#078 陽ノ森幼稚園の伝統
長くなったので分割します。
運動会の時と違い昼休憩を挟まないのは、園児および保護者たちの食事場所の確保が難しいからか、それとも満腹感から来る睡魔と戦うことを避けたからなのか。
ともあれお昼のピークが終わった頃、学芸会もすべてのプログラムを終え、子どもたちは親元へと返されていた。
自分の演技がどうだったかと興奮気味に聞く子に振り回されながら、良かったよと褒め称える親。
そんな親子の傍らには、思うように出来なかったと落ち込んでいる子と、来年また頑張ろうねとあやし励ます親。
お腹が空いたと甘える子がいれば、自分も空いたと同調している親。そして、回転寿司が第一候補にあがっている。
そこには様々な親子の姿があり、広いロビーと中庭を埋め尽くしていた。
今年初めて学芸会を経験した親子もいれば、今年が最後だった親子、そして二周目に突入していた子もいたことだろう。
この学芸会が親子にとって良い思い出となり、子どもたちの成長に繋がってくれることを願うばかり。
そうして各々が学芸会の余韻に浸っている中、ポツポツと動き出している影があった。
その内の一つ。ロビーの一角にて。
「まことくん、これあげるっ!」
「ありがとう」
「んふ~♪」
プレゼントを渡し、お礼を言われた小さな女の子は、年相応の満足気な表情を見せる。
渡されたのは可愛くラッピングされた袋。
その中身は、市販のチョコレート菓子、その個包装タイプの詰め合わせであった。
それを受け取った男の子は、母親が持つトートバックの中身をゴソゴソと漁り、お目当てのモノを見つけると、
「僕からも…………はい」
「ありがとっ!」
「どういたし――」
「――ママッ! まことくんからおかしもらった!!」
「良かったねー」
お返しを受け取った女の子は、母親へと抱き着きその喜びを表現する。
「あっ、ちかのおなまえがあるっ! ほらっ!」
「あら本当……」
「んふ~♪」
見て見てと掲げるそれには、女の子の名前が書かれたシールが貼ってあった。
女の子はこのお菓子を誰にも譲らないとしっかりと握りしめ、男の子に手を振りながら母親に手を引かれ帰路に着く。
「まーくん、喜んでくれてよかったね」
「……うん」
その場に残った男の子は、母親に頭を撫でられながら頷く。
そんなやり取りが、いたる所で行われていた。
――バレンタイン
幼稚園児であっても、そのイベントを楽しみにしている子は多い。
好きな子、気になる子にあげてみたり、仲の良いお友達同士で交換し合ったり。
年少さんはその意味をまだ理解してはいないかもしれないが、成長が早い子もいることだろう。女の子は特に……
だが残念ながら、陽ノ森幼稚園ではそれらのやり取りは容認されていない。
勝手に食べだしてしまったり、羨ましがって取り合いになって喧嘩になってしまったり、チョコレートが溶けてしまったり。
子ども同士だけで、ちゃんと受け渡しができるかどうかも分からない。
起こり得る様々なトラブルを避けるためにも、幼稚園側は幼稚園の時間内においてのやり取りを禁止していた。
そういった事情もあって。
バレンタインデーにほど近く、親と子が一堂に会する学芸会にチョコレートを渡す事が、陽ノ森幼稚園の伝統となっていた。
そんな伝統に従い、周りに人が絶えない男の子。
「……ん」
「ありがとうアイリちゃん。大切に食べるね?」
「……ん」
我らがマコトくんは、引っ切り無しに訪れる女の子の相手をする。
そしてその場でお返しを渡す。
バレンタインのお返しと言えばホワイトデーなのだが、バレンタインと同じ理由で、幼稚園でお返しを贈ることができない。
ご近所さんであればお返しに行くことも容易いだろうが、そうでない場合はお宅へと行かなければならない。親御さんへの負担も少なくないだろう。
だけど、貰ってすぐにお返しなんて準備が出来ていない……なんてことにはならない。
陽ノ森幼稚園ではそれなりに有名な話だったし、ママ友の情報網を侮ってはならない。
それに子どもがバレンタインデーをするには親の協力が必要不可欠。
子どもたちの知らないところで、チョコレートを渡していいのか、そしてどれくらいの値段に収めるのか、親たちが事前に示し合わせている。
もちろんマコトないしアカリも、ママ友経由でその情報は掴んでいた。実際は仕事に忙しいアカリに変わって、ミオが嬉々として対応していたわけだが。
その準備物として、アカリの持つトートバックの中にはラッピングされたお菓子が詰まっていた。
念のために言っておくが、トリックオアトリートではない。
「ぼす!」
「ボスはやめて欲しいな……?」
「や!」
「……」
そしてまた一人、マコトの元へと女の子がやってくる。
どの子にも丁寧にお返しをするマコト。
そのお返しにも、彼の心遣いが見て取れるだろう。
どんなお菓子が好きなのか、何の食べ物がダメなのかと、子どもの記憶力をフル活用(自動)。
もちろんそのあたりは、親の方でも伝達済みではあったが。
飴、グミ、おせんべい、ガム、乾物、その他……
一人一人の女の子に合わせて、その中身は異なっていた。
と言っても、複数あるお徳用お菓子を組み合わせただけではあったのだが、それを貰った女の子たちは、自分の好きなお菓子が入っていると大喜び。
そしてこちらは書いた本人も予想外ではあったのだが、お名前シールも好評のようだった。
どれを誰にあげるものなのかと区別するために名前を書いていただけではあったが、自分だけへのプレゼントという独占感を得られたのだろうか。
ともあれこうして一人の男の子は、無自覚にも好感度を上げていく。
彼が人気な理由の、ほんの一部であった。
読んでいただきありがとうございます。
次話は本日中に間に合わせます。




