#167 エプロン
時は遡り、本日の主役の目が覚めた頃。
規則正しい生活リズムを送る八代家では、誕生日ケーキ作りが始まろうとしていた。
お菓子作りも含めて料理と言えばミオの領分なのだが、今回は不参加だ。
平日の日中は仕事で忙しくしているアカリに、愛する我が子と接する時間を少しでもというのが表の理由。
大人の理由としては、双子のお世話や昼食の準備、キッチンと冷蔵庫の占有権の関係上。あとは夫婦の時間を……
そういった訳で、この場にいるのは三人。アカリとマコト、そしてスズカだ。
「アカリさん、なんのケーキつくる? いちご?」
「ううん、今回のはチョコレートケーキだよ」
「チョコもすき」
以前食べたミオ特製のチョコレートケーキの味を思い出すスズカ。幼くとも女の子。甘味には目が無い。そして食べ盛りでもある。
「今日はミオいないけど、頑張って美味しいの作ろうね~」
「ん! まーくんのいぶくろをわしづかみ!」
「うん、頑張ろ~」
「お~」
和やかに拳を突き上げ、盛り上がる女二人。
主役を間違えているとか、鷲掴みは痛そうだとか、そのあたりは二人にとって些細な問題である。
そして自分も手伝った料理で胃袋を掴まれようとしているマコト。
相変わらずなスズカとアカリに優しい視線を向けながらも、密かに気合が入っていた。
(母上の同僚か……)
本日の主役は、アカリだけではなく戸塚夫妻とも交友のある人物。
大人たちの団欒中の会話にも何度か登場しており、聞き耳を立てているマコトは彼女の存在を知っている。
そこから推測される人物像は、”お茶目な人”だ。
よく先輩や社長や後輩やお客さんから弄られたり揶揄われたりしている、という話ばかりを耳にするせいだろう。
そして誕生日を祝うくらいなので、アカリや戸塚夫妻――主にミオも気を許している間柄でもあるということ。
付き合いで仕方がなく……という可能性も捨てきれないが、子どもたちもいる家にまで招こうとはしないだろう。
(母上がお世話になってるんだから、ちゃんとしたのを作らないとね……)
大切な母上と仲良くしてくれているということであれば、マコトのおもてなし度もあがるというもの。
それに、ここで小さな子どもから贈り物をして親子共々好感度を上げておけば、今後とも良きお付き合いを望めるだろう。
ある程度仲が良いと思っていた相手でも、一度恨まれれば、最悪の事態だってあり得るのだ。人間関係を疎かにしてはならないと身をもって知っている。
という訳で、いざ贈り物のケーキ作り……とその前に、まずは料理をする格好になる必要がある。
マコトはリビング兼ダイニングからキッチンへと続く戸のすぐ脇で、フックにかかっているマイエプロンを手に取る。
お手伝いマスターのマコトのために作られた、ミオお手製のエプロン(三歳の誕生日に戸塚家からプレゼント)だ。
デザインは首元から膝近くまでを一枚布で覆う首掛けタイプ。
汚れても目立ちにくいライトグレーを基調に、差し色として首紐と腰紐、両サイドのポケットに紺色が使われている。
同年代の子どもとは異なり、キャラものや柄物、派手な色使いを好まないマコトの希望に沿った、落ち着いた印象のエプロンとなっている。
背が伸びることも見越して作られており、裾丈は折り返しの位置を変えることで、ある程度調整可能となっている。
この年頃の子どもが使うものはそう長持ちするものでもないのだが、マコトは物を雑に扱う事が無いため、非常に物持ちが良い。服にしろおもちゃにしろ、長く使えるに越したことはないのだ。
ちなみに洗濯中でもお手伝いが滞らないようにと、ほぼ同じデザインのエプロンを三着所有していたりする。
「すーがむすんであげる!」
「うん、お願い」
エプロンの首紐に頭を通し、後ろ手で腰紐を結ぼうとするマコトに、スズカから待ったの声が掛かる。
かれこれ二年近く使っているため、背中側で紐を結ぶのも慣れたもの。しかしスズカが「やりたい」と言うのであれば、マコトが遠慮する理由もない。
腰紐を背中側で結んで貰うべく、マコトはスズカに背を向けようとする。
しかしスズカはマコトを中心にクルクルと回りながら、マコトの視界に収まろうとしてくる。
邪魔にならないようにと後ろで一つに束ねたスズカの艶やかな髪が、遠心力と慣性力にしたがって華麗に靡く。
「……左と思わせて~、右、左、右、右、下、左――」
「――む! む! む! む! む? む! ――」
そうして少し息が上がってきたところで、スズカの意図を把握すべくマコトが聞く。
「すーちゃん?」
「まーくん、うごいちゃダメ」
「……?」
