#016 ブーム
なんか思ったより書けたので投稿します。
僕は今、幼稚園バスの停留所まで一人でとぼとぼと歩いている。
幼稚園の体操服姿で、指定の黄色いリュックを背負って両手で肩ひもを掴みながら。
隣には誰もいない。
保護者である母上はすでに仕事に行ってしまわれている。
アパートの駐車場を通り抜けて、停留所に着いた。
それほど遠くはない。 アパートの駐車場を避けてすぐの場所だ。
大人の足でものの数秒といったところだろう。
だがその道のりは、とてつもなく長く感じられた。
隣にスズカがいないだけで、こんなにも心が苦しくなるなんて……。
ぼーっとしたスズカ。
むふぅと照れるスズカ。
にへらぁと笑うスズカ。
おやつを頬張るスズカ。
いろんなスズカの表情が脳裏に浮かぶ。
あんなことやこんなことがあったと思い出に浸りながら、僕は停留所で一人寂しく待つ。
僕は今、だいぶ疲れた表情をしているかもしれない。
だいぶ老けてしまったようにも感じる。だいたい32歳くらいに。
辛い。
……ぐすっ
……。
――トテテテテテテ
!?
――――ぎゅっ
ふぉ!?
「……まーくんおはよ」
ふぐぁっ!
そんな無垢な瞳で上目遣いで見られたら!
「……まーくん?」
「お、おはよ、すーちゃん」
――――ぎゅっ
ふぐぁぁぁああああっ!
あぁ、今日も朝から幸せや……。
さっきまでの胸を締め付けられるような気持が、跡形もなく吹き飛んでしまった。
今日はもう満足。いい夢見れそう。
「よし、帰ろう」
今すぐ帰って今の光景を脳に焼き付くまで復習しなくてはならない。
「まーくん、まだ幼稚園行ってないわよ?」
スズカの後ろから歩いてきたミオさんがビデオカメラを片手に呆れたように言う。
わかってます。言ってみただけ。……ホントだよ?
「まーくん、……むふぅ」
あぁ、スズカは今日も天使様。
相変わらず可愛いね!
……え? スズカを堪能する前に、どういうことかそろそろ説明をしろと?
あの辛い時間を思い出せというのか? あなたは鬼か?
まぁ、スズカが抱き着いてくれている今なら耐えられそうだから説明しよう。
スズカのマイブーム。
”まーくんと日替わり待ち合わせ!”
理解した? ネーミングセンスは知らん。
8時10分ごろにバスが来るんだけど、僕は必ず8時ちょうどに家を出る。
もちろん戸塚母娘には僕がその時間に家を出ること伝えてある。
そして生まれた遊びが、スズカが僕と一緒に停留所に行かずに少し時間をずらして待ち合わせをする、というものだった。
毎日のように、どうやって朝の挨拶をするか変えてくるんだ。
朝、僕が玄関開けたらおはようの時もあれば、今日のように停留所まで焦らしてくる時もある。後者は地獄だ。
あぁ、幼稚園児が外で一人は危ないって?
ミオさんは目の届く範囲にいるよ? 戸塚母娘との距離は5メートルないから。
焦らすと言ってもすぐ後ろから付いて来てたから。でもそれはそれで辛いんだ。
「今日のまーくんの背中、哀愁がすごかったわよ……?」
ね?
そういうわけで、幼稚園児でも安全安心な待ち合わせをエンジョイしている。
……幼稚園児の遊びだからこんなもんよ?
ちなみにスズカとミオさんは毎朝作戦会議をしている模様。
ミオさん好きだよね、こういうの。うん、大変結構です。できれば焦らしは少な目で。
しかしブーム初日は絶望だった。
なんたってスズカが僕と距離を取ろうとするんだ。
立ち止まると距離を保ったまま一緒に立ち止まって。
待ってても立ち止まったまま。
近づくと逃げられて。
頭真っ白になるよね?
僕が何かしてしまったのかと。
この世に絶望したよ。女神イヌアンナどうなってんの。
膝から崩れ落ちた僕に、さすがに戸塚母娘が見かねて近づいてきて事情を説明してくれた。
「……まーくんとまちあわせしたくて」
復活。
ちょっと申し訳なさそうにしているスズカの表情が可愛かった。
「……まーくんごめんね。もう……やらない」
「いいよ、やろう」
「……ほんと?」
「うん」
「まーくん、すきぃ! ……むふぅ」
迷わずやるよね?
――ということがあってスズカのブームとなった。
ちなみに今日の待ち合わせは一昨日の変化球バージョンだ。
予想を裏切られた。まさか抱き着いて来るとは。
「すーちゃん、今日はまーくんの隣にピタッとくっつくだけにするんじゃなかったの?」
「……わすれてた。まーくんにはやくおはよしたかった」
……ふへっ。
「がまんむずかしい……」
……き、今日は言葉攻めもあるんですか?
ただただスズカは思ったことを口にしているだけかも知れないが、僕のハートにサックサックと矢が突き刺さっていくんですけど。ちょっと待って。一つ一つの矢をゆっくり味わいたい。
「……ミオさん。帰ったら今日の動画見せてください」
「いいわよ~」
やっほい。今日は帰ったらエンドレスで動画鑑賞だね。
ミオさんは毎日のようにビデオカメラを回している。
すでに保存用ハードディスクは3台目に突入しているそうで。まだこの時代、容量少ないくせに高いんだよなぁ……と思うのは未来を知っている弊害か。
……ハードディスク? 何かが引っかかった気がしたけど気のせいだろう。
そういうわけで、今日のやり取りももちろん後で見返せる。幼稚園から帰ってくるのが楽しみだ。
そんなこんなしていると丁度バスがやってくる。
「「おはよーございます」」
二人そろって先生に挨拶をする。あぁ、スズカが良い子に育っとる。
「「いってきまーす」」
「いってらっしゃ~い」
ミオさんに挨拶をして、スズカに続いてバスに乗り込む。
あぁ、早く幼稚園終わらないかな。
読んでいただきありがとうございます。
次回⇒相変わらず未定ですが、できるだけ早く上げられるように頑張ります。
改稿履歴
2020/10/22 21:20 サブタイトル変更
2020/10/24 01:33 [コメントより]時代背景の整合性に不自然な点があったため、それを示唆する文章を修正しました。
2020/11/08 21:42 行間修正
2021/06/13 22:27 通園服を園服から体操服に変更しました。




