#112 幸せな三十歳
思ったよりも長くなってしまいました。
いつかは来るとわかっていた。
そしてその”いつか”が、とうとうやってきてしまった。
実際にその時を迎えてみると、小さくない衝撃を受ける。
つい昨日と何かが大きく変わったわけでもないのに、数字が一増えただけなのに。
今日は私の誕生日。
この度三十歳になった。なってしまった。
もう、二十代は名乗れない。
年齢なんてそれほど気にしていないつもりだったけど、何か大きなものを失ってしまったような気がしてならない。
大人になってから、そして母になってからというもの、時間の流れが驚くほど速く感じる。
それもそうよね。
私も年を取るわけよ。
こんなに大きくなったんだもん。
隣で寝相良くすやすやと寝息を立てている最愛の家族。
安心しきったその寝顔を見ると、思わず笑みがこぼれてくる。
(もう、年中さんか……)
それにしては妙に大人びていて覇気のない雰囲気だけど、寝ているときは年相応のあどけなさがある。そのギャップがたまらなく可愛いんだけどね。
しばらく見つめていると、まーくんの目がうっすらと開く。
視線がぶつかった。
三回ほどゆっくりと瞬きをしたまーくんはもぞりと動く。どうやら二度寝ではなく起きるのを選択したみたいだ。
「おはよう、まーくん」
「おかーさん、おはよう……、……おたんじょうび、おめでとう……」
「ふふっ、ありがとう」
寝起きの動き始めていない頭で、それでも今日が私の誕生日であることを忘れず、お祝いの言葉を口にする。
おそらく私の誕生日を一番楽しみにしてくれているのはまーくんだ。
GWが終わったころから考え込むことが多くなったのも、私の誕生日プレゼントをどうしようかと悩んでいるからと風の便りで。
もう、愛おしくて仕方がない。
我が子ながら可愛すぎる。
まだ眠たそうなまーくんを引き寄せ、抱き枕にしながらゴロゴロする。
最近は温かくなっては来たけど、まだ朝方は少しばかり冷える。
まーくんの体温が丁度良く感じる。うん、今日も平熱のようだ。
胸に抱きしめられて、少し照れた様子のまーくん。
必死に隠しているようだけど表情筋が動いてるよ? ほんのちょっとだけだけどバレてるからね?
そんなところもまた可愛くて、抱きしめる力が強くなる。
「……お、おかーさん、ちょっと……」
「おっと、ごめんねまーくん」
「謝るなら力を緩めて……」
おっと、ごめんねまーくん。つい……
抱きしめる力を緩めて、代わりにその柔らかい頬に私の頬をくっつける。
ぷにぷにすべすべしていて気持ちいい。
ミオに言われてというのもあるのだろうけど、まーくんはスキンケアもばっちりだね。
普通の子は保湿クリームなんて持ち歩いていないし、汗をかいても自分から拭いたり着替えようとはしないみたいではあるけど。
でもそんなところがまーくん。私の愛する息子。
「ふふっ……」
「おかーさん?」
「ううん、なんでもないよ」
思わず笑いが漏れてしまった。
そうして十二分にまーくんとのスキンシップを楽しんだ後。
一緒に顔を洗って歯磨きをする。
白湯を飲んだら着替えて朝食の準備開始。
その間まーくんは、洗濯機を回してくれたりお布団を畳んだりと、小さな体でお手伝い。
いつものことながら、まーくんがいてくれて本当に助かる。
その頑張りに少しでも報いたくて、お手伝いの金額設定を上げようと提案しても――
「今のままでいい。……本当はなくてもいいけど、プレゼントが買えないのは困るから……」
――って、まーくんが。
本当に私にはもったいないくらい良い子に育って……
それ以上の言葉が見つからない。
ママ友に聞けば、この年頃の男の子にお手伝いで家事を学ばせるのには苦労しているとか。
そして皆まーくんのお手伝い動画を欲しがり、お子さんに見せてお手伝いをしてもらうとか……
ミオがそれを「商売にする?」なんて茶化してきたり。
私はまーくんを商売道具にする気はない。まーくんがやりたがらない限りは。
「まーくん、そろそろご飯できるよ~」
「は~い」
テレビでニュースを見ていたまーくんに声をかけると、すぐに返事が返って来る。そして私の傍に来て、
「じゃあ、これお願いね」
「うん」
配膳のお手伝いもしてくれる。
「「いただきます」」
仲良く揃って朝食。
