#069 新年
瞼をうっすらと開け、ぼんやりと見えてくるのは見慣れた天井。
ここ最近はお隣にお泊りが続いたので、ちょっとだけ懐かしくも感じる。
まだ陽は昇っていないのか、カーテンの隙間から覗くのは真っ暗闇で、豆電球の小さく温かみのある光だけがそこにある。
気が付くとマコトは布団で寝ていた。
だが眠りに着いた時の記憶は曖昧だった。
そう思って、昨日の出来事をぼんやりとする思考で思い返す。
(えっと確か……)
ミカンを食べながら、母上から転職するという話を聞いて。
ちょっと早めの晩御飯に、年越しそばをみんなで食べて。
テレビを見ながらカルタやトランプで遊んで。
ミツヒサさんはその合間に一狩り行って。
だんだんとスズカが船を漕ぎ始めて、それに釣られるように僕も。
そして、バスが到着するところまでは何となく覚えている。
平和な大晦日だった。
(……本当にそうだったっけ?)
物音がしない静かな暗い空間ということもあってか、マコトは何とも言えない不安に駆られる。
今までのことは全部夢であって、己の願望の現れだっただけではないかと。
ふとした瞬間に、そう考えることがあった。
社畜として生きてきた前世。
仕事以外にやることがなかったのにそれを手放した。
充実したニート生活を送ってはいたけれど、そこには目的も目標もなくて、心にぽっかりと穴が開いてしまっていた。
とりあえず何かをしてみようと色々と試してみたものの、結局これと言う何かに出会うことはなかった。
殺されようとしている時も、抵抗はしてみたものの、それをどこか受け入れようとしていた。
罪悪感もあったのかもしれない。
自己管理不足で倒れて、上司を始めとした色んな人に迷惑をかけてしまった。
自分が何か取り返しのつかないことをしてしまっているような気がして、終わりにしたかったと、心の奥底では望んでいたのかもしれない。
でも気が付いたら、新しい人生を歩き出していた。
片親ながらも必死に働き子育てに奮闘する母と、可愛らしくて癒しを与えてくれる幼馴染の女の子に囲まれた、自分ではない人生。
そしてやりたいことを見つけた。
母の笑顔を見たい。
幼馴染の笑顔を見たい。
二人を幸せにしたい。
二人を守りたい。
生き続けている限り。
マコトは生きる目的を見つけた。
前世では見つけられなかったものを。
だからこそ怖くなる。
次に目が覚めた時、病院のベッドの上にいるんじゃないかと。
まだ前世は終わってなくて、治療を受けて生き永らえていて、夢を見ているだけなんじゃないかと。
この世界が、気付けば終わっているんじゃないかと。
二人が手の届かない存在になってしまうんじゃないかと。
スズカやアカリがマコトのことが大好きで大切に思っていて、依存しているのかもしれない。
だけどそれは、マコトも一緒だった。
常に二人の存在をどこかに感じていたかった。
前世であれば何てことなかったはずなのに、誰かとの強い繋がりを得てしまったせいで。
良い大人が情けないと思われるかもしれないが、マコトは転生という荒唐無稽な状況を経験して、その世界に生きているが故に。
それに大人だからって心が強くなるわけじゃない。
自分の心との向き合い方とか、制御のし方とか、誤魔化し方がちょっと上手になっただけ。
そういった意味では、アカリの転勤を最も恐れていたのはアカリでもスズカでもなく……他の誰でもなくマコトだったのかもしれない。
「……まぁ…………くん…………」
そんなマコトを心配するように、幼い声が何処からともなく聞こえて来る。
マコトはその声の発生源を確認するために、自分に掛かっている布団の中を覗き込む。
そこには、無防備な寝顔をマコトに見せながら胎児のように体を丸め眠っている幼馴染の女の子。その手はマコトの服の裾をしっかりと握っている。
年越しは彼女の父が徹夜でテレビを見ながらゲームをしており、安眠のためにも毎年八代家で年越しの瞬間を迎えることが多い。
去年と同じであればミオもいるはずだったが、下の娘たちのお世話もあるため戸塚家で過ごしていることだろう。