どうやらマコトの細やかな気遣いは、スズカの望むところではなかったようだ。
とりあえず言われるがままに直立不動になったマコト。スズカはマコトの正面に立つと、そのまま抱き着くようにして背中側へと手を伸ばす。
腰に手を回そうと少しばかり膝を曲げているため、マコトよりも背の高いスズカの頭が、丁度マコトの鼻先をこする位置にくる。スズカからすると、鎖骨あたりに鼻先を押し当てる体勢だ。
「…………む、ふ……」
「……このやり方、誰に教わったの?」
「ママがパパにやってもらってた」
「……さいで」
教えてもらったのではなく、やっていたのを真似した。
百聞は一見に如かず。
(ミオさんとミツヒサさんも相変わらずだよね……)
良く知る仲睦まじい夫婦が、今のスズカと自分のような体勢となっている姿を想像してしまったマコト。
ミオの身長は160センチ前後。そしてミツヒサは180センチオーバー。
二人の体格差はそこそこあるとは言え、ある程度密着する必要があるだろう。そしてミオは双子を出産した後も、絶え間ない努力でそのグラマラスなボディを維持している。
(娘の前で……、よくやるよね……)
同じ男として、ミツヒサの忍耐力には尊敬するばかりである。
いや、我慢できずにちょくちょく男女の時間を作っているのかもしれないが、そのあたりは壁の向こう側の出来事。マコトの知らない世界。
(あ、もしかして腰紐を後ろでしか結べない長さにしてるのって……)
腰紐が長ければ、腰回りを半周させて正面で結ぶことができる。既存のアイディアだし、子どもにとってもそちらの方が楽なはずだ。そして料理好きでエプロンを着慣れているミオが、そのあたり考えていないとも思えない。故にその推測は正しいのだろう。
「…………………………できた」
「ありがと」
「ん♪」
そして十分に時間を掛けて堪能したスズカから完了報告。
マコトはエプロンのずれを正し、さりげなく結び目を触って問題が無いことを確認する。
「じー…………」
するとスズカから擬音付きで視線が刺さる。
エプロンの肩紐に頭を通して腰紐はそのまま。腰に手を回しやすいように腕を広げて「さあ、来て」と言わんばかり。
「とりあえずすーちゃん、それ声出さないやつ」
「でもママもいってた」
「……さいで」
そう言われてしまえば、マコトも反論できない。しっかりと親の背を見て逞しく育っているようだ。
「分かったって」
「ん♪」
マコトはそう言うと、スズカの背後に素早く回り込む。
「スキありっ」
「むっ!?」
隙をつくものの、スズカがクルっと回れば再び正面。
マコトが後ろから羽交い絞めにすれば背後は取れるのだろうが、それでは腰紐が結べない。
「まーくん」
「あいさー」
マコトに選択権はなかった。
(……ミツヒサさん、マジ尊敬)
純粋無垢な心を持つ子どもなら、ただのじゃれ合いでしかない。
だが大人の階段を一度は上り、そして浄化されることなく下りてきたマコト。色々と邪推してしまうもの無理はないだろう。
(相手は子ども。自分も子ども。だから問題はない)
と言っても、マコトもロリコンではない。
可愛らしいスズカを愛おしく思っていても、そういった感情を抱くにはもうしばらく時間が必要だ。
マコトはスズカの腰に手を回し、ものの五秒ほどで結び終える。
「むぅ、もうちょっとゆっくりしてほしかった……」
「すーちゃんの可愛いエプロン姿を早く見たかったから」
「…………む、ふ……」
残念そうに口を尖らせていたスズカだったが、マコトの一言に口を尖らせたままもにょもにょと。女の子は誰しも、好きな男の子に着飾った姿を見て欲しいものなのだろう。
マコトからデジカメを向けられ、すまし顔を作るスズカ。
「すーちゃん、可愛い」
「……」
「So cute!」
「……」
「You're my angel!!」
「……む、ふ♪」
「……意味わかってる?」
「ん、たぶん。………………む、ふ」
褒められている雰囲気であるならば、ボディビルの掛け声以上に何でも良いのかもしれない。
そんな仲睦まじい二人を、少しだけ羨ましそうに撮影していたアカリ。
一旦ビデオカメラを置き、マコトのエプロンの隣に掛けてあった、まだ洗ってから一度も使っていないエプロンを手に取り身に着け始める。
今日は子どもたちに調理は任せ、アカリは監督兼撮影係ではあるが、キッチンに入るならエプロンは必需品だろう。
アカリは腰紐を結ばずに垂れ下げたまま、マコトの手が届くように膝立ちの体勢を取る。
「まーくん、お母さんのも結んで欲しいな~」
「……」
「ほら、お母さん、カメラ持ってて片手じゃ上手く結べないから」
「……」
