#165 お家に帰るまでが遠足
園児たちを乗せたバスは、幼稚園脇の道路に停車。遠足もこれで終わりだ。
だが本人が言っていた通り、お家に帰るまでが遠足。まだ気を抜いてはならない。
「マコト! ひおーざんがオレをよんでる!!」
「呼んでない! 気のせい!」
バスから下り立ったジュン。大好きな陽王山を目の前にしてテンションが上がり、今にも突撃しそうな勢いである。――忘れずマコトを連れて。
(くっ……、特訓させたのは失敗だったか……)
マコトはつい三十分ほど前の自分の判断を振り返り反省する。疲労で思考が鈍っていたのかもしれない。子どもの、とりわけジュンの回復力を見誤っていた。
引きずられないように、腰を落とし重心を低くして耐えるマコト。その雄姿は、おやつコーナーから動きたくないと駄々をこねる子のようにも見えなくない。
「Stay!」
「わんわんわーん!」
「くっ……」
お家に子どもたちを帰すまで、マコトの遠足は終わらない。もう園児側の姿勢ではないが、そこが先生からも”ボス”と呼ばれる所以。日頃の行いとも言う。
「……すん」
そのすぐ傍では、おでこを赤く腫らし鼻をすするユウマ。
別に転んで怪我をしたわけでも、誰かと喧嘩をしたわけでもない。
楽しみにしていた帰りのバスで、疲れのあまり窓ガラスに頭突きをしたまま爆睡。目が覚めたら幼稚園で、バスとのお別れが寂しくなっているだけである。
朝マコトから「温存しておけ」と忠告は受けていたが、遠足に赴く四歳児には難しすぎるというもの。
(申し訳ないことをしたかな……)
ジュンの特訓の巻き添えになってしまったせいかもしれない……と考えているマコトだが、実際のところはその前から寝落ちしていた。そうであっても、眠りやすい静かな空間を提供してしまったのもまた事実。全くの無関係とも言えないのだが。
「ユウくん、げんきだして!」
「ゆうま、かわいい……」
「モエがよしよししてあげるね」
「うん……、ありがと……」
そんなユウマに群がるのは、慰めついでに己の欲望を満たしているようにも見える女児たち。
(あっちは……、任せよう……)
ジュンを抑え込むのに手一杯。それに、首を突っ込むとこちらが怪我をしそうである。
「ねぇ、マコト」
「どうしたハカセ? ……今ちょっと忙しいんだが……」
「マコト、もしかすると……」
(あ、続けるのね……?)
小難しい話も嫌な顔一つせず――単に表情が変わらないとも言う――聞いてくれて、なおかつ反応してくれるマコトは、物知りなハカセにとってはお気に入りの友人なのである。
そして『聞いて欲しい』と一度思ってしまった子どもは基本的に止まらない。
「……ユウマはライオンかもしれない」
「……本当にどうした? ……あとそれ、今聞かなきゃダメ? ジュン、Stay!」
「がおー!」
子どもの言動は突拍子もない事が多い。マコトもそれはよく分かっている。何度も悩まされ、理解しようと努力し、六割程度は解明してきた。残り四割は迷宮入り。
(なぜライオン……)
今日動物園で見てきたから思い浮かんだのだろうが、何をどう見たらユウマとライオンが結びつくのか。ワイルドさや力強さとは、少々遠い所にいるのがユウマだ。
どちらかと言えば、今なおこうしてマコトを振り回すジュンの方が猛獣に近いのではないだろうか。
「ライオンはおくさんがたくさんいるから。ユウマも」
「……あぁ、そういうことね……」
「かーちゃんが、たくさん……!?!?」
今回の謎はすぐに解明された。
”おくさん”=”かーちゃん”に反応したジュンも大人しくなった。
ほとんどの哺乳類が一夫一妻ではない何かしらの配偶システムであるにも関わらず、図鑑などではライオンだけが目立って取り上げられている。ライオンがプライドと言う名の一夫多妻を形成することを知っていたハカセは、目の前で女の子に群がられるユウマも同じだと言いたいのだろう。
「ボクもしってる。おとうさんがおしえてくれた。”はーれむ”っていうらしい」
「はーれむ?」
「うん。”おとこのろまん”なんだって」
「ろまん?」
(コタロウの親父さん、幼稚園児に何教えてんの……)
ハカセの主張を一緒に聞いていたコタロウも、父からの教えを手土産に会話に加わる。
