野辺送り
前回の投稿で、載せ忘れたお話です。次回から章が変ります。
(二十三)
勢田川に童の骸が上がった――。
知らせを受けた茂吉は、すぐさま現場に駆けつけた。水に流されたか、衣を纏わぬ男童は、無残な刀傷を帯びて、驚愕に目を見開いていた。
折しも目付衆を束ねる役人が、小西家の子息の捜索を依頼されており、現場は騒然となった。
似通った年頃の童の遺体は、丁重に保護され、太兵を知る茂吉は、すぐさま庄助の元に走った。結果、恋敵の殴り込みと相成った次第だ。
母と共に駆けつけた現場では、遺体は無下に放り出され、庄助は言葉もなく膝を折った。太兵を抱えて呆然とする母を諫め、小さな体を筵で包んで担ぎ上げた茂吉に、庄助の目
から初めて涙が零れた。
駆けつけた拝田の若衆が太兵を戸板に乗せ、街道を避けて、拝田村に戻った頃には既に日が暮れていた。
村では既に野辺送りの準備が整い、各々に、衣装を纏った村人が祖霊の丘に向かった。
ドロドロと低く唸る太鼓の音に、朗と響く祈りの声が重なる。しゃん、しゃんと鈴を鳴らす女衆の足が、火を受けて白く浮かび上がる。
拝田村を見下ろす祖霊の丘は、村人の埋葬地。民人とは一線を画する間の山の芸人は、ここに眠る。
男衆の持つ松明が明々と燃え上がり、丘の中央に横たわる影を照らし上げる。庄助の霞んだ目に映る、白い衣を着せられた太兵の姿は、すぐさま、溢れる涙に押し流されて見えなくなった。
「庄助」ぽんっ、と肩を叩いた声に顔を上げる。
「間の山の若衆が、台無しやぞ」
どかり、と座り込んだ大きな体がふぅ、と息を吐いた。拝田の野辺送りに、牛谷の者が参加するのは初めてだ。
「おおきに、茂吉。知らせてくれて助かった。恩に着る」
庄助は深々と頭を下げた。町で見つかった穢人の骸は、犬猫同様に処分される。骸を村に引き上げるなど許されん。触穢を嫌う伊勢の民人にとって、穢人の骸が、町中を通るなど、もってのほかだからだ。
太兵を乗せた戸板が村に着いた頃、ちょうど山田三方会合から、骸の処分要請が届いた。茂吉の知らせがなければ、太兵は村に戻れなかったはずだ。
「水臭いわ、庄助。儂も太兵とは縁があった。素直なええ子やよって、先を期待しとったんや。間の山はなぁ、牛谷、拝田二つが作り上げる芸どころや。互いに精進しあって今がある。本来、両者はそういう間柄や。いがみ合うんは間違うとる」
牛谷一の若衆茂吉と、拝田一の若衆庄助。二人は好敵手でありつつ、互いを認め合っている。
生涯の伴侶となる気はないが、庄助は茂吉が好きだ。拝田の若衆仲間より、庄助は茂吉を信頼している。二人の若衆の人気は、大いに間の山を盛り上げている。
「太兵は、わてらの跡を継ぐ若芽やった。芸は秀でとるし、頭もええ。牛谷の童衆らとも親しかった。それをやな、わては守れんかったんや!」
抑えていた怒りが爆発して、庄助は拳を振り上げた。思い切り振り下ろした拳を、温かな手が包んだ。
「やめとけや。間の山の庄助は、涼やかな色男。売りは、崩したらあかんで、御姫さんに嫌われる」
茂吉が目を向けた先、美月が女神像を前に、長い睫を伏せている。純白の衣に、流れる黒髪が艶々と輝き、小さな口からは、美しい旋律が零れている。
村の巫女は村人を土に返し、再び村へと導く役割りを担っている。凛とした姿は神々しく、近寄りがたいまでに美しい。
目を細めた庄助に、「当たりやろ」と、茂吉は大きな肩で庄助を押した。
「拝田の巫女や」
「隠さんでええ。お前の想い人や。儂もお目にかかるんは、二度目やけど、きれいなお人や」
