面白いところも面白くないところも。ぜんぶな」

「………そうっすか」

「ああ」


 珍しく照れているらしい。

 少ししかめっ面になった六花を見て、しずりは満面の笑みを浮かべた。






 そうしてゆったりと歩く二人の後ろで、六花によって植えられた紫陽花の枝に氷花を結んでいた。

 










(2022.6.27)


(完)








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[一言] 不思議な雰囲気の漂うラブストーリーで、世界観がとても気になりました。 短編連作形式で少しずつ登場人物達のことがわかってくるのがとても面白く、最後まで読ませて頂きました。 しずりという名前、と…
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