#118 いつもの授業風景?(後)
体育館に着いた。
母上たちが隅っこの方で見学している中、まずは柔軟体操。
「「「いっちにー、さんしー……」」」
皆で元気よく声を出しながら、屈伸、伸脚、深く等々……
子どもの体は大人と比べたら多少無理してもどうってことないけど、怪我をしないようにしっかりとね。
「……ちゃんとやらないと怪我して山登れなくなるぞ?」
「!? それはだめだ!!」
前のクラスの授業からそのまま置かれている魅力的な体操器具たちに心奪われ、疎かになっているジュンに釘を刺しておくことも忘れない。
他の子どもたちも少なからず似たような感じではあるが。
柔軟体操が終わると、いよいよ跳び箱……の前にウォーミングアップ。
三列に分かれて並ぶ僕たちの前には、ロイター板と厚めのウレタンマットのみ。
跳び越える箱はない。
その代わりに、マットの横には細めの竹で作られた釣り竿を持つ先生が立っている。釣り竿の先端には色鮮やかな紙皿がぶら下がり、くるくると回転している。
簡単に言えば、鼻先にぶら下げられた人参だ。
子どもたちは紙皿をタッチするために、高く上に跳ぶことを意識する。
「はい、行っていいよ」
「よっしゃっ!」
先生の許可が下り、先頭に並んで今か今かと待ち構えていたジュンが全力で走り出す。そのままの勢いでロイター板を踏みつけると、ターンと気持ちのいい音をさせて跳びあがる。
「たっち!」
ジュンが伸ばした手によって紙皿が勢いよく弾かれた。耐久性が心配ではあるが、先生たちにとってこういったおもちゃ作りはお手の物。そしてもちろん予備が用意してある。
「ジュンちゃん流石!」
「もっとたかいのがいい!」
「りょーかい」
両足で着地するもマットの柔らかさにバランスを崩して倒れるジュン。
ころころと転がってマットの端まで移動して下りる。
そんな感じで、子どもたちはわーきゃー言いながら次々に的に向かって飛び跳ね手を伸ばす。
「せんせー、もっとたかくしていいよ!」
「このくらいでいい?」
「もっと!」
「これがタッチ出来たら、次はもっと高くしてあげるよ」
お父さんお母さんに良い所を見せようと、ちょっと背伸びしたがる子どもたち。
気持ちはわからんこともない。
ただ走って跳んでいるだけだけど、これが意外と楽しかったりする。
ロイター板による浮遊感は、日常では味わえない不思議な感覚を教えてくれる。
そうしてウォーミングアップを堪能し終えると、いよいよ跳び箱が置かれる。
四段と五段が二列ずつ、三段と六段が一列、計六列。
子どもたちは自分の能力に合わせて、それぞれの高さで練習する。
その段で先生から合格をもらえると、次の段への練習権を得られる方式だ。
用意されている跳び箱からもわかる通り、ボリュームゾーンは四段と五段。
年中さんが挑戦するには少し高いんじゃ? と思われるかもしれないが、先生のサポートもあるし、ロイター板の厚みも加えるとそれほど高くは感じない。
一番高い六段も僕が隣に並べば顎の高さ。身長から逆算すると、だいたい八十センチメートルくらいだろう。それもロイター板の上に乗ると、おへそよりちょっと上くらいになる。
運動が得意な子や日頃から動いている子であれば、結構簡単に跳べてしまったりする。遠足で山に登り、体育に力を入れている陽ノ森幼稚園生ならなおのこと。
それでも六段が跳べる子が少ないのは、跳び箱という障害物に走っていく恐怖感がまだ拭えないからだろう。
ウォーミングアップでは勢いを殺さずに助走できていたのに、跳び箱が設置された途端、直前で急に減速してしまっている。
跳び箱は年中になってから始まったということもあり、まだまだ日が浅く、それも仕方がない。
これが卒園間近になる頃には、ほとんどの子が八段を跳べるようになるとか。在園児による最高段は十二段だってさ。子どもの成長は恐ろしいね。
そしてその記録の半分の列に並んでいるのは、運動神経抜群のジュン、体格に恵まれている大将、そして跳び方を知っていて恐怖を克服済みの僕の三人だけ。
「マコトくんは綺麗に跳ぶよね」
「ありがとうございます」
減速のない助走と適切なタイミングでの踏切、添える程度で跳び箱に手を着き、着地は二本の足で踏ん張る。
何度も友人たちの前でお手本となった開脚跳びを披露し、先生に褒められる。
母上、僕は逞しく成長しておりますよ。
「まことっ! じゃまっ!」
「まことっ!!」
「……」
余韻に浸っていると、後方からブーイングが飛んでくる。
早く跳ばせろと、とっとと退けと。
列の人数が少ないせいもあって、ちょっとローテーションが早すぎる。誰か早く上がってきて……
最後の最後に存分に体を動かし、その後教室に戻り帰りの会を終え、本日すべての行程が終わった。
お父さんお母さんに成長した姿を観てもらえたんじゃないだろうか。
親御さんの方を見れば、感慨深そうにしている人もちらほらと。
何事もなく無事に終わって一安心だね。
「まーくん!」
「すーちゃん、待っててくれてありがと」
「どういたしまして」
「シホちゃんも」
「うん!」
ひつじ組は少しばかり先に解散していたようで、教室から出るとスズカが駆け寄って来る。シホちゃんも続いて。彼女はスズカに付き合わされているだけかもしれないが。
その後ろには母上やミオさん他、サナエさんやマユミさん、吉倉夫妻の姿等々……。乗り込むバスが出発するまでに、少しでも多くの情報を交換しようと忙しなく口が動いている。
「まーくんお疲れ様。跳び箱格好良かったよ?」
そんな母上たちの所へ行くと、労いとお褒めの言葉をいただいた。
「まことぉー!」
「むっ! ジュンがあらわれた」
「おっ! すずかだ!」
飛び出てきた影から僕を庇い立つスズカ。
口を大きく開けて威嚇をしているようだが、当人が望んでいる効果はないようだ。ジュンもそれを真似している。どちらが大きく口を開けられるかの勝負とでも思っているのだろう。ある意味正しいのか?
「まこと! じゃあな!」
「またあしただ!」
「まことくん、ばいばい」
「うん、ばいばい」
じゃれ合っている娘二人の傍らで、わざわざ挨拶をして去っていく友人たちに手を振り返す。親御さんも母上と僕に会釈をしてその場を去っていく。
「まーくん」
「あれ? もう終わったの?」
「ジュンはジュンのママにつかまった」
「……」
見ると上から頭を鷲掴みにされて動きを封じられているジュンの姿が。
「帰るよジュン。兄ちゃんたちもお腹すかしてる」
「めしかっ! はらへった! じゃあな! まこと! すずか! しほも! めしがおれをまっている」
「うん、ばいばい」
「ばいばい」
「ばいばーい!」
娘の言葉遣いにサナエさんは頭を抱えながら、今井母娘はこの場を後にする。
その後、吉倉家や後藤家とも別れ、僕たちもバスに乗り込み帰路に就く。
「まーくん」
「なに?」
「……ねんちょうさんはいっしょのクラスがいい」
そう言うスズカの表情は、少しだけ拗ねているようにも見える。
今日一日過ごした中で、何か思うところがあったのだろうか。
「そうだね。僕も一緒がいいな」
「……♪」
そう同意すると、もにゅもにゅと口元を動かすスズカであった。
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