門外不出の拝田の巫女は、高級遊女であるが故、その姿を知る者は少ない。拝田の村人以外に、美月を良く知る者は、素間より他にはないはずだ。
「ま。眼福やな。牛谷のもんが、拝田の巫女様を拝見できる機会はない。儂は、太兵に感謝するぞ。太兵や、祖霊様となって、儂のこともちぃとはみたってや」
くしゃり、と顔を崩す茂吉の目も真っ赤だ。本来、拝田の野辺送りに、部外者は入れん仕来りだが、色々と手筈を整えた恩を労い、母が、茂吉の参加を村長に申し出たのだ。
常は、野辺送りには、連なるだけの母だが、本日は純白の衣を纏い、魂消たことに、美月の横で手を合わせている。
若く美しい玉家の巫女、美月に、憎悪に近い思いを抱く母が、美月の祝詞に合わせ、詞を紡ぐなど、想像が付かん姿だ。常ならぬ真摯な態度は、自身の我が儘によって招いた悲劇への、母なりの精一杯の謝罪だろう。
村の巫女と、祓いの巫女。二人の巫女に送られる太兵は、必ず苦しみから救われ、祖霊となって拝田に戻ってくる――。
ぐっ、と涙を拭った庄助は、「奉行所は何て?」と茂吉に向きなおった。
「間の山の芸人の子なんぞに、奉行所が動く思うか?」
茂吉は項垂れて、大きく頭を振った。
「三方会合から、うちの村長にお達しがあった。常と同じく、穢れた土地を浄めるようにと。常と同じくだぞ。太兵は犬猫とちゃう。人の子なんや」
伊勢の穢れを担う拝田、牛谷は、伊勢の町の獣の死骸の処理もまた、仕事の一つだ。
(常と同じように……)庄助はぐっと、口を噛んだ。じわりと温い液体が口の端を伝う。
「くそっ!」
がつっ、と茂吉が叩いた地面が大きくへこんだ。滴る血は、赤くうねって地面に流れていく。
(わてらは人やぞ。赤い血はお前らと同じ)
悔しさと悲しさが、一緒くたになって押し寄せた。
(下手人の足は、止められんか)
太兵の死によって、母の証言は不可能となった。拝田村にある母は、穢れの最中にある。
神職の縁者と、噂される神凪は、物忌み中の母とは会えん。死穢は神職らが、一番に恐れる触穢だ。
三十日の穢れと百日の禁忌を伴う死穢は、他との同火及び同坐一切を忌む。穢れの伝染を避けるためだ。神宮に穢れが広まれば、伊勢全体が物忌みとなる。
遍満の触穢は、伊勢の休止を意味する。一切の神事は止められ神職は参籠。民人もこれに倣い、活動停止を余儀なくされる。故に、速掛けたる仕来りがあるのだ。
荒御魂の巫女を無事に帰した裏に、小賢しさを感じさせる敵には、素間を警戒させる力量を感じる。(万事休すか)
土を握りしめ、項垂れた庄助の耳が、リン――。涼やかな鈴の音を拾った。祈りは終わった。喪屋を建てねばならん。
「手伝うてくれ」肩を叩いた庄助に、茂吉が顔を上げた。
「ええんか……」戸惑う茂吉に、庄助は頷いた。
太兵の拐かしの後、昏睡状態となった太兵の母に代わり、庄助は兄として、母は母親の代理として、太兵を送る、身内の役を果たす。喪屋の竹枠は、身内が立てる習わしだ。
頷いた茂吉と共に腰を上げ、二人同時に飛び退いた。太兵の枕元に突き立った竹に、力自慢の力丸が、気色ばむ。美月がふわり、と笑った。
張り詰めた気配の中、軽い足音が、闇を踏む。
「意気地無しの庄助を、太兵の供にしてやろうかと思ったが」
小憎らしい口を叩く人物は、ただ一人。
「若旦那っ!」
拳を振り上げた庄助をぶっ飛ばし、母が素間に抱きついた。
(二十四)
「あたしの不在を良いことに、別れた亭主とこそこそと。あたしは、ちゃんとお見通しだよ。勝手は許さないからね」
