#127 スカウト
思ったよりも長く…
日曜参観翌週の土曜日。
八代親子は当然のように戸塚家にお邪魔していた。
リビングでソファを背もたれに座っているマコトの両隣にはアカリとスズカ。
ローテーブルを挟んでその向かい側にはミツヒサが胡坐をかいている。
フウカとキョウカはそんなミツヒサの膝を支えに立ち上がろうと頑張るが、ふっと力が抜けた次の瞬間コテンと尻もちを付いてしまう。一人で立てるようになるには、もう少しだけ時間が必要そうだ。
そして忘れてはならないのがもう一人。
両家のムードメーカー的存在のミオ。彼女は議長席――ミツヒサとマコトらと隣り合う面――に座っている。
「――それでは合同家族会議を始めます!」
ミオの仕切りで始まったのは、今年何度目かの合同家族会議。
六月半ばのこの時期、子どもたちを含めて話し合わなければならないことがあった。
「今回は……、すーちゃんとまーくんの夏休みの習い事を決めたいと思います!」
夏休み。
まだ一ヶ月以上も先の話ではあるが、悠長なことも言ってはいられない。
すでに夏季限定の習い事の申し込みは開始しているし、人気のものは早くしなければ定員が埋まってしまう。
去年も夏休みに入ってから探し始めたため、空きがあるところを探すのに苦労していた。
「とりあえず、こんなのがあるんだけど……」
ミオはそう言って、夏休みの習い事のチラシ――ホームページ印刷を含む――を並べ始める。
スポーツ系は定番のスイミングに始まり、フットサル、テニス、体操、野球、ゴルフ、トランポリン、空手、柔道、合気道、ダンス、バレエ……
そして学習系は幼児教室、学習塾、そろばん、習字、アルゴクラブ、音楽教室……
「たくさんあるんだね……」
よくこんなに集めてきたなと、その多さにマコトは苦笑いをする。
同じ習い事でも大手経営と個人経営のものがあったり、中には見慣れない単語もあったり。
ちなみにスズカとマコトが習い事をしていないのには理由がある。
そもそもミオは”幼少期には習い事はあえてさせない派”だ。アカリもそれに倣っている。
それは決して”お金がかかるから”とか”送迎が面倒だから”とか”お手伝いさんがいなくなるから”という理由ではない。……全くないとも言えないが。
幼少期の教育が大切なことは重々承知している。
幼稚園教諭免許、ついでに言うと保育士資格も持っているミオが、何も考えていないはずがない。
その彼女がなぜ愛する子どもたちに習い事をさせようとしないのか。子どもたちの自由意思に任せているのもあるが、それだけではない。
ミオがこの世知辛い世の中を生き抜いていく上で最も大切だと思っていることは、勉強が出来ることでも、運動が出来ることでも、何か特別な能力があることでもない。
人と上手に関わることができる。
これこそが、充実した人生を送るための最大の要素だと思っているからだった。
たとえ勉強が出来たとしても、運動が出来たとしても、何か特別な能力があったとしても、人付き合いに失敗してしまえば不幸になる。
そして人付き合いほど、失敗するとやり直すのが困難で、心に引っかかってしまうものはない。
文武もそれなりに熟し、容姿にも優れていると言えるミオ。三十年に満たない人生――女社会の中でそういう場面を嫌と言うほど見てきた。自分自身が経験したことももちろんある。
だからミオは子どもたちに習い事をさせるのではなく、家族で過ごす時間を大切にする。愛を以て人との接し方を教える。
それが人として、最も学んでおかなければならない事だから。
彼女が働きながらの育児ではなく、会社を辞めて育児に専念したのも、子どもと接する時間を少しでも長く作るためだった。
だからと言って、習い事を全くさせないわけではない。
人付き合い以外ももちろん学ばなければならない。自分で生きる力をつけなければ、自分の意思は通せない。
そのためにわざわざ近所の幼稚園保育園ではなく、少し距離があってお金も少なくない額が飛んでいく私立幼稚園に通わせていた。
そここそが友人たちとの付き合い方を始め、躾や運動、お勉強も教えてくれる最も優秀な習い事である。
そして年中夏休み。
マコトは言わずもがな、スズカも人付き合いに慣れてきた。日曜参観で観た限りでは、マコトが居なくてもお友達と上手く付き合えていた。
そろそろ幼稚園の外にも飛び出して、幼稚園では経験できないことをするのも良い。子どもの成長には様々な刺激が必要なことも確かだ。
去年はミオが妊娠をしており行動には制限があったし、彼女自身も体調が優れない日が多かった。ミツヒサとアカリも平日は仕事があり、なかなか動けずにいた。
しかし今年は違う。
ミオの体調は万全だし、ミツヒサも育休ワークで比較的自由に動ける。平日も送迎が出来るというのは大きい。
ちなみに休日は家族の時間である。八代親子がそう望んでいるのだから。
「――で、やりたいのある?」
ミオはテーブルの上に並ぶチラシを覗き込む子どもたちに問う。
スズカはチラシのイラストや写真を見てどんなものか想像するも漢字が読めず飽きてしまい、今はマコトの背に乗りとりあえず肩口から覗き込でいるだけだが。
「すーはまーくんにおまかせ」
結局のところ、スズカはマコトと一緒なら何でもやるだろう。そして存分に楽しんでしまうだろう。更には出来るようになってしまうだろう。愛のなせる業である。
「ねぇミオさん」
「ん? なに?」
「この丸と星は何?」
マコトは気になっていた事を聞く。
チラシの端に書かれている丸と星マーク。もともとのチラシのデザインではなく、後からマジックで書き足したそれ。
(おすすめ……これをやって欲しいということだろうか……?)
