#106 そこに山があるから
GWが明けるとやってくるのが春の遠足。
陽ノ森幼稚園の子どもたちは、いつもより重量が増したリュックサックを背負ってグラウンドに整列していた。
初めての遠足に落ち着かない様子の年少組。
運動が得意な子たちは張り切っている。とすると、不安そうなのは苦手な子か。
ただ陽ノ森幼稚園に通う子は、体を動かすのが好きな子が多い。
親兄弟や仲の良い友人が通っていたからという理由で来ている子もいるだろうが、幼稚園の方針を知っていればね。崖から突き落とされている子もいるかもしれないが。
そして我らが年中組。
初めての後輩の前で良い所を見せようと先輩風を吹かしてはいるが、残念ながらまだまだお子様のよう。いつもと違う雰囲気にテンションがおかしなことになっている。
年長組はそんな年中組に毛が生えたくらい。
まぁ幼稚園児なんてそんなものだろう。
元気があることは良いことだ。だが事故や怪我には気を付けよう。
さて、春の遠足の目的地。
もちろん決まっている。恒例行事だ。
山。
陽ノ森幼稚園のすぐ後ろに聳え立つ、我らが陽王山。
年少時に何度かあった遠足では、麓――と言っても、幼稚園がすでに麓にあるんだけど――の広場にはお世話になった。
しかし山頂へは丸一年ぶりになる。ご無沙汰しております。
久しぶりの山登りに、隣にいるコイツのテンションが上がらないわけがない。
「まこと! たのしみだなっ!」
「そうだね……。朝からはしゃぎすぎて、後半ばてちゃっても知らないよ?」
「だいじょうぶだ! そのためにとっくんしてきたからなっ!」
自信満々な様子の、陽ノ森幼稚園年中組きっての元気っ子。
繋いだ手をぶんぶん振って、その溜まりに溜まった気合?を早速爆発させている。
はて……、なぜ僕は手を繋いでいるのか。
ジュンの勢いに負けて成り行きでこうなっているが、冷静に考えると整列してるだけなのだから必要はない気が……
ほら、みんなも手繋いでない。
繋ぐ必要があるのは公道を歩くときだけ。
僕の腕がすでに疲れ始めているので、できれば放して欲しいんだけど……
「ジュン、僕たちはなんで手繋いでるの? まだ早くない?」
「せんせーがつないどけって!」
「あっ……、そう……」
先生の言いつけなら仕方がない。
さすがのジュンも勝手に一人で登りに行ったりしないと思うけど、念には念をということだろうか。
「じゃあちょっと落ち着け。肩がおかしくなる……」
「わかった! まことも”しじゅーかた”ってやつなんだな! とーちゃんもいたいっていってたからやめる!」
聞き分けがいいと思ったら、何やらおかしな納得をされている。
四歳児は四十肩にはならねぇよ……。……ならないよね?
「ところで特訓って何してたの?」
「ひみつのとっくんだ!」
”秘密の特訓”
ジュンの口から聞くと妙に不安になるのはなぜだろうか。
「しりたいか?」
「いや、別に……」
「しょうがねーなー! ひみつだからだれにもいっちゃだめだぞ? ひみつなんだからな」
僕の耳に口を近づけて、小声でこしょこしょと教えてくれるジュン。
おかしいな。
秘密ってなんだっけ?
「へぇ……、そんなことしてたんだ……」
「ひみつだぞ? ひみつのとっくんだからな!」
「……」
「やくそくだ!」
「……」
小指を突き出され、指切りげんまんをする僕とジュン。
勝手に秘密を教えられて、勝手に約束をさせられる。
なんと横暴な……
いやしかし。
GW中にジュンがやけに大人しい思ったら、まさか毎日陽王山に登っていたなんて。僕らが吉倉家に遊びに行った時、ジュンは陽王山に登っていたということか。
ちなみに今井家は陽ノ森幼稚園もとい、陽王山のそこそこ近所にあったりする。
散々山登りを堪能して久しぶりでもないのに、このテンションを維持できるとはさすがジュン。しかしその熱意はどこから来るんだ……
「ジュンは山登り好き?」
「もちろんだ!」
「なんで?」
「なんで!?」
「う~ん」と唸りながら考え込むジュン。
思わず理由を聞いてしまったが、ちょっと意地悪だったかもしれない。
本当に好きなことって、好きな理由とか考えずに好きだから好きなんだよね。好きでいることの理由を探し始めたら、なんか醒めちゃうし。
子どもの好きを奪うのは大人げない……
「すまんジュン、今の質問はなかったこ――」
「――そこにやまがあるからだっ!」
「……」
杞憂に終わって良かったのか、心配して損をしたのか。
子どもだから、単純に説明できるだけの思考整理ができなかっただけかもしれない。いや……、誰かに仕込まれたか……?
まぁ山登りは悪いことじゃない。
足腰は鍛えられるし、自然とも触れ合える。
子どもの成長には悪くない遊び場ではあると思う。
虫がいるのがちょっとアレだけど……
「ジュンは陽王山以外に登ってみたい山とかあるの?」
「えれべすと! こうにーが、せかいでいちばんたかいやま、っておしえてくれた! まことしってるか?」
「いや、初めて聞いたかな……」
「まことでもしらないことあるんだな!」
「世の中知らないことだらけだよ……」
自慢気に胸を張るジュン。
近くに”博士”がいなくてよかった。遠足出発前にややこしいことにならなくて……
「まこともいっしょにのぼるか?」
「やめとくよ……」
「えー!?」
そこに山があるからという理由だけで山に登ろうとするのは、登山家とジュンくらいだろう。
断られたジュンは、すぐ前に並んでいる友人に誘いをかける。
「――ゆうまはいっしょにのぼるだろ?」
「うん! のぼる! いついくの? どようび?」
二つ返事で話に乗るのは、去年は体調不良で春の遠足に参加できなかったユウマ。
今回を楽しみにしてテンションが上がっているのはしょうがないけど……、安請け合いすると後悔するよ?
二人とも”えれべすと”ってどんな山か知ってる?
いや、知ってたら知ってたでおかしいんだけどさ。
十中八九、エベレストのことだろう。
目標が文字通り高すぎる。
人生のどこかで――つまり大人になってからならまだしも、幼稚園年中が、加えて週末に登りに行く山じゃない。
「こたろーは?」
「まことがいくならいく」
「まことっ!」
「保留だ」
「ほりゅーってなんだ!?」
時間に任せて話を有耶無耶にするための、悪い大人が使う呪文である。
読んでいただきありがとうございます。
 




