#091 いっしょがいい
遅くなり申し訳ございません。
陽ノ森幼稚園ではお勉強においてまず何よりも初めに学び、そして何度も繰り返し見て書いて探し出せるよう特訓した自分の名前。
順番が回ってきた数人の子どもたちは顎を持ち上げ、貼りだされたクラス名簿から自分の名前を探し出すのに夢中になっている。
そんな同級生たちにぶつからないよう注意しながら、マコトは今一度クラス名簿を確認する。
”ひつじぐみ”
”とつか すずか”
そして、
”うさぎぐみ”
”やしろ まこと”
見間違いだった、ということもなく、異なるクラスに二人の名前はあった。
「……」
可能性としては低くなかった現実に、それでも小さく肩を落とすマコト。
生まれてから長い時間をともに過ごし、成長する姿をすぐ間近で見てきた幼馴染だ。離れることに寂しさを覚えないはずはない。
(まぁ、なんとなくそんな気はしていたけどね……)
だが精神的には成熟しており、大人たちの思惑を理解できてしまうマコトにとって、気持ちを切り替えるのはそれほど難しくはなかった。
(でもスズカは……)
クラス名簿を前に固まっているスズカに視線をやる。
彼女が何を考えているのか、まだその表情からは今一つピンとこない。
だがあれだけ”マコトと一緒”であることにこだわり続け、それが唯一の願いだと言わんばかりだったスズカ。
おそらくクラス名簿に書かれた名前が受け入れられず混乱しているのだろう、とマコトはスズカの心中を推し量る。
可哀想と言えば可哀想ではあるのだろう。
大のお気に入りのおもちゃを取られたようなものなのだから。
しかしそれも結局のところ、先延ばしにしていた問題がやってきただけなのだ。
(スズカにとって、人生初の壁になるのかな……)
同級生たちはすでに一年前に経験しているであろう壁。人間社会への第一歩。
それは家族の元から離れて一人、知らない人ばかりの未知の環境に立ち向かう経験。
もちろんマコトは特に必要とはしていない。
中身がアレなので。経験は豊富だ。
しかしスズカは違う。
いくら賢く良い子でも、人生始まったばかりの超初心者。
マコトが彼女にとって同年代のお友達、というレベルであれば問題はなかったのかもしれない。
だが残念ながらマコトは仲の良い友達ではない。”家族”なのだ。しかも両親と同等かそれ以上に信頼を寄せている。
そんな”家族”がいてしまったがゆえに、貴重で重要な経験を積むことができていない。
スズカにとって幼稚園は、”家族”と一緒に行くちょっと変わった遊び場の一つでしかない。常に”家族”が傍にいて、寂しいときも困ったときも”家族”を頼り、どんな時でも”家族”に甘えられる状況。
今後もずっと常に”家族”が傍に居続けられるのであれば、それでも良かったのかもしれないが、現実はそれほど易しくはない。
マコトが男の子であり、スズカが女の子であるならなおのこと。
そうなればスズカはマコトが傍に居なくて辛く苦しい時間を過ごすしかない。
そちらの方が可哀想だろう。
これからスズカが一人の人間として自立していくことを考えるのであれば、たとえ彼女が辛くてもフォローできる環境が整っている幼稚園のうちに慣れさせてあげることが、大人としての役割であり優しさであるのではないか。
それに新しいクラスには仲の良いお友達もいる。
たくさんの園児たちがいる中で、スズカにも配慮してくれたであろう幼稚園側に、マコトも感謝こそすれ文句が出るはずもなかった。
「――お名前は見つけられましたか?」
「はい、うさぎ組に」
背後からマコトたちの様子を見ていた先生から声がかかる。
「すーちゃん、行こっか?」
マコトが声をかけると、こくりとうなずくスズカ。
後続も待たせているため、手早く移動を開始する。
上履きをリュックサックから取り出し、代わりに靴を袋に入れる。置いていたお道具箱を抱え、年中組の教室がある二階へと向かう。
他の新年中のお友達は二階に教室があるというだけでテンションが上がっている中、マコトとスズカは無言で階段を上る。
