#141 充電
夏休みが明け、二学期が始まる。
今日から再び幼稚園に通う毎日に戻ると思うと、心なしか気が重たくなる。
幼稚園に通うのが嫌、というわけではないよ?
確かに沢山の子どもの相手は気を遣って大変だし、授業中は時間を浪費しているだけなんじゃないかと考えることもあるけど……学べる事が全く無いわけではないからね。
僕が心配しているのはお隣さん――スズカの方だ。
新年度初日、これから一年間僕と違うクラスに通うことにショックを受け、泣き出してしまった時の事は鮮明に覚えている。
スズカを悲しませないように常日頃気を遣っている身としては、あの時ほど自分の無力さを感じたことはない。
翌日からは泣くことはなかったけど、教室前での別れ際にはいつも表情を陰らせていた。
我慢の練習が必要なのは分かっている。
しかしながら、スズカが寂しがっているのが分かっていて、その原因が”僕と離れ離れになってしまうから”というのは、僕にとっても中々辛いものがある。一緒にいてあげたいと思ってしまう。
と言っても、この状況ではやはり出来ることはない。
せいぜいハンカチを多めに持っておくくらいしか思いつかない。
そうして臨んだ今日。
僕の予想とは裏腹に、スズカは幼稚園を楽しみにしているようで機嫌が良い。僕の手を引いてバスに乗り込む始末。
いや、良いんだけどね。
スズカが楽しそうにしてくれるのは僕も嬉しい。それにスズカも成長しているって事なんだろうし。
ただもうちょっと寂しがって欲しかったなぁ……なんて思わなくもないわけで。ちょっと複雑な大人心。
しかしその理由も、現状に鑑みれば納得できる。
「……む、ふ……」
「……」
場所はうさぎ組とひつじ組の教室の境目前の廊下。
ここに立ってからすでに五分ほどが経過しているのではないだろうか。
いつまで経っても教室に入る様子のないスズカと僕に、先生方はこれが普通だと言わんばかりに無視する。
きっと他の子どもたちの相手をするのに忙しいのだろう。
夏休み明けで子どもたちのテンションも少しおかしなことになっているから。
「あ、ボスだ! おっす!」
「ほんとだ! ボスがきてる! おっす!」
「……おはよ、久しぶりだね」
「ひさしぶりぶり!」
「ぶりぶり~!」
僕は後から登園してきたクラスメイトに挨拶を返す。
長らく会わないでいたら、とうとう名前を呼ばれなくなってしまった。
夏休み中、何があってん? 本物のボスにそんな挨拶したら指詰められるぞ?
「ボスはきょーしついかないの?」
「うん、まだちょっとね」
「またいちゃいちゃしてるの?」
「ラブラブってやつだろ!」
「まぁね、羨ましい?」
「べつに!」
慕ってくる友人たち。
しかしながら今はスズカの相手に忙しいのだ。とっとと教室に入って遊んでいなさい。
さて、そろそろ僕の身に何が起きているのか説明するとしよう……と言ってもそう複雑な状況ではない。
スズカが正面からがっしりと抱きしめて放してくれないだけだ。リュックサックを下ろすことも許してくれない。
そして口には出さないが、ぶっちゃけ暑い。夏休みは明けてもまだ夏真っ盛りなわけで。
「すーちゃん」
「まだ」
「……さいで」
「♪」
これがこの場に着いてからずっと続いているのだ。
しかし良いのだろうか。
スズカにはミオさんとの淑女の嗜みがあったはずだ。幼稚園では頬にキスしたりハグしたりと大胆な行動は慎むという……
「ところですーちゃん、淑女として大丈夫なの?」
「だいじょうぶ。これはじゅうでん」
……どうやら新しい大義名分を仕込まれて来たようだ。
「……充電?」
「ん、ママいってた。スマホは”でんき”をじゅうでんしないとうごかない」
「……」
「すーは”まーくん”をじゅうでんしないとうごかない」
「……さいで」
と言うことで、スズカは絶賛充電中。電源は僕。
とうとうスズカもこの技を覚えるレベルに達したのか……
ちなみに母上も、”朝起きた時”と”家を出る前”と”帰ってきた時”と”寝る前”と”気が向いた時”にやっている。
「充電完了するまで、あとどれくらいかかりそう?」
「……じゅうねん」
ダメやん。終わらへん。十年かかる充電って……あ、そういうこと?
