#130 素質
遅くなり申し訳なく…
水合戦を終えた三人はテキパキと体を拭く。
保湿クリームでお肌のケアも忘れずに。あせも予防も万全である。
そしてノートPCを開くミオと朝寝をするフウカとキョウカがいるリビングへと戻る。
ミツヒサが冷蔵庫から牛乳を取り出し三人分を用意する。水に浸かっていたとはいえ水分補給は必要だ。
「まーくんおひげ♪」
「……」
彼も中身は齢三十を超える。外見もそれに引っ張られてそろそろお髭が……という訳ではなく、牛乳を飲んでできた白い髭だ。
中身が齢三十を超えるなら、髭を作らないようにもう少し上手に飲めるんじゃないか……とも思われるかもしれないが、コップと顔の大きさの比という物理的な問題は彼にもどうにもできない。
スズカに指摘されたマコトは、箱ごとティッシュを取ってきて口元を拭う。
そして苦笑いしながら――
「……すーちゃんもだよ?」
「!?」
淑女の嗜み。大好きな男の子を前にお髭なんてはしたない。彼の白いお髭は好きでも、自分のお髭とジョリジョリはNGである。
マコトからティッシュを差し出され、スズカも同じように口元を拭う。
二人が髭を作らず牛乳を飲めるようになるには、もうしばらくかかるのだろう。
「さてと……、仕事するかー」
同じく牛乳を飲んで一息ついたミツヒサは、声に出して気持ちを切り替える。
今日は平日。育休ワークの彼は愛する家族の充実した生活のために、会社のパソコンを開きメールのチェックをし始める。
子どもたちを放っておくことにはなってしまうが、子どもたちは子どもたちで勝手に動き始めているから問題はないだろう。マコトは働く大人に対して気遣いが出来る子どもだ。
「まーくん、かみやってほしい」
「あいさー」
スズカは自分のおもちゃ箱からドライヤーを持ってくる。つい先日、五歳の誕生日プレゼントに買ってもらったものだ。
彼女もお年頃。自分のことは自分でやりたい。”美”にまつわることは出来るようになりたい。
ちなみに”自分でやりたい”、”出来るようになりたい”よりも”マコトにやってもらいたい”の方が、スズカにとって優先順位が高いのは言うまでもなく。
しかし戸塚家にあるドライヤーは、美の探究者であるミオが選んでいるため高性能。そしてそういったドライヤーは大抵重たい宿命にある。
まだまだ小さなスズカにとって、その重さは致命的だった。
自分で自分の髪を乾かすには、ドライヤーは片手で持たなければならない。頑張れば持てないことはないが、プルプルと震える手で髪を乾かすのは難しいし、落として怪我をしたりしても困る。
そこでミオはスズカの誕生日にドライヤーをプレゼントした。
スズカでも片手で持てるよう軽量のドライヤー。
そこそこいい値段がするものを選んでいるあたり、子どもだからと言って美の努力を惜しまないというミオの方針が窺える。
そんなドライヤーを持って、再び洗面所に向かう二人。
エアコンの効いたリビングが名残惜しくはあるが、ドライヤーの音でミツヒサの仕事や双子の眠りを妨げないための気遣いだ。
ほぼ同じ身長の――スズカの方が少々背が高い――ため、マコトは踏み台に上がり、彼女の髪に巻かれたタオルを取る。
まずは目の粗いブラシで髪の絡まりを解いていく。
その後スズカからドライヤーを受け取り、彼女の長い髪を持ち上げ根元からタオル越しに熱風を当てていく。
ミオの熱血?指導の元、マコトのドライヤーテクニックはそこそこのものである。自宅でもアカリの髪も乾かしていたりする。
「~♪」
目を閉じで気持ちよさそうにするスズカ。頭に触れるマコトの指先を感じようと意識を集中しているのだろうか。
時折マコトは暑さを紛らわせるため、冷風に切り替えて自分に向けたり、スズカの襟を引っ張って風を送ってみたりしながら。
「すーちゃん、右向け右」
「ん!」
スズカをクルクルと回し、乾かし漏れの無いように丁寧に行っていく。
