#172 ろうそく
マコトとの会話の許可を得たミサトだったが、会話の相手はもっぱらスズカだった。
本音としてはマコトと会話をしたいのだが、その対象は許嫁のご機嫌を損なわないためにも、大人の女性との会話は自粛中のご様子。
スズカもマコトにしっかりと身を寄せている。無意識なのかもしれないが、何人たりとも割り込ませない、という気迫さえ感じる。
もっとお近づきにはなりたいが、今無理に攻めても逆効果であると考えた大人の女性は、緩やかに歩み寄っていく――
(それにしても、こんな素晴らしいものがあるなんて……)
やはりスズカはマコトの事となると警戒心が腑抜けてしまうようで、ミサトに言葉巧みに誘導されてしまっていた。
ローテーブルの前に座るミサトの視線は、スズカが一枚また一枚とページをめくるアルバムに釘付けだった。
「スズカちゃんはこの頃からまーくんのこと好きなの?」
「んーん、ちがう。はじめてあったときから」
「そうなんだ~。一目惚れってやつ?」
「ん! そう! ひとめぼれ」
「それってどの写真? 見せて見せて?」
「……、これ!」
スズカはアルバム――”まーくん 0さいのきろく”を一番最初のページまで戻し、そのうちの一枚――生後一週間のマコトと生後八ヶ月のスズカのツーショット写真を指さす。
「……この時のこと覚えてるの?」
「ん。ちゃんとおぼえてる。きねんび」
当然のことだと自信満々に言い放つスズカ。そこに映るスズカは、確かに眠るマコトに興味津々な様子だが、一目惚れをしたのかも、覚えているのかも怪しい。何度も繰り返し写真集を見ているうちに、そうだと思い込んでいる……というのが周りの大人たちの見解である。
もちろん指摘をする者はいない。誰も損をしているわけでは無いので。ミツヒサは……、父親の宿命だろう。
「まーくんちっちゃくて可愛いね~」
「ん。かわいい。こっちベストショット」
「お~。可愛い可愛い!」
「こっちもベストショット」
「わ~」
「これと……、こっちも」
「……ベストショット多いね」
「ん。それがしゃしんしゅう」
「なるほど確かに……」
スズカは写真集を見るのに夢中で気付いていない。隣で覗き込む大人の女性の目が怪しく光っていることを。
(この写真集欲しいなぁ……。貰う……のは流石に無理だよね。スズカちゃんの宝物っぽいし……。……複製本とかあったら買うんだけどな~)
タダで、なんて都合の良い事は言わない。大人の女性(独身/実家暮らし)は、そこそこ持っている。
(後でダメもとでアカリさんにお願いしてみよっかな~。表紙の撮影者にアカリさんの名前も入ってたし……)
よくアカリから写真や動画を見せてもらって(正しくは自慢されて)いる。その度データを欲しても、頑なに首を縦に振ることはなかった。望みは薄い。
(――はっ! 誕生日プレゼント!っていうことにすれば! 我ながらナイスアイディアじゃん!)
図々しくもプレゼントを指定しようとする二十八歳であった。
画策するミサト、楽しむスズカと並んで、自分の幼いころの写真集を一緒に見せられているマコトは、遠い目をしながら置物のように時間が過ぎるのを待つ。
マコトにとって、”ちっちゃくて可愛い”というワードがトラウマ……と言うほどではないが苦手だ。マコトが上手く笑えない原因のいくらかは、妙齢の女性にオムツを替えてもらいながら、そう言われたからかもしれない。
「――そろそろケーキ食べるよ~。すーちゃんは写真集片付けてね~」
「ん!」
そんなマコトを救ったのは、ケーキを食べる準備をしていたアカリだった。
「また後で見せてくれる?」
「ん、いい」
「ありがとー!!」
「……」
名残惜しそうにお願いするミサトに、スズカが快諾。時間制限付きの救いだった。
スズカが写真集を片付けると、マコトと一緒に手を洗って戻って来る。大人たちも忘れずに手を洗う。子どもたちがやっているのに、自分たちがやらないのは示しが付かない。
プランク姿勢で試験の問題集を開いていたミツヒサも、背によじ登り遊んでいたフウカとキョウカを器用に下ろし、二人を専用テーブルにライドオン。双子はローテーブルの上に乗せられたチョコレートケーキに必死に手を伸ばす。
「ごめんね~。ふーちゃんときょーちゃんは、まだチョコレートは食べられないの」
「ぶぁ!」
「いーぁ!」
「ホント、ミサトおばさんは酷いね~。二人が食べられないのを要求するんだもんね~」
「ちょ! アカリさん!?」
地味に焦るミサト。
まだ一歳一ヶ月の双子は、チョコレートはNGだ。まぁ、チョコレート以外のケーキもNGなのだが。
「大丈夫! 二人にはママ特製の愛情たっぷりバナナヨーグルトがあるから!」
もちろん二人にもおやつは用意している。
二人でバナナを半分こ、輪切りを更に半分にして自家製無糖ヨーグルトをかけ、そこにミオの愛情を加えたもの。
「う~、いいでちゅね~。ママの愛情入り、俺も欲しかった~」
「ま……戸塚さんの赤ちゃん言葉は、なんか……」
「高梨は出禁にするか」
「嘘ですごめんなさい! 渋い声でかっこいいです!」
「ミサトは出禁にしよう!」
「嘘ですごめんなさい! 普通の声で普通です!」
不用意な発言から戸塚夫妻に出禁を食らいそうになるミサトは、急いで話題を変える。
「――こ、これ、スズカちゃんとまーくんの二人で作ったの!?」