「今どれくらい充電できてるの?」
「ぜんぜん」
「全然かぁ……」
「ん!」
充電が全く進んでいない現状に喜ぶスズカ。まぁそうだよね。充電が完了したら抱き着く言い訳が使えないし。
ただいつまでも充電している訳にもいかない。
「どうしたら充電早くなる?」
「まーくんが”ぎゅう”か”ちゅう”してくれたらはやくなる」
「……」
欲望丸出しのスズカ。
とりあえず”ちゅう”は人目が気になるので、”ぎゅう”を選ぶことにする。
「……む、ふ……♪」
抱きしめ返してみると、耳元で嬉しそうな声が漏れてくる。
お気に召されたようで何より。
するとそこへ。
「あ! マコトとスズカだ!」
夏休みでこんがり焦げた元気っ子が顔を出す。
「なぁなぁ、なにしてんだ?」
「まーくんをじゅうでんちゅう」
「だ、そうで」
「それたのしいのか?」
「ん、たのしい」
抱きしめ合う僕たちに、不思議そうな顔をするジュン。
まぁ異性にも恋愛にも微塵も興味が無さそうなジュンには難しい話だろう。
「なぁ、それよりみんなでおにごっこしよーぜ! そっちのほうがたのしいだろ!」
「むぅ、まだじゅうでんちゅう」
「なぁなぁ~!」
「おいジュン、リュックを引っ張るな」
「むぅ、はなす」
「なぁなぁ~!」
「おいこら、服なら良いって意味じゃない。大人しく教室入っとけって……」
「ジュンあっちいく」
「なぁなぁ~!」
「うぐ……重……」
「むぅ! ジュンおりる!」
そうしてしばらく格闘していると、そろそろ教室に入らなくてはならない時間になる。
ジュンは振り落とされんとリュックサック越しに僕の背にしがみ付いている。引きはがそうにもスズカに身動きを封じられてはどうしようもない。
しかしアトラクションか何かと勘違いしていないか? リュックサックがぺったんこになっているではないか……
「ジュンいい加減離れろ」
「ちっ、しょーがねーな! つぎはおにごっこだからな!」
やけに素直に言うことを聞くな。なら初めからそうしろと思わなくもないが、コイツも夏休み明けでテンションが上がっているのだろう。とりあえず説教で許してやる。
何かを感じ取って教室へと逃げていくジュンを見送ると、僕は未だ充電中のスズカに声をかける。
「すーちゃん、残念だけどそろそろ時間だよ」
「むぅ……」
やはり表情を曇らせ、寂しそうにするスズカ。
朝機嫌が良かったのは”充電”という大きな餌しか見えていなかったのだろう。
「……ほら、終わったらまた充電すればいいからさ」
「ん」
渋々ながらもようやく解放された僕は、ハンカチでスズカの額の汗を拭く。多めに持ってきておいて良かった。まさかこっちで使う事になるとは思っていなかったが。朝から暑い……
「じゃあまた後でね」
「ん」
何度もちらちらと振り返りながらではあるが、ひつじ組の教室へ入っていくスズカ。
その後ろ姿に、僕は一先ずの安堵を覚えるのであった。
そしてこの日以降、スズカはたびたび充電と称して抱き着きに来るようになったのは言うまでもない。
「まーくん、じゅうでんきれた」
「……ちょっと早くない?」
読んでいただきありがとうございます。
 