マコトはそう推測する。
確かにそうではあるのかもしれない。だがミオの答えは微妙に違った。
「丸と星はね、スカウト来てるやつ」
”Scout”
意味は”斥候”、”偵察兵”。
子どもたちは夏休みの習い事の偵察に……
ではなく、この場合は”人材勧誘”の方のスカウトである。
(……え、夏休みの習い事ってスカウトなんてあるの……? 友人たちの親から一緒にやろうと誘われているとかではなく……?)
流石のマコトも、そこにある意図を読み取れないでいた。
むしろ”お試しで経験”という意訳での”偵察”と言った方がしっくりくるのではないか、と考えていたりする。
考え込むマコトを面白そうに見るミオ。
アカリはアカリで我が子の思慮深さに感心していたりする。
「……じゃあこれだけ星なのはなんで?」
マコトは音楽教室のチラシを手に取る。
大手ではなく個人経営。名前は”折井音楽教室”。
ピアノや合唱の他にも、ギターなんかもレッスン項目にある。添えられている写真を見る限り、設備は綺麗で悪くない。
(折井……?)
どこかで耳にしたその苗字。
「ねぇすーちゃん。確かひつじ組に折井和奏ちゃんって子がいるよね?」
「うん。なかよし」
スズカのおさげが上下してマコトの頬を撫でる。
「まーくん隣のクラスの女の子まで把握してるの……? ……まさか浮気?」
「む……! まーくんうわきはだめ!」
スズカはマコトを後ろから目隠しをする。それに何の意味があるかは分からない。
「違うって……。ちゃんとしゃべったこともないし……」
マコトの頭の中には女の子に限らず、現年中組の子どもたちの名前は全て入っているからして。
「ま、たぶんまーくんが予想してる通りよ。ワカナちゃんのお父さんのお姉さんがやってるところ」
「そうなんだ……」
だがマコトもその友人たちの親が何をしているかまでは流石に知らない。その姉弟まで行けばなおさらだ。
「だから星なの?」
”知人のやっているところだから”。
ひらひらとチラシを揺らしながら、マコトはそう考えた。
「ううん。あ、でもだから星に出来たのかもしれないけどね。そこはまーくんが来てくれるならすーちゃんも合わせて無料にしてくれる、って言われてるから」
「……」
「他の丸も流石に無料は無理だけど、割引ならしてくれるってさ。だいたい五割」
「……」
マコトは陽ノ森幼稚園では言わずと知れた有名人。
その人気は子どもたちだけでなく、むしろ親御さんからの方が絶大だったりする。
そんな彼が習い事に来るとなれば、彼の友人および、そのまた友人たちが高い確率で釣れると考えるのが自然だろう。
その中から数人、夏休みが終わってからも続けてくれる子がいれば、経営側としては御の字である。
まずは知って、そして来てもらうことが難しい業界でそれが出来るのなら、マコト、ついでにスズカとたった二人のレッスン料を勉強するのは何てことはない。
個人経営のチラシにしか丸印がないのは、そういうことを比較的自由に決められるからだったりする。
「さすがまーくん」
「まーくんすごい!」
ミオからグッジョブと褒められ、おそらく正しく意味を理解してはいないスズカからも賞賛を送られるマコト。
「別に丸が付いてないやつでも、まーくんがやってみたいと思うのを選んでいいからね?」
「……」
「お母さんとしては、色んなことに挑戦してみて欲しいなって思うからさ」
「うん、わかった……」
そうしてマコトは、夏休みの習い事を選――
「ねぇすーちゃん、そろそろ手どけてもらいたいんだけど……?」
「うわきしない?」
「しないしない。……したことないじゃん」
「じゃあいい」
「ありがと」
「~♪」
――選ぶ。
読んでいただきありがとうございます。
色々とコメントやメッセージを頂くので、こちらでも返させていただきます。(そしておそらく次話更新時に消します → 一度消しましたが、皆様から想像以上に沢山のコメントを頂き、その理由を綺麗サッパリ無かったことにしてしまうのはなにか心苦しく、また新しく読み始めた方にもこの作品の在り方を知って欲しくて復元しました。前言撤回のような形になり申し訳ございません)
皆様がマコトたちが成長した姿を期待されているのは重々承知しています。
異性の取り合いとか、すれ違いやもつれ合いとか、性的な接触とか、そういった描写が人気なのもランキングから推測できます。たぶんそれらを書けばポイントも入るんだろうと。
もちろん(作中で)時と場合が来れば書くことになります。
ただ、好きな人を想ってコツコツ人生頑張る恋愛小説がどこかにあってもいいのかなとも思っています。
マコトほど好きな人のために悩んで立ち振る舞っている主人公もそうそう見かけませんよ?
この物語をどう読み取るかは皆様の自由ではありますが、できることなら各キャラクター”恋心”がどうなっているのか言動から推測して、それを少しでも楽しんでもらえれば嬉しく思います。
…こういったことを書くと、すごい勢いでブクマと評価がはがれていきますが(前回も丁度夏休みエピソードで)…まぁしょうがないですよね。




