#120 常習犯
挨拶した回数が十を超えてしばらくして。
「ふぅ……」
解放された私はようやく一息つく。
笑顔が張り付いしまって、頬の感覚がおかしくなっている気がする。
それに確実に色んな忍耐力が低下したのを自覚してしまった。
転職して二ヶ月と少々、もう前職に戻ることはできない……
「アカリさん、おはようございます」
「ッ……! あっ、サナエさん……。おはようございます」
挨拶が聞こえて緩みかけていた緊張感を引き締めるも、見知った顔に安心感を覚え気が抜ける。
「お疲れ様。人気者の親も人気者で大変だねぇ」
「いえ、まぁ……」
これもまーくんが沢山のお友達から好かれている故の苦労だと思えば……
……帰ったらまーくんにはこうなった原因として癒してもらおう。
ハグ地獄か、ほっぺた磁石か……。マッサージをしてもらうのもいいかな……?
そう考えると元気が湧いてきた。
楽しみは後に置いておくとして、今はまーくんを観なきゃね。
私が挨拶に忙しくている間に、お友達――女の子たちを引き連れて教室の隅っこへと移動していた。
こそこそと何してるんだろう?
だいぶ気になるけど、子どもたちの元気な声と大人たちの世間話にかき消され聞き取るのは難しそう……
「ジュンもマコトくんといるときは安心して目を離してられるわねぇ……」
まーくんにじゃれつき楽しそうなジュンちゃんを眺めながら、しみじみと呟くサナエさん。
ジュンちゃんも漏れなくまーくん大好きだよね。
その行動力はどこかすーちゃんを彷彿とさせるけど、残念ながらそこにお淑やかさは皆無。女の子にしてはかなり短髪なのもあって、ぱっと見は男の子に見えるせいもあるかもしれない。
そんなジュンちゃんに対してまーくんはどう思ってるんだろう?
先生からお目付け役を任されているのか、幼稚園での様子を聞くと毎日のように登場するのよね。なかなか大変みたいなことを言ってるけど、その表情はまんざらでもなさそうな……
まぁ、気になる女の子というよりは、手のかかる姉……妹……弟みたいな感じかな?
内緒話を終えたまーくんたちが動き出す。
どうやら積み木と……おままごともやるみたい。
「――まーくんはどんな感じ?」
「っ!? なんだミオか……」
「びっくりした?」
「もう……」
背後にこっそりと忍び寄っていたミオ。
小悪魔的な言動は学生の頃からホント変わらない。
「それよりなんでこっちに? すーちゃんは?」
「すーちゃんならあそこ」
「えっ?」
ミオが指さす先を見ると、そこにはうさぎ組の教室を覗くすーちゃんの姿が。
仲良しのシホちゃんも一緒。二人の手には絵本が抱えられている。
視線の先にはもちろんまーくんの姿。お友達に囲まれ遊んでいるのを羨ましそうに見ていた。
「むぅ、すーもまーくんとあそびたい……」
「すーちゃん、ちがうくらすにはいっちゃだめってせんせーいってたよ?」
「……むぅ」
可愛らしい顔をムスッとさせ、今にも突撃していきそうなすーちゃん。
シホちゃんがストッパーになってはいるけど、彼女も彼女でうさぎ組の様子に興味津々。
「絵本取りに行った帰りに寄り道してる最中よ」
「……」
各教室にも絵本は置いてあるみたいだけど、本棚は大きくないので数冊程度。
まーくんの話では一週間ごとに入れ替えられるらしいけど、絵本を読むのが好きな子はすぐに読み終えてしまう。そんな子は、自分で図書ルームから借りてくることもできるそうで。
しかし図書ルームとひつじ組のルート上にうさぎ組はない。
”ついで”ではないわね。
そして初めてでもなさそう。
もしかしたら先生に注意されたことも……?
「うんうん、それでこそ我が娘」
そんな揺るぎない娘の姿に、母親は感心した様子。
いいのかな……? すーちゃん、ストーカーになりかけてるんじゃ……?