ぱしっ、と庄助の額で音を立てる、素間の扇は健在だ。
「誰が亭主やっ!」目から火花を散らせた庄助が大声を上げて、素間は「しっ」と、口に指を立てた。
「神聖な野辺送りだよ、無粋な真似はやめとくれ」もっともな素間の言に、庄助は口を押さえた。
素間の竹を皮切りに、庄助、母、茂吉によって組まれた竹枠の前で、男衆が竹皮を編んでいる。
村の衆が順繰りに、太兵に別れの言葉を投げかける。白装束に身を包んだ太兵の上に、村の衆が手にした、草木や藁が載せられる。いずれも燃えやすいものばかりだ。
遺体を燃やすことを、伊勢国の掟は禁じるが、間の山の芸人は、昔から遺体を灰にするが倣いだ。
遺族の手によって組まれた喪屋は、生者と死者を区別する境であり、死者を祖霊とする産屋でもある。ケガレとハレを同時に成す、独特の風習だ。
竹枠を施した身内は、初めの藁を遺体の周りに置き、故人への感謝の意と、別れの辛さを述べる。
あなたはもう、一族の血肉から放たれました。どうか祖霊となり、一族をお守り下さい――。
口々に語る別れの言葉に、故人は己の死を受け入れ、祖霊の仲間入りを果たすべく、準備を整える。
まかり間違っても、迷いを残してはならん。死を認識できぬ者は、魔に取り込まれ、永遠の闇を彷徨う羽目となる。村の衆挙げての別れの言葉は、故人の死の認識を、高めるためだ。
「お前の元亭主も、伊達に目付衆見習いをしてるわけじゃあないんだねぇ」
素間の視線を追えば、喪屋を挟んだ向かい側、顔を赤くした茂吉が、巫女二人に挟まれて杯を受けている。珍しく緊張気味の茂吉だが、美女二人に囲まれて、まんざらでもなさそうだ。牛谷には美女がいない。お市、お鶴の人気が上がらん由縁でもある。
元亭主は別として、素間は既に事情を把握している。ならば、正直に言わねばならん。
母の証言はなくなった。下手人は大手を振って伊勢を出る。攫われた童らの足取りは途絶えた。わてはやっぱり役立たずや――。
項垂れた庄助の背を、素間がどん、と突いた。
「意気地無しだねぇ。あたしゃお前を、そんな男に育てた覚えはないよ」
育てられた覚えはない。だが、伊勢の若松様に、なり損ねた己には腹が立つ。
「太兵の夢を守れんかった。竹爺を超える医者になったやろに」
庄助の言葉に、素間は「なんだ」と口許を緩ませた。「やるじゃあないか」
「お前は太兵の夜遊びの原因を、知っとったんやろ。太兵が、真剣に学ぶ医学の師が本物かどうか、気になったんか。太兵は、伊勢の大事な若芽や、健介と一緒……」
泣きたくないのに涙が出る。溢れる悔しさは止められん。大事な弟分を失った。もっとやれることがあったはずだ。素間の前で泣く、自分が情けない。絶対に弱みを見せたくない相手は――。
「馬鹿だねぇ」馴染んだ香りで庄助を包んだ。
「やきもちかい」常と変わらぬ小憎らしい言葉が、何故かじわり、と胸に染みる。
「庄助、若松様はね、広く大きな屋根にならなくちゃいけない」
常になく、素間の物言いは柔らかい。
「一つのしくじりにめげるようじゃあ、長くは保たない」
珍しく、素間は物憂げに目を伏せた。
「太兵の夜遊びは医学が元さ。けど、ちょっとばかし面倒な相手に関わっちまった。太兵は、勘違いで殺されちまったのさ」
庄助は、目を剥いた。人の命が、勘違いで失われるなど、許されるはずもない。
「どういうこっちゃ」と、掴んだ素間の肩が、僅かに震えた。
「当人にとって理不尽でも、死は死だ。だから、きちんと見送ってやらないと」
理不尽な死は、故人の戸惑いの元となる。
