#171 まず馬を射よ
明けましておめでとうございます。
…ご無沙汰しております。
(ふぉぉおおお! まーくんが動いてる!!)
パチパチと瞬きをして、久しぶりの光に目を慣らそうとするマコトを目の前にしたミサトのテンションは否応なしに上がる。
アカリが入社してきて以来、出社直後のルーティーンとして欠かさず”今日のまーくん”を見続けてきた彼女にとって、マコトの存在は推しのアイドル的存在以上となっているゆえ。
(動画で見るより全然可愛いっ!! 雰囲気がたまらんっ!!)
子ども特有の無邪気で無尽蔵な快活さは一切感じ取れない、良く言えば落ち着きのある、悪く言えばくたびれた雰囲気。
それを纏っているのがこんなにも小さな男の子というそのギャップが、元々それほど子どもに関心の無かったミサトの心をも鷲掴みにしてしまっていた。
(うんうん、この目! この目だよ! この目が見たかった!! もうホント、なにこの表情!!!)
力のない目。
動かない表情。
これがフラットな表情だと知っていなければ、機嫌を損ねてしまったのでは?と、さぞ焦ることだろう。もちろん、動画で予習してきたミサトは当てはまらない。
(ふむふむ、やっぱりアカリさんに似てるなぁ。目元とか鼻筋とかそうだよね~)
動画では食い入るように見せて貰えなかった分、それを取り戻すかのようにまじまじと観察しながら、八代親子のつながりの答え合わせをしていると、その対象から遠慮がちに声が掛かる。
「あの……」
しかしそれを阻む者が。
「むぅ!」
邪な視線を感じ取ったスズカは、緩んでいた警戒心を取り戻した。
マコトは「oh……」と情けない声を漏らしながら、再び視界は暗闇に閉ざされる。
「まーくん、うわきはだめ」
「……もちろんです」
浮気をしたつもりはない。だがそれはマコトの主観だ。スズカが浮気と言うのであれば、それは浮気なのだろう。
だからマコトは素直に暗闇を受け入れた。
スズカを不安にさせてしまったことには違いないのだ。気の済むまで付き合うべきだろう。
「……アカリさん、スズカちゃんの浮気判定、厳しくないですか?」
「え? 普通じゃないかな。ね、すーちゃん? 普通だよね?」
「ん、ふつう」
「「……」」
ミサトはアカリにクレームを入れるものの、すげなくあしらわれる。
(くっ……、まーくんのガードが固すぎるっ!!)
ちょっとお話ししようとしただけで、割り込んでくる幼女。独占欲が強いのは母親譲りだろうか。そしてその味方をする母親。嫁と姑の関係は良好のようで。
「えっと……、スズカちゃん、どんなことしたら浮気になるのかな? お姉さんに教えてくれないかな?」
「どんなことしたら……?」
「そうそう。お姉さん、まーくんとお話したいんだけど、ダメ?」
「だめ」
「どうして?」
「……まーくん、おとなのおんなのひととのおはなしするの、たのしそう」
「そうなの?」
「ん」
その会話を聞いたマコトは反省した。
マコトはスズカとのおしゃべりは好きだ。
必死に言葉を紡いで何かを伝えようとしてくるスズカはそれはもう可愛らしく、一日中相手をしていられるし、実際している。
ただ、マコト自身も無意識だったのだろう。
子ども相手の会話というのは、どうしても聞く側に徹する時間が多くなる。こちらから話題を投げかけているようで、実際には子どもの言いたいことを引き出そうとしている。
そこに自分の意見や意思はない……とまではいかないが二の次三の次。あくまで子どもがメイン。
だが大人との会話は違う。
マコトは子どもなので当然気を遣われるが、それでも子ども相手とは違って会話のキャッチボールが成り立つ。
中身が大人であるマコトにとって、そういった会話が楽しいのは確かだ。
あまりに自然体になりすぎて、ボロが出ないように気を付けるくらいには。
自分の意見をぶつけたり、根回しをしたり、情報を聞き出したり……
その相手が女性に限定されるわけでは無いが、子どもの身では何かと関わる大人は女性が多く、またマコトも無意識に喜んでいる可能性も否定できない。マコトも男だ。女性にちやほやされて悪い気はしない。表情には出ていないはずではあるが。
(気を付けないとな……)
スズカに悲しい思いをさせてはならない。
少なくとも自分自身の行動が悲しむ原因となるのは、マコトの望むところではない。存在意義にも関わる。
そうして今後の行動をどう改めようかと考えている幼児とは反対に――
(……ほう、まーくんは大人の女の人とのおしゃべりが好きと……。これはワンチャン……!?)