そして今後一年お世話になる教室の前に辿り着き、一旦の別れの時。
お互いのクラスが判明してから、ようやくスズカが引き結んでいた口を開いた。
「……まーくんいっしょじゃないの?」
「……」
元気がなくか細いその声は、注意深く気にすれば震えているのがわかる。
スズカのためを思ってのクラス編成なのかもしれないが、彼女が今まさに嫌なことに直面して辛い思いをしていることには変わりない。マコトもそのことは重々承知している。
そんなスズカの心の声が漏れ出してくる。
「……まーくんといっしょがいい…………」
「すーちゃん……」
スズカにとって、幼稚園は楽しい場所だ。
仲の良いお友達もできた。
新しい発見もたくさんある。
全力で体を動かして友達と遊べる。
そして何よりマコトが一緒。
だけど新しいクラスにはマコトがいない。
それがたまらなく不安だった。
マコトが風邪で休んだ時と同じ。
あの日が毎日続く。
聡いスズカは、そのことが理解できてしまった。
加えてスズカには、もう一つ嫌なことがある。
マコトを困らせてしまうこと。
わがままを言って、マコトに嫌われてしまうこと。
だがスズカは口にしてしまった。
”マコトと一緒にいたい”というわがままを。
マコトがそれで怒るはずもないのだが、混乱している幼いスズカはそう思ってしまった。
「…………ふぇ……」
我慢していた涙腺が決壊する。
大粒の雫が抱えている手提げを濡らす。
マコトはもらい泣きしそうになりながらもお道具箱を丁寧に放り出し、ハンカチを取り出してスズカの涙を拭う。
「違うクラスは嫌だね。悲しいね」
「…………う゛ん」
「僕もすーちゃんと一緒が良かった」
「………………ぐすっ」
スズカに寄り添い、背中をさすったり頭をなでたりして、その思いを肯定する。
そうして三分ほどすると、スズカも落ち着いてきた。
「今日幼稚園は午前中だけだから。終わったらすぐ一緒だから。それまで頑張れそう?」
「………………うん」
マコトに励まされ、うなずくスズカ。
だがやはり表情は晴れない。
そんなスズカを見て、マコトは最終手段を発動する。
こうなることを見越して彼女の母が授けてくれた秘策を。
「そういえばすーちゃん」
「……?」
「今日の夜ね、おとま――」
「――おとまり!?」
「――りなん…………。うん、そう、お泊り」
マコトが言い切る前に、食いつくように反応するスズカ。
表情は一気に明るくなったが、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
「……まーくんといっしょにねれる?」
「うん」
「……おふろもいっしょ?」
「……そうだね」
「……おふとんでみのむしさんやりたい……!」
「やろっか」
「ねるまえにいっしょにえほんよめる?」
「もちろん」
「しゃしんしゅうもよんでいい?」
「うん。しゃしん……? え……?」
「おとまり……♪」
気になるワードがありながらも、先ほどまでの不安そうな表情を微塵も感じさせないスズカの現金さに、マコトは思わず苦笑する。
(これで大丈夫かな……。新しいクラスメイトとの顔合わせでもあるんだから、ちゃんとしておかないとね)
ウェットティッシュを取り出しスズカの顔を綺麗にする。
「すーちゃん、お顔綺麗になったよ」
「……ありがと」
律儀にお礼を言うスズカに「すーちゃん可愛い」と囁いてダメ押しをすることも忘れない。
「すーちゃん、がんばれそう?」
「がんばる……!」
元気が回復したスズカは勇気を振り絞り、ひつじ組の教室へと入っていく。
「あっ……、まぁいっか……」
ハンカチをスズカが持って行ってしまったことに気付いたが、またすぐ会えるからその時に返してもらえばいいかと、リュックサックからスペアを取り出したマコトも、うさぎ組の教室へと入っていく。
先生方から温かい眼差しを向けられながら……
読んでいただきありがとうございます。