「救えない命もあるんだ。医者だって同じさ。あとは、できることをしてやるだけ……」
素間の苦しげな顔は、初めて見る。素間が医学に手を伸ばした理由は、母親の死にあるのか。間の山の童になど興味を持たん素間が、太兵を案じた理由は、己の姿と重なったからか。
「庄助」村長の呼びかけに庄助は立ち上がり、村の衆一同が恭しく頭を下げる。
「導いておやり」素間に手渡された、しなやかに伸びた若芽は、喪屋の上に捧げる産屋の印。
器は灰となって土に返り、魂は天に昇り、祖霊の一員として迎えられる。
祖霊となった魂は再び喪屋へと戻り、一族を守る神として誕生する。喪屋は産屋となり、野辺送りは終了する。祖霊の丘は、拝田に生きた魂が、まだらに存在する聖地だ。
竹皮が太兵の姿を隠していく。庄助は、藁や草木の布団を纏った太兵に別れを告げる。当初、痛々しいばかりに強ばっていた顔が、今は眠るように穏やかだ。
様々な思い出が、庄助の胸を押さえ込んだ。再び溢れ出した涙は惜しまない。太兵はいなくなる。姿を見るのは最後だ――。
「お前は、間の山、期待の若芽やった。わてはお前が大好きやった。もっと、一杯芸を仕込んだりたかったな。すまん太兵、わては未熟で、若松様には遠かった、お前を守れんで……」
溢れる涙に太兵が遠ざかる。
(庄助さん)涙の向こうに聞いた太兵の声が、
(わては、庄助さんを目指して芸に励んだんや。庄助さんは、伊勢の若松様や)
藁に埋もれた太兵の口に、笑みを灯した。
ぱちぱちと闇に響く、神の拍手を耳にしながら、庄助は惜しみなく涙を流した。燃え盛った火は闇に押され、村の衆の姿が一人、二人と消えて行く。
「じゃあな」庄助の肩を叩いた、茂吉の足音が遠ざかった。散らばった土器を、数人のお杉が拾い上げる。火の始末を請け負った幇間が、赤い顔でこくり、こくりと舟を漕いでいる。
庄助の衣に残った、香りの主は既にいない。失踪中の素間は、早々に健介のいる隠れ家へと戻ったのだろう。
(わては……。どないしたらええんやろ)
見上げた天には、満天の星が瞬く。
常に喧しく無茶を言いつける素間は、珍しく何も言わずに帰った。
しくじりにめげるな――。
素間の励ましを噛みしめる。太兵の死を無駄にはできん。
「庄助さん、そろそろええんとちゃいますか」
燻った火が地面を這っている。庄助の知る太兵はもういない。悲しいが、事実は受け止めねばならん。庄助は涙を拭った。
頷いた庄助は立ち上がった。辺りを包む闇は深い。夜明け前のこの時刻には、参宮者を泊める御師邸は、ひっそりと眠りに就いている。忍び込むには、絶好の時刻だ。
件の中間が、姿を消していれば下手人に違いない。奴の長屋には、何か手掛かりとなるものが残っているかもしれん。
「ほんなら。水かけますよ。火元の始末が、三方会合の条件ですんや。言われるまでもなく、遍満の触穢は、儂らも御免ですわ。商売も上がったりやし」
ざぶん。雑な音に灰が舞い上がる。厳かな儀式も、最後は実に呆気ない。
「ほんなら、うちらも引き上げや」
お杉が土器を集めた桶を頭に乗せ、「ひゃあ」と叫んですっ転んだ。
弧を描いた桶が、土器をばらまき庄助に迫る。目を剥いた庄助が身を引いて、ぱかん。と桶が割れた。縁起が悪い。
ばっ、と広がる〝野間万金丹〟の文字に、庄助の肩が落ちる。
春に這い出した虫は各々、獲物を狙って暴走中だ。夜明けを前に朝熊岳に向かい、有り難い小坊主の教えを賜るが良い――。
「くそっ」野間万金丹の文字を踏みにじり、庄助は祖霊の丘に背を向けた。
次回からまた、変ったやつらが登場します。