#099 おでこの力
始業式から一夜明け。
そしてその翌朝。
「まーくん大丈夫よ。かっこいいかっこいい」
「ほんと?」
「うん、もちろん。世界で一番かっこいい」
短くなった前髪を視界の外でいじる僕を母上が褒める。
別に短いのが嫌というわけではないが、今までそこにあったものがなくなると落ち着かない。
「じゃあそろそろ幼稚園行こっか」
「ちょっと待って……トイレ行ってくる」
「一人でできる~?」
「できる」
幼稚園へのお見送りが楽しみなのか、母上は妙にテンションが高い。
しかし僕を誰だと思っているのか。トイレマスターだよ?
「……お待たせしました」
「じゃあ行こっか」
そうしてしっかりと事を済ませば準備万端。
いざ幼稚園へ。
我が家に別れを告げ、戸塚家と合流。
一日空いて、スズカが「幼稚園に行きたくない」と言い出す心配も少しはあったけど、
「~~♪」
僕の腕をしっかりと抱え込んで超ご機嫌。
年少さんまでは手をつなぐだけだったんだけど、なんかレベルアップした。今日だけかもしれないが。
正直歩き辛いけど口にするのは野暮というものだろう。
というか、おそらく言っても意味がない。
そうしてバス停へ着くと――
「ひっぐ……、ようちえんいぎだぐないの……」
すすり泣く声が。
おっとご心配なく。
スズカが泣いているわけでないよ?
「ユナちゃん、バス停まで来れたんだし、もうちょっと頑張って幼稚園行こう?」
「うぅ……! ひっぐ……」
イヤイヤをしてお母さんを困らせているのは、葉桐さん家の由奈ちゃん。
ご近所なので、当然のように一緒に遊んだことはある。主に休日の公園で。
優しくしてくれるスズカになついていて、同じ髪型にしたいと髪の毛を伸ばしている最中。ようやく肩にかかるようになってきた。
そんなユナちゃん。昨日入園式を終え、いよいよ今日からバス通園が始まるんだけど……早速ぐずっているようで。
「――あっ、ほらユナちゃん、マコトお兄ちゃんとスズカお姉ちゃん来たよ~」
「おはよう、ユナちゃん」
「おはよ……」
「ひっぐ……」
「ほらユナちゃん、おはようって」
「う゛ぅ~~」
ユナちゃんはお母さん――瞳さんの足にしがみ付いて挨拶を拒否。
ヒトミさんに「ごめんね」と謝られたので、「大丈夫です」と返しておく。
「ほんの少しママと離れるだけだからね」
「おうちがいい」
「ん~、でも幼稚園は行かないと……」
「いぎだぐない……」
「どうして?」
「だっで、だっでね……、う゛ぅ~~~」
自分の中の漠然とした感情をうまく言葉にできず、泣くことしかできないユナちゃん。
案外幼稚園に行ってしまえば、けろっとしてたりするんだけどね。
やっぱりお母さんと離れる瞬間は不安になってしまうんだろう。
そんな新年少さんを見つめていたスズカ。
僕から離れ、ユナちゃんへと近づいてぽんぽんと肩をたたく。
「――ゆなちゃん、ようちえんたのしい」
「ひっぐ……」
「いっしょにようちえんいく」
「う゛ぅ~~」
スズカが説得を試みる。
しかし結果は、
「まーくん、だめだった」
心なしかしゅんとして、僕の元へと帰ってくる。
「ううん、すーちゃん、よく頑張ったね」
思わずうるっと来てしまった。
つい一昨日は僕と違うクラスになって泣いていたスズカが、ユナちゃんを励まし一緒に幼稚園に行こうと……
なんだろう、この温かな気持ちは。
「すーちゃん偉い。すっごく偉い。すーちゃん可愛い!」
「………………むふぅ」
落ち込んでいたスズカも笑顔……を通り越したものを取り戻す。
さて、スズカが頑張ったんだから、僕も頑張らないわけにもいかない。
「……ユナちゃん」
「ひっぐ……」
「見ててね……?」
近づいて、左手をパーにして甲側をユナちゃんに見せる。
そして左手の親指を右手で、逆手で握りこむ……ふりをして、右手で右手の親指を包んで指先だけ見せておく。
ここまでこればお分かりだろう。何をするのかと言うと、みなさん大好きマジック。僕の経験上、子どもの機嫌をとろうとしたとき、これが一番手っ取り早い。
では早速、それらしい表情を作って雰囲気を出しながら、親指がずれるマジックを……
――ぺしっ
「……」
――ぺしっ
「……」
――ぺしっ
「……ユナちゃん?」
ヒトミさんにしがみ付きながらも手を伸ばし、僕のおでこをぺしぺし叩くユナちゃん。マジックには微塵も興味を示してくれていない。
「……おでこ」
「……そうだね、おでこだね」
しかし泣き止んだユナちゃん。
畳みかけるチャンスである。
「ユナちゃん、幼稚園は怖いところじゃないよ?」
「……」
「先生も優しいよ?」
「……」
「絵本もおもちゃもたくさんあるよ?」
「……」
「大きなジャングルジムもあるし、土管のトンネルでも遊べるよ?」
「……」
「……お砂場広いよ?」
「…………ゆなもあそんでいいの?」
「もちろん。幼稚園に行けば遊べるよ?」
「……」
「ユナちゃん行かないなら、僕たちだけで遊んじゃおっかな~……」
「…………ゆなもあそびたい」
「じゃあまずは幼稚園行こう?」
「…………」
「ほら、僕もスズカお姉ちゃんも一緒だから大丈夫だよ?」
「………………いく」
説得完了。
母上とミオさんが拍手をしてくれる。
まぁ、伊達に幼稚園児をやっているわけではないのでね。
「まーくん、すごい」
「ううん、凄いのはすーちゃんだよ?」
「すーが?」
「うん、ほら、昨日すーちゃんが前髪切ってくれたお陰だからさ……」
一番大変なのは、最初の泣き止ませる段階。
じゃないと話を聞いてもらえないから。
今回ユナちゃんを泣き止ませることができたのは、僕の髪型が大きく変わったからだろう。
記憶にある限り、赤子以来のでこ丸出しヘアだ。
つい昨日まで前髪があったんだけどね。
いつも通りミオさんに切ってもらおうとしたら、スズカもやってみたいと言い出して。
まぁ、誰にでも初めてはある。
そういうわけで、ユナちゃんを泣き止ませることができた最大の功労者はスズカなのである。スズカが僕の前髪を誤って切り落とさなければ、こうはならなかったのだから……
「マコトくん、ありがとう。ほんと凄いねぇ~」
「どういたしまして。年中さんが年少さんを助けるのは当たり前だから」
「マコトくん……」
ヒトミさんからお礼を言われ、帰ってきたらおやつをご馳走してくれるとまで。
ありがとうございます。
「さすがまーくん。で、いつまで親指握ってるの?」
「……」
「帰ってきたら、お母さんがマジック見てあげるね?」
「うん……」
――ぺしっ
「すーちゃん?」
「……♪」
そうして僕たちは、ちょっと遅れてやってきたバスに乗り込み、幼稚園へと旅立っていく。
読んでいただきありがとうございます。