「ん。まーくんといっしょにつくった」
「すごーい! お店に売ってるやつみたい! 二人ともありがとぉ~」
「良かったね、すーちゃん」
「ん♪」
褒められ、マコトに抱き着きながら喜ぶスズカ。ミサトの一番の味方は子どもたちかもしれない。
「これはもしかしてまーくんが?」
「うん、書いた」
「そうなんだ! 嬉しい~! ありがと~!」
ケーキの上に乗ったHappy Birthdayと書かれたチョコレートプレートに喜びを顕わにするミサトは、スマホのカメラで記念写真を撮る。
「あ、出来ればまーくんたちと一緒に写真を……」
「ま、今日は誕生日だし特別にね……」
「よぉしっ!!」
ミサトガッツボーズ。もう出来る女の擬態は諦めたのだろうか。
そうして誕生日ケーキと一緒に、全員で記念撮影をする。
もちろんカメラはスマホではなく、ミオが所有する一眼レフだ。三脚を使用して、三度ほどタイマーをセットして撮った。
「後で送るね」
「ありがとうございます!」
「じゃあろうそくを――」
「アカリさんストッォプ!!」
チョコレートケーキにろうそくを突き刺そうとするアカリの手を掴み待ったをかける。
「……何よ? 誕生日ケーキにろうそくは必要でしょ」
「いやそのぉ……、もうこの歳でろうそくはちょっと……」
ミサトもお年頃である。
誕生日は祝われたいが、歳の差がはっきりするのは御免こうむりたいところ。
「……アカリさんも誕生日ケーキにろうそく立ててるんです?」
アカリはミサトの二つ上だ。
さすがに……と思っていたが――
「うん、立ててるけど?」
「うそん……」
今年のアカリの誕生日ケーキには三本のろうそくが立っていた。
そして今回、ミサトは二十八歳なので六本だ。
戸塚家八代家では、十歳で太い、五歳単位で中くらい、一歳単位で細いろうそくを使ので、二十八歳なら、十歳×二本、五歳×一本、一歳×三本の計六本。
子どもたちに自分の年齢を覚えて貰うため、計算する癖をつけてもらうため、そして何より、ろうそくの火を消すイベントを子どもたち――主にスズカが楽しみにしているので。
「ミオ先輩も……!?」
「うん? うん、もちろん」
「うそん……」
救いを求めてミツヒサにコーヒーを注ぐミオを見るがすげなく。
「ミサト、女は歳を取ってこそ、その魅力に磨きがかかるものよ」
ミオの言葉に、ミツヒサとマコトがうんうんと頷く。
「それは先輩が結婚してるから言えるんです! 持ってる者だから言えるんです!!」
「言えるから、持っているのよ」
「なんか哲学!!」
正確にはアカリも独身ではあるが、彼女にはマコトというかけがえのない存在がいる。つまり持っている側だ。
年齢を気にしていないミオとアカリ。
年齢を気にしているミサト。
その二者の差。
世間ではミサトが一般的なのかもしれないが、残念ながらこの場では違った。
「スズカちゃん、まーくん。ママたちがお姉さんを苛めるよぉ……」
「すーもろうそくたてる」
「……」
「ふーっ、てするのたのしい」
「……」
「いちねんにいっかいしかできないから、たいせつにふーする」
「……」
そして純粋にろうそくイベントを楽しみにしているスズカの言葉が、ミサトの心を抉る。
味方は居なかった。
そんな大人な女性を哀れに思ったのか――
「……綺麗に作れたから、ろうそく刺すのはもったいない……気がする」
――マコトが助け舟を出す。
綺麗に均され盛られたケーキに、穴を開けるのはもったいないと。
綺麗な状態を喜んでくれるなら、綺麗な状態のままでも良いのではないかと。
もちろん、それは口実だ。
年齢を気にする女性に対する気遣いくらいは出来る。まだ五歳にもなっていないがマコトなので。
「……まーくん!!」
唯一居た味方。
しかもそれが愛するまーくん。
ミサトの中でマコトの株は大きく上がる。
「そうです! こんなに綺麗なんだもん! ろうそくを刺すなんてもったいない!!」
最強の味方を得たミサトは、力強く主張する。
「まーくんの言うことも一理ある」
「そうね、これ以上主役を苛めるのも何だし」
「……」
アカリはマコトの言葉に頷き、ミオも先ほどのミツヒサへの不用意な発言の仕返しは終わったと、見えない矛先をあっさりと収めた。
「ろうそく、ふーしない?」
「うん。ろうそく刺すと穴開いちゃうからさ。すーちゃんが綺麗に作ってくれたから、もったいないなって」
「♪」
マコトの説明にスズカも納得し、ミサトは誕生日ケーキにろうそくが立てられるのを阻止した。
その後、マコトとスズカの妙に発音の良いHappy birthday to youを聞き、六等分されたケーキにフォークを入れる。
「まーくん、あーん」
「あーん、…………おいしい」
「♪」
「お母さんもあーんする?」
「うーん、でも今日お母さん誕生日じゃないし」
「……勤労感謝の日だから、感謝したい」
「じゃああーんしてもらおっかな」
「はい、あーん」
「……ありがと、おいしいね」
「すーももういっかい!」
ラブラブな幼馴染とラブラブな親子。
「みーくんも、あーん」
「……」
ラブラブな夫婦も相変わらず。
「…………あれ、私の誕生日……」
ミサト二十八歳独身彼氏無し。
彼女の戦いは、始まったばかりだ。
読んでいただきありがとうございます。
改稿履歴
2023/02/12 20:12 ろうそくの本数に関する補足文を追加・修正