そして再び手にしたビデオカメラをアピールする。
(母上もスズカに負けじと大胆になられて……)
この年頃の子と母親のスキンシップがどれほどのものかよく分からないが、日を増すごとに積極的になっている気がしないこともない。
お隣さん一家の影響を受けている可能性も考えられるが――
「まーくん、ダメ?」
首を傾げてお願いしてくるアカリ。
(やっぱり寂しいのかな……)
マコトも甘えるのが得意ではない自覚はある。抱っこをねだった記憶もない。
早い段階から自立行動をしてしまっているし、スズカの遊び相手を努めていることも多い。
故に、寂しい想いをさせているのかもしれない。我が子から頼られ甘えられるという、親だけが得られる貴重な時間を奪っているのかもしれない。
そういった負い目を感じることもある。
それに夫がいるミオと違って、アカリにはパートナーが居ない……はずだ。
マコトの知らないところで進んでいるのかもしれないが、平日は真っすぐ帰宅、休日も必ずマコトたちと一緒にいる。
アカリも母であるのと同時に、一人の人間であり女性。
誰かの体温を感じて、ふと過る寂しさや不安を埋めたいと思うこともあるだろう。
協力してくれる人たちがいるとはいえ、子どもを育てることは何も楽しい事ばかりではない。お金だったり、時間だったり、体力だったり、人間関係だったり……
そんな中で惜しみない愛を注いでくれる母だ。
自分の存在や行動で幸せになってくれるのであれば、マコトはなんだってしてあげたい。
してあげたいのだが……
(This is mom and son playing. I have pure heart. No problem……)
体は子どもでも、頭脳は大人。
ロリコンに目覚めていないマコトにとって、そして前世の記憶があるマコトにとって、アカリは母である前に妙齢の女性なのだ。
純粋無垢な心で抱き着きに行けるほど、マコトは男を忘れた覚えはない。
そのポーカーフェイスの奥には、邪な妄想が渦巻いている。こんな状態で、母と触れ合って良いのだろうか。
「まーくん、お母さんも~」
「しょうがない……」
「やった。じゃあお願いします」
現実は、綺麗ごとだけでは成り立たないのだ。
(そう、だからしょうがない……)
記憶の片隅にいる女神様に心の中で感謝をしてから、アカリの腰に手を回すマコト。
スズカと違い、アカリは大人だ。マコトの自慢の母であり続けられるようにスタイル維持には気を遣っているとは言え、ウエストのサイズを五歳の子どもと比べるのは酷である。
故に、少しばかり強めに抱き着かなければならない。
「ふふっ……、どうまーくん? 結べそう?」
丁度良い位置に来たマコトの頭を撫でながら、アカリは楽しそうに聞く。
「……大丈夫」
アカリの手とは別の、柔らかな膨らみの感触。
同じボディソープを使っているはずなのに、明確に自分のものとは違う匂い。
しかしお風呂で鍛えられたマコトだ。これくらいのことで音を上げるほど軟ではない。もちろんミツヒサとではなく、アカリと入るときのお風呂である。
「はい、出来たよ」
「ありがと~」
「どういたしまして」
たった数秒間の触れ合いだったが、嬉しそうに笑みを浮かべるアカリ。
(母上が楽しそうなら何より……)
マコトは表情を取り繕う。
が、その照れた表情をアカリやスズカに隠し通すのは少々難しいだろう。
「ふぅ……」
マコトは気まずさを隠すため、一息ついて気持ちを完全に切り替える。
そこへ――
「まーくん、エプロンほどけた」
「あちゃ~、じゃあもう一回まーくんだ」
「ん!」
「……」
アカリとマコトのやり取りを見ていて羨ましくなったのか、再度スズカからお願いされる。
(……それにしても)
マコトは同じ方法でスズカのエプロンの腰紐を結びながら考える。
幼稚園に通うようになってからは、嫉妬心をあらわにするようになったスズカ。
マコトに近づく女の子には、マコトの背後に隠れながらじっと相手を見つめてプレッシャーを掛ける。
特にマコトと一緒にいることが多いジュンには、明確に威嚇行動を取ることもある。……と言っても、シャーシャー言いあうだけの可愛らしいものだが。
しかしアカリとのスキンシップには反応を示さないのだ。
正確には羨ましそうにしたり便乗してきたりするものの、嫉妬はしない。
(……母は別ってこと? スズカもミオさん大好きだし……)
色々と考えてみるものの、どれもこれも推測の域を出ない。
幼い乙女心を読み解くには、まだまだ経験が足りないのであった。
汚れなき心で読んでいただきありがとうございます。