「”ろまん”ってなに?」
「えっとね、”ゆめ”とか”もくひょう”っていみなんだって」
「はじめてしった! うーん、でもなんでゆめなの?」
「わかんない。おとうさんは『もっとおおきくなったらわかる』っていってた」
「んー、ここでも”ねんれー”がボクをしばるのか……」
遠足を通して知識を増やし、そしてまた新たな疑問に頭を傾げる二人の頭脳派男児がそこにいた。
一方、増えたかーちゃんに怯えるジュンは――
「かーちゃんがたくさん……。オレ、ライオンになりたくない!」
「……安心しろ、なれんから」
「そうか! マコトがいうならだいじょーぶだな!!」
――マコトから言質を取り、再び元気を取り戻す。
◇◇◇
そうこうしながら、ようやくマコトに癒しの時がやって来る。
弁当の中身の分だけ軽くなったリュックサックを背負い、幼稚園のグラウンドに移動。最後に手短に帰りの会を終えると――
「――まーくん!!」
各々が自分が乗る園バスへと向かおうとする中、スズカは真っすぐわき目も振らずにマコトへと駆ける。なお、ジュンはお迎えに来ていたサナエへとリリース済みである。
「すーちゃん……!」
がっしりと抱き合う二人。マコトが抱きしめる力を強めれば、スズカもそれに応えるように更に力を強める。
「まーくんが、せっきょくてき……♪」
「…………ぅ」
少々苦しいが、そこに安心感を覚えてしまうマコト。スズカ無しでは生きられない体になってしまっているのかもしれない。
「すーちゃん、元気だね……」
「ん♪ まーくんぎゅうしたらすーはげんき」
「そっか」
「まーくんは?」
「うん、僕もすーちゃんにぎゅうしてもらったから元気出たよ」
「む、ふ……。じゃあもっとぎゅうしてあげる!」
「ぇ……、うん、あり、がと……」
「♪」
更に強まる力に、思わず漏れ出そうになるうめき声を必死に抑える。
それだけマコトと一緒が良かったというスズカの想いの表れだ。ここで音を上げては男が廃るというもの――なのだが。
「……そろそろ、バス行こっか」
「んー」
バスとその同乗者を待たせる訳にはいかない。初めての遠足だったユナも、きっと重たくなっている瞼に必死に抗っていることだろう。
何より、こうした二人の時間を大目に見てもらうためにも、やりすぎてはならない。だからギブアップをしたわけでは無い。
マコトは「家に帰ればずっとぎゅう出来るから」とスズカの機嫌を取り、二人は仲良く腕を組んで歩き出す。
「二人とも、今日は楽しかった?」
「ん」
「うん」
お見送りをしてくれる先生とのコミュニケーション。
「でもね、まーくんがいっしょだったら、もっとたのしかった……」
「……」
表情が陰るスズカ。
確かに遠足は楽しめた。しかし不満も残った。
自分が煽ったせいではあるが、お友達が好きな男の子とイチャイチャしているのを見て、マコトと一緒に行きたかったという想いはますます強くなるばかりだった。
ここにミオが居れば『やっぱ遠足はどこに行くかじゃなくて、誰と行くかよね~』と大いに賛同していたことだろう。
スズカにとって唯一にして最も重要なのはそこなのだ。マコトと一緒なら、例え家でもどこでも楽しめる。
「すーちゃん、年長さんではきっと一緒に行けるよ」
「ん」
「……」
スズカの顔を覗き込みながら、優しく言葉を掛けるマコト。そしてさりげなく、ちらりと先生を見る。ただそれだけ。
「……お、お家に帰るまで気を抜かないようにね。マコトくんがいるなら大丈夫だと思うけど……」
「ん、せんせい、さようなら」
「さようなら」
「はい、さようなら……」
ボスからただならぬプレッシャーを感じ取った先生は、笑顔を引きつらせながら二人を見送るのであった。
読んでいただきありがとうございます。
おまけ。
今井母娘の帰り道。
ジュン:「かーちゃん、はやくかえるぞ!」
サナエ:「なんでアンタそんな元気なの!? さてはバスで寝てたんじゃないだろうね!?」
ジュン:「ねてねーぞ! とっくんしてた!」
サナエ:「特訓?」
ジュン:「そう! ”こころのめ”のとっくん。それより、はやくひおーざん! ”よんほんあし”ではしるとっくんしないと!!」
サナエ:「……」
これが遠足から帰ってきた娘。