途中でタオルを脇に置き温風に切り替え、櫛も使って全体的にスタイルを整えながら、最後は冷風で仕上げる。
癖のないストレートヘアの毛先が肩下で揃う。
マコトは中々上手にできたのではないかと自画自賛する。
「はい、終わったよ」
「ありがと。つぎまーくんやってあげる」
「うん、お願い」
「ん!」
そして立ち位置を交代する二人。
スズカに比べれば短いマコトの髪、加えてスズカの長い髪を乾かした後ということもあって自然乾燥がだいぶ進んではいたが、マコトと同様の工程で彼の髪を乾かしていく。
そして最終工程。
「……、……むふぅ」
マコトのふっくらとした後頭部に顔をうずめて完了だ。
「……すーちゃん、暑いからリビング戻ろうか」
「……ん!」
仲良くエアコンが効いたリビングに戻ると、マコトの背に抱き着き、再び後頭部に顔をうずめるスズカ。彼女と一緒にお風呂に入った後はいつもこうなので、マコトも特に気にすることなく平常運転。
「まーくんありがとね」
「ううん。すーちゃんの髪乾かすの好きだから大丈夫」
地味に時間がかかり、地味に面倒な子どものヘアドライ。ミオは美に対してマメではあるが、自分でやってくれるならそれに越したことはないとも思っている。
そんなミオに気を遣わせないように応えるマコト。
特にやらなければならない家事も仕事もない子どもの身。そのぐらいはお安い御用である。それにスズカが気持ちよさそうにしてくれるので、彼女の髪を乾かすのは嫌いではないのも確かだ。
「まーくんは将来、髪を乾かすお仕事でもする?」
四歳の男の子がやったとは思えないその仕上がり。
スズカの髪の毛を指先で流しながら、ミオはそんなことを言い始める。
「……それなんて仕事?」
髪を乾かすだけでお金が貰える、そんな美味しい仕事がこの世の中にあるもんか、とマコトは冷めた目――ぱっと見はいつも通りであるが――をする。
「う~ん……、美容師とか?」
「……」
渋い顔をするマコト。
残念ながら美容師の仕事は、髪の毛を乾かしているだけでは勤まらない。
カット、シャンプー、セット、カラーリング、パーマ等々、髪にまつわるお手入れ全般をする仕事だ。他にもメイクやネイル、着付けもしているところもある。
技術力はもちろんのこと、コミュニケーション能力やセンスも求められ、TPOや流行を押さえた上でお客のニーズを掴み、適切な対応が求められる。その上、美容師免許という国家資格も必要だったりする。
マコトはまだ四歳。母の誕生日プレゼントに切絵のしおりを作る程度には手先も器用だ。
今から目指せばなるにはなれそうだが、前世ではお洒落や流行とは疎遠であった彼にとって、少々ハードルが高いのかもしれない。
「まーくんびよーしさんになる? すーのかみきる?」
埋めていたマコトの後頭部から顔をあげ、顎を乗せたスズカ。マコトのお得意様になる気満々のようだ。
「そしたらママもまーくんに髪切ってもらおっかなー。美容代も浮くし!」
家計も助かるとミオ。こちらもお得意様になってくれるようではあるが、身内贔屓してもらう気も満々であった。
「まぁ……、考えとく」
その逞しさにマコトは苦笑いするしかない。
ママになっても、いや、ママになったからこそ綺麗を維持するにはお金もかかるのだ。
するとスズカがマコトの背から離れ、化粧箱にドライヤーを戻した代わりにシュシュを取って来る。
「まーくん、かみゆってほしい」
「どうする?」
「いつものやつ」
「りょーかい」
マコトはシュシュを受け取り、慣れた手つきでスズカの髪を結い始める。
うなじに小さな手を滑り込ませて後ろ髪を左右半分ずつに分け、毛先が長めになるようにシュシュで留める。
「――すーちゃんできたよ」
「ありがと」
「……美容師の素質あるんじゃない?」
あっという間にスズカお気に入りのおさげ髪を結い終えてしまったマコト。
簡単な髪型ではあるが四歳児とは思えないその手際の良さに、ミオもそう言わずにはいられなかった。
読んでいただきありがとうございます。