途中、お隣からふーちゃんときょーちゃんの泣き声も聞こえてくる。
戸塚家も朝食かな。
「「ごちそうさまでした」」
「おいしかった」
「ありがと、まーくん」
ご飯粒一つ残さず綺麗に食べて、その上何気ない一言。
ご飯を作る甲斐があるというものよね。
ただ複雑なのは、今日のおかずはお隣さんからの差し入れだったり……
……
二人で分担して食器を下げて、私は皿を洗う。
まーくんはドラム式洗濯機から洗濯物を取り出し、えっちらおっちらとベランダの前まで運んでくれる。
そして申し訳なさそうにしながら、
「おかーさん、お願いします」
「まーくん、ありがと。大きくなったらその時はお願いね」
「うん……」
さすがのまーくんも物干し竿には手が届かない。
踏み台ではなく脚立が必要になる。でも二階のベランダでそれは危ないので、ここからは私の仕事。
と言うか、これ以上は私の方が申し訳なくなってくるので、お手伝いもほどほどにね……
まーくんが手伝ってくれるお陰で、家を出る三十分前までには、やらなければいけないことはすべて片付く。
そうしてできた自由な時間で、まーくんと私は録画した英会話番組を見るのが日課。以前は一人で見てたみたいだけどね。
「まーくん? 見ないの~?」
いつもなら私の隣で行儀よく準備しているはずのまーくんがいない。
十秒ほど待っていると戻ってきた。
「――おかーさん、改めてお誕生日おめでとう。これプレゼント」
「まーくん……」
日常に戻って忘れかけていた私の誕生日。
まーくんがどこかに――幼稚園のリュックサックに隠していたであろうプレゼントを渡してくれる。
「ありがとう。中見ていい?」
「うん」
メッセージカードを開く。「おかあさん、おたんじょうびおめでとう」と書かれた。
すーちゃんの時と違って年齢が書かれていないのは、まーくんなりの気遣いだろうか。そう考えるとちょっと嬉しいやらなんやら。
今年のプレゼントは”しおり”。
去年と一緒ではあるけど、これは私からまーくんにお願いしたもの。
去年のゼラニウムのしおりは手帳には挟んでいるけど、普通の本を読むときにも使いたいなと思って。悩んでいるなら是非にと、ミツヒサさん経由で伝えてもらった。
今年のしおりは折り紙の切絵。
もちろんラミネート加工がされている。
切絵は幼稚園の授業でもやったって言ってたっけ。
幼稚園児が作るにしてはやけに精密かつ複雑な模様。
小さなしおりのサイズでよくぞここまで、と感心してしまう。
「ありがとう、まーくん。綺麗なしおりだね。とっても嬉しい。大切に使うね」
「どういたしまして。あと、これも……」
「?」
そう言って追加で差し出されたのは小さなラッピングされた袋。
中には、色からしてチョコレートクッキー。
「しおりは去年と一緒だから……、なんとなく……、ミオさんにも手伝ってもらって……」
「まーくん……」
ちょっと申し訳なさそうに、そして照れを隠すまーくん。
「ありがとう。お母さん嬉しい」
本当によくできた子で……
嬉しさのあまり、私はまーくんを抱きしめる。
このクッキーはおやつにでも頂こうかな。
「おかーさん、そろそろ英語……」
「えぇ~、もうちょっとこうしてても~」
「時間が……」
「しょうがないなぁ~」
「えっと……、おかーさん……?」
「今日はお母さんの誕生日なので、まーくんを独り占めする日です」
「えぇ……」
まーくんを膝の上に抱きながら、一緒に録画した番組を見る。
三十歳になった衝撃なんてもはやなんともない。
失ったものよりも、多くのものを貰った。
そんな幸せな誕生日の朝を迎えることができた。
「――って感じだったかな」
「いい夫婦ですね」
「親子よ?」
「親子とは……。ちなみにそれがプレゼントのクッキーですか?」
「そうよ。いいでしょ~」
「……おいしそうですね」
「これはあげないわよ?」
まーくんからのプレゼントだからね。
一つ一つ大切に食べる予定なので、残念ながら人様には上げられない。
「私もまーくんからプレゼントが欲しい……。お母さま……!」
「誰がお母さま?」
「あ、いえ、冗談です……。……十一月です」
読んでいただきありがとうございます。
改稿履歴
2021/05/30 20:40 賃上げ提案に対するマコトの台詞を修正
 




