(1).キリシュ・ローゼンクロイツ殿下の意外な『趣味』
浮気、謀略、色仕掛けと様々なことが脳裏を駆け巡るが、『情事』を及ぶ直前を思わせる煽情的な『下着女』を目の前にしたとき、人はどうするのが正解なのだろう。
深夜。
誰もが寝静まった時間に、疲れた体を押して婚約者のキリシュ殿下の寝顔を覗きに行けば、
私――エルザ・エインヘルは不覚にもドアノブを握ったまま、固まることしかできなかった。
「これは、一体どういうことですか殿下?」
これでも剣聖と誉れ高き騎士を輩出するエインヘル家の末席だが、鏡の前で謎のポージングする女性の対処方法など学んでこなかった。
というか――
(最近忙しくてなかなか時間を取れなかったから今日くらいはと、なけなしの乙女心を振り絞ってみましたが、そうですか。婚前を控えた私よりも先に他の女に手を出しますか)
これまで王たる者はどういったものか、それこそ口を酸っぱく忠告してきたというのに。
「あの軟弱殿下ときたら、いったい何を考えているのでしょうね」
ミシミシとドアノブを握りつぶせば、目の前の下着女の口から悲鳴が上がった。
まったく『血染めの剣聖』と名高い貴族令嬢の私を差し置いて他の女に浮気する殿下の度胸には恐れ入ったが、気の毒なのは目の前の彼女だ。
この私の武勇伝を知っているのなら、その選択だけは絶対にしてはいけないと理解していように。
「どこの貴族の令嬢かは知らないが、私と鉢合わせたのが運の尽き。ずいぶんと舐められたものだな。恋は盲目とは言うが、目にボタンでもついているんですか。
まぁとにかく――どうしてくれようか。
赤髪のスレイダーな肢体をこれでもかと晒し固まっているが、貴族の令嬢なら絶対に遭遇したくない現場ナンバーワンなのは間違いない。
まさか野鳩を食おうとして己が喰われる側に回るとは考えていなかったのだろう。
まぁNTRの途中に剣を帯刀した女騎士が現れれば驚くなと言う方が無理があるが――ちょっと待て。
あの燃えるような赤髪と鷹を思わせるような鋭い目つき、どこかで見たことがあるような……
そうして図らずも私の手から零れ落ちた書類が、カサリと不吉な音を立てたところで『下着女』の肩が大きく縦に揺れ――気づいたときにはもう遅かった。
「あ、ちょ、待ってくだ――」
と言う私の制止も虚しく、緩やかに開いた静寂は時を取り戻すかのように急速に巻き戻り、キリシュ・ローゼンクライツ『殿下』の口から絹のような悲鳴が炸裂するのであった。