「それに比べてまーくんは……。すーちゃんが熱い視線を送っているのに気付かず遊んじゃって。まったくもう……」
ジュンちゃんから積み木の塔を庇ったりと、お友達の対応に忙しくしているまーくんを見て文句を言い出す始末。
「いや……、これはまーくんに恩を売るチャンスか……?」
そして何やら悪巧みをし始める私の幼馴染。
いくらミオでもまーくんに不利益があるなら容赦はしないわよ? まぁ、そこら辺は信用してるけどね。伊達に長年親友をしているわけじゃない。
「すーちゃんすーちゃん」
「ママ、すーはまーくんみるのにいそがしいの」
「すーちゃんが冷たい……」
すーちゃんに近付き声をかけるも迎撃されるミオ。
しかしへこたれない。娘が娘なら母は母。父とは違う。
「……寄り道はほどほどにしておかないと」
「でもまーくんがしんぱい」
「まーくんが取られちゃうって?」
ミオの言葉にコクリと頷くすーちゃん。
去年まではまーくんと一緒に遊んでいた女の子は、すーちゃんのお友達でもあった。
でも今まーくんと遊んでいるのは、すーちゃんにとってはよく知らない女の子。ちょっと人見知りなところもあるすーちゃんにとっては、それが不安の種になってしまうのもわかる気がする。
傍から見てるとすーちゃんが一人勝ちしているようにしか見えないんだけどね。
「大丈夫よすーちゃん」
そんな娘の不安を取り除こうと、ミオは自信に満ちた表情で諭し始める。
「まーくんはどう見てもすーちゃんにベタ惚れなんだから。それにほら見て。まーくん、女の子と一定の距離を保ってるでしょ? あそこはすーちゃんしか入ってこれないって」
「でもジュン……」
「ジュンちゃんは……あれよ、まーくんもしかしたら男の子と間違えてるかも……?」
一応サナエさんが近くにいるんだけど!
「まぁ、否定はできないわよねぇ……。娘を育てるって難しい……」
こめかみを押さえているけど大丈夫そう……?
「ジュンはおんなのこだってまーくんいってたよ? すーもれでぃとしてプールでちゅういしてた」
「そっかー……」
娘がまーくんに異性として認識されていると聞いて、サナエさんの表情がちょっと晴れやかに。
「あれよ、すーちゃん。まーくんを信じて待つのも淑女の嗜みよ? すーちゃんはまーくん信じられない?」
「うぅん、すーはまーくんしんじてる」
「なら大丈夫よ。まーくんはまーくんを信じてるすーちゃんを裏切れないから!」
「わかった。すーはまーくんしんじてるから、すーがまーくんをすーがしんじる……?」
「さすが! それでこそママの娘よ!」
「うん! …………?」
上手く丸め込まれたような気もするけど、すーちゃんの表情から不安はなくなった。混乱しているようには見えるけど。
最後にもう一度しっかりとまーくんを瞳に焼き付け、名残惜しそうにではあるけどシホちゃんの手を引きながらひつじ組の教室へと戻っていく。
「じゃ、私も戻るね~」
一仕事終えて満足そうにミオもその後に続く。
しかしまーくんのあずかり知らぬ所でどんどん事が進んでいく。
まーくんはすーちゃんから逃れられないわね。わざわざ逃れる気もなさそうだけど……
「はぁ……。スズカちゃんは女の子らしくて可愛いねぇ……。あの十分の一でもジュンに女の子らしさがあれば……」
そう羨ましがるサナエさんの視線の先には、散歩に連れていけと飼い主にねだるように「わんわん」と元気よく吠えるジュンちゃんの姿。
「ジュンちゃんも……元気があって表情も豊かですし……良いと思いますよ……?」
「いっそマコトくんが貰ってくれないかしら……」
「えっと……」
「まぁ、とてもじゃないけどスズカちゃんには敵いそうにないかなぁ……。でもあと十年もしたら…………あの子じゃ無理か……」
先輩ママが我が子の将来に思い悩むのを見て、私も他人事ではないと思いながらも愛想笑いを作るしかなかった。
読んでいただきありがとうございます。