希望の光が見えてきたと喜んでいる大人の女の人が約一名。
てっきりスズカとアカリの二人を大好き過ぎて他に興味が無いのかと思っていたが、そういう訳でもないらしい――と解釈したミサト。あからさまな笑みが漏れ出ないよう、表情を一層ひきしめる。
「――そうかな~。すーちゃんの相手してる時ほど楽しそうなまーくんは見たことないけど……」
しかしその希望をすぐさま摘みとる大人の女の人も約一名。
実際のところ、マコトのスズカに向ける表情と他所の人に向ける表情には天と地との差がある。
子ども相手だと甘くならざるを得ないにも拘わらず、当時三歳の陽ノ森幼稚園元ばら組の女児たちが、本能的に二人の間に割り込むのは不可能と認識するくらいには温度差があるのだ。
ぽっと出の女相手にマコトが靡くはずもない。
あくまで人間関係を円滑に構築するための営業スマイル。笑えてはいないが。
ただ、スズカはそれすら許せないのかもしれない……
「あとね、まーくんとおしゃべりすると、みんなまーくんすきになっちゃうから」
「あー、うん、それは確かに……」
「まーくんモテモテなんだ? もしかして幼稚園でも?」
「ん。みんなまーくんすき。ねらわれてる。だからすーがまもらないといけない」
「そうなんだ~。すーちゃんも大変なんだね」
「ん。まーくんうさぎぐみで、すーひつじぐみだから、たいへん。きがやすまらない」
スズカのその警戒心は正しい。
幼稚園でマコトはその優しさやら遊び上手さやらから男女問わず人気がある。バレンタインで貰ったチョコレートの数がそれを証明している。スズカと同学年の陽ノ森幼稚園の女児たちの初恋は、マコトという子も少なくない。涙を流した父も片手では収まらない。
マコトの対応の温度差とスズカの圧があるにも関わらず、純真無垢な幼女たちはスズカのポジションを夢見てしまうのだ。
現にうさぎ組ではスズカの不在を良いことに、マコトにすり寄る女の陰がちらほらと見え始めている。スズカの休憩時間を利用した地道な主張が無ければ、今頃はユウマと同じようになっていたかもしれない。
「……おねえさんも、まーくんねらう?」
「えっ!? あー、うん、まーくんカッコいいし、好きになっちゃうかもしれない……」
「むっ……、またてきがふえた……」
「大丈夫! スズカちゃんとまーくんの仲を邪魔する気はないから!!」
「ほんと?」
「うん、ホントホント! だからお姉さんもまーくんとおしゃべりしたいです!! お願いします!!」
五歳児に五歳児と会話がしたいと頭を下げる二十八歳独身女性。
「むー……わかった。じゃあ、すこしならおしゃべりしてもいい」
「ありがとうございます!!」
心からの真摯なお願いが通じたのか、スズカは渋々と言った様子で頷く。
そうしてミサトは一旦全面的に降伏する形で、マコトと会話をする権利を獲得したのであった。
「……すーちゃんすーちゃん」
「なに?」
両者の間で落としどころが見つかったところで、マコトもそろそろ良いかと目隠しの解決に本腰を入れる。
「そろそろすーちゃんの可愛いお顔が見たいな」
「!? ん♪」
マコトがそう言うと、スズカはあっさりと目隠しを外した。そしてすぐさまマコトの正面へと回り込むと、マコトの頭を両側頭部を両手で固定し、私だけを見なさいと言わんばかりに自分のおでこをマコトのおでこにくっ付ける。ついでに鼻先も。
「……ちょっと近くない?」
「だいじょうぶ」
「さいで」
「………………、…………む、ふ♪」
マコトの視線を至近距離から受けたスズカは、間もなくいつも通りに。
こうして、マコトも目隠しから解放されたのであった。
「そんなあっさり……」
「まぁあれよ。二人ともイチャついてただけだから。ミサトを使って」
結局のところ、スズカはマコトの浮気を本気で責めているわけではない。マコトとイチャイチャするための方便の一つでしかないのだ。
まぁそれでも煙の立たない所になんとやら、マコトもそこから学んでいたりするのだが。
「私、当て馬……?」
「そんなとこね。ご愁傷様」
「……アカリさん、恋って障害があるほど燃えるものなんですよ?」
「燃えたら即通報だからね?」
「……119?」
「110よ」
「……」
読んでいただきありがとうございます。
気付けば年が明けて…
今年は更新頻度を上げるよう善処いたします。
マコトたち共々よろしくお願いいたします。
女神様にお祈りをしていただければもしかしたら…




