#145 運動会(年中)1
我が子の雄姿を少しでも良い場所で見ようと、沢山の大人たちがひしめき合う陽ノ森幼稚園。
グラウンドとL字に接する園舎の屋上に母親たちはいた。
「うへぇ……」
オリーブグリーンのチュニックにジーンズを合わせ、上品かつカジュアルな服装に身を包むミオ。
人混みを前にした人混み嫌いの彼女は、思わず淑女らしからぬうめき声を漏らす。
その隣にはジャージ姿のアカリ。
ミオほどではない彼女も人混みは好きではない。しかし去年も経験して心構えができていたため、ミオより多少はマシではあるようだ。
「……ね? 連れて来なくて正解だったでしょ?」
「うん。この世界を二人に見せるのは時期尚早だわ……」
二人が言うように、一歳の誕生日を目前としたフウカとキョウカはこの場にはいない。
最初は一緒にお姉ちゃんとお兄ちゃんの応援をしたいな……と考えていたが、アカリとミツヒサから『止めておいた方が良い』と、まるでマコトの真似をしながら言われてしまえば諦めるしかない。
一日中連れ回すことになり、ミルクやおむつのことも考えるとやはり難しい。最近はトテトテと歩き回ることも増えたため、ミオたちも応援どころではなくなってしまう。
今頃は二人のお世話を買って出てくれたミオの母ハルコと一緒にお留守番していることだろう。もちろん貸しである。百瀬家の女は抜け目ないのだ。
「さて、突撃しますか」
「そうね」
いつまでも立ち尽くしていてもしょうがない。待ち合わせ相手の元にたどり着くためにも、アカリとミオは人の合間を縫って歩く。
「――マユミさん、おはようございます」
マコトとスズカの仲の良い友人であるシホの母。子共々何かとお世話になっており、そしてマコトたちの代のママ友界では最大勢力の中心人物だ。
「場所取りお任せてしまってすみません」
「いえ、これくらいお安い御用ですよ……と言いたいですけど、頑張ってくれたのはサナエさんなんですけどね」
「そうでしたか。……そのサナエさんは?」
「少々家に用事が出来たとかで……」
合流した母親たちはおしゃべりもそこそこに、落下防止柵――高さ一メートルほどのコンクリートの壁――の上から覗き込む。
「さてと、二人はどこかな~」
屋上と言っても高さは二階。
双眼鏡も持ってきてはいるが、裸眼でも十分に子どもたちの顔は識別できる。
多くの子どもたちが、これから始まる運動会に興奮と緊張を隠せていないのがこちらにも伝わって来る。
「あ、まーくんいた」
「早っ!?」
開会式入場を待ち、クラスごとに整列して座っている二百人近い子どもたち。
アカリはその中から一瞬で我が子の姿を見つけた。
「どこ?」
「あそこ。真ん中からちょっと右にずれたとこ」
「うーん……、あ、ホントだ」
他の子たちとは違って興奮も緊張もなく、何故かすでに疲れた表情のマコト。恰好の休憩時間であると言わんばかりに完全に気が抜けている。
「あ、まーくんこっち気付いた」
双眼鏡で我が子の姿を見ていると、マコトもアカリたちの存在に気付く。アカリが試しに手を振ると、前後左右に並ぶ友人たちにぶつからない様、遠慮しがちに手を振り返してくれた。
「――あ、すーちゃんも発見! こっち見てくれないかな~」
すぐにお互いを確認し合えた八代親子とは違い、戸塚母娘は残念ながら難航中だ。
そもそも沢山の大人たちの中から自分の親を見つけるのは至難の業。一瞬で見つけることができたアカリとマコトは偶然に偶然が重なっただけ……のはずである。
「……まーくんに集中してるから無理かぁ」
スズカの視線の先を辿れば、もちろんマコトへとつながる。運動会当日でも戸塚家の長女はブレることはなかった。
「すーちゃんこっち見て~、こっち見ろぉ~、…………お、すーちゃん気付いた! 手も振ってくれた! ……まーくんグッジョブ!」
ミオが念を送っているとスズカも気付く。
ただ念が伝わったわけではなく、マコトがミオたちがいる屋上を指さして気付かせたのは言うまでもなく。
「しっかし……、なんでまーくんはもうあんなに疲れてるの? まだ何にも始まってないでしょ……」
運動会前日もいつもと変わらない時間に床に就き、興奮して眠れないということもなく、ぐっすりと寝て今日に備えていたマコト。朝家を出る時も元気いっぱい……を表に出すことはなかったが、気力体力は共に充実していた。
「まーくんの戦いはすでに始まってるんでしょ」
「やっぱりか。まーくんも相変わらずだね……」
アカリもミオも何があったかは薄々察している。マコトの性格や幼稚園での生活ぶりはよく知っているからして。
――その頃地上部隊
トラックをぐるりと囲むように杭とロープで区切られた観客席。そこには所狭しとカメラを構え、我が子の姿を記録に残そうと大人たち――主に父親たちが張り切っていた。
ミツヒサもその内の一人だ。
その高身長を活かして愛娘であるスズカの活躍、そして息子と言っても過言ではないマコトの奮闘ぶりを収めようと、絶好のポジションを死守している。
そして隣にはご近所さんの葉桐亮平――スズカの一つ下のユナの父が陣取っている。
初めての幼稚園の運動会で勝手がわからない彼に、ミツヒサがあれこれと目を掛けてあげているようだ。
そこへシンジとヨウイチロウが現れる。昨年陽ノ森幼稚園を卒業したばかりの長女たちとその友人も一緒だ。どうやら妹分たちの応援に来たようだ。
「どうも。……あれ、今井さんは来てないんですか?」
「来てはいたんですけどね。カメラの準備中に腰をやってしまったようで……。先ほど奥さんに運ばれて行きましたよ」
「それはまた……」
末っ子の娘を溺愛する父は、今年もその目で運動会を観ることも、カッコよく活躍することも叶わないようだ。ご愁傷様である。
「それにしても、戸塚さん気合入ってますね。二台もカメラ用意して」
「あ、いえ、これは今井さんから託されたものでして……」
「なるほど……」
しかし望みだけは残していた。
なぜカメラを妻であるサナエではなくミツヒサに託したのかは本人のみぞ知る。
読んでいただきありがとうございます。
サブタイに 困り始める 二年目ぞ
ということで、いいサブタイトルが思いつき次第変更する予定です。
改稿履歴
2021/10/31 22:56 文章全体の見直し(話の流れは変更なし)