そしてスズカの反対側からは、すぐ耳元で寝息が聞こえて来る。
寝かしつけるために添い寝をして、そのまま一緒に寝てしまったような状態。首を少し捻り見れば、そこにもまた無防備な寝顔があることだろう。
マコトは二人の存在を確かに感じ取ると、先ほどまで抱いていた恐怖がスッと消えていく。
(まぁ考えてどうにかなることでもないよね)
夢から覚めるかどうかなんて、自分でコントロールできるものでもない。
今の自分では出来ないことに見切りをつけるマコト。もちろん夢や転生関連においては、今後ともできる気はしていなかったが。
(転職は……朝一で確認すればいっか)
そう結論付けて考えることを一旦放棄したマコトは、再びまどろみの中へと向かっていった。
◇◇◇
再び目を覚ましたマコト。
カーテンの隙間からは陽の光が零れている。
体を起こしながらうっすら明るい部屋を見渡すと、テレビが消音状態でついていた。
「――明けましておめでとう」
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「今年もよろしくね、まーくん」
目が合い、新年の挨拶を交わす親子。
気持ちよく寝ているであろうもう一人を起さないようにボリュームを絞っていたのだが。
「…………?」
ムクリと掛け布団が膨らみ、その隙間から籠っていた熱気が一気に逃げていく。
「…………ふゅッ!?」
そして、急に吹き込んできた冷気に驚いたようで、暖を求めて布団をかぶり直す。ゴソゴソと蠢きマコトの足を見つけると、そのまま体を這うようにして出口を目指す。
布団から顔だけを出したスズカは、マコトと目が合うとにへらぁと相好を崩すと、あくびを必死に噛み殺しながら。
「ぁけまして、ぉめでとーごじゃいます……。ことしも、ょぉしくおねがいしまぁす………………ふぁぅ……」
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「…………むふぅ」
新年の挨拶を終えて満足したスズカは、いつものようにマコトへと抱き着く。
マコトはそんな彼女の頭を優しく撫でながら、自分の頭の片隅にちらついてる疑問へと挑む。
「……おかーさん、お仕事変わるんだよね?」
「うん、そうだよ? ……もしかして夢だったかもしれないって思っちゃった?」
その言葉にマコトは、表情を変えずに頷く。
しかしその表情に不安が見え隠れしていることは、特に親しい間柄の人物にであれば気付けたのだろう。
アカリはそんな息子を安心させるように頭を撫でる。
「ふふっ、大丈夫よ。ちゃんと転職するし、すーちゃんともずっと一緒だから。それに夢だとしても正夢だから大丈夫だよ」
「……すーがずっといっしょ………………むふぅ」
そうして大切な二人に囲まれ、マコトは新しい年を迎えた。
マコト、スズカ、アカリは着替えを済ませると、戸塚家に来ていた。
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「……明けましておめでとう。今年もよろしく」
徹夜明けで反応の鈍いミツヒサは、隣に住む子の頭をガシガシと乱暴に撫でる。
マコトにはいろいろと感謝していた。
妊婦だったミオに気を使って、手伝いも積極的にしてくれた。
スズカのこともしっかりと守ってくれた。若干……いや多分に過保護のような気もするが。そして抱き着かれて羨ましく思わなくもなかったが。
そして、育休中に同僚たちに置いていかれて差が開く状況に思い悩んでいたところに、テレワークを始めるきっかけを与えてくれた。
……この点に関しては、マコトが転勤後にスズカとビデオチャットをするための下準備として画策していただけであって、マコトが意図した結果ではなかったが。
ワイワイと賑やかな家族とお隣さんの姿を確認し、元旦のやるべきことを終えたミツヒサは「おやすみ」と告げて布団へと向かった。今年も家族のために頑張ろうと決意をしながら。
そんなテレビに狩りに双子のお世話にと頑張った三十半ば過ぎの背に、マコトは感謝の言葉を伝えた。
読んでいただきありがとうございます。




