90話:蝶の行方
ルール島を一周した私は別荘地に戻って来た。
なのにお父さまとお母さまは忙しい。
はい、私のせいです。
「お嬢さま、旦那さま方と何をお話になったのですか?」
一緒に刺繍するエリオットは、温泉街での会話に入れてもらえなかったことを不服にしている。
もちろん未来のことは緘口令を敷いて、あの場以外の誰にも言わないことになっていた。
精霊のことも島の秘事なので、エリオットには言っていない。
「旦那さまのみならず奥さままで突然国外の魔法研究に関する進捗の捜査など」
密輸組織そっちのけで全く違う動きを始めた両親に、エリオットは温泉街でのことが発端だと気づいていた。
表向きはすでに密輸組織に繋がる者たちが死んでしまったための捜査の頓挫。
だけど両親はそのことに一切未練なく、私の死亡フラグを折ろうと必死になっている。
「お父さまもお母さまもお勉強熱心なのよ。エリオットは興味ないのかしら?」
私の答えにエリオットは疑わしげだ。
お父さまが調べているのは魔導機関。日本の知識で似た物で言えば水蒸気機関だ。
私はイベントでこの最新技術を暴走させる。
他国の新技術のお披露目を台無しにしたことで非難され、最終的には暴走に巻き込まれて死んだと思われる。
「生きてるけどね」
「お嬢さま?」
「なんでもないわ。エリオット、せっかくお兄さまがいらっしゃらないのだからそんな難しい顔をしないで」
相変わらず仲が悪く、今日お兄さまは学校からの呼び出しでいない。
「すでに次代の監督生と目され、現監督生から補助を依頼されるほどのロバートさまがいないことと僕のこの顔は無関係ですよ」
「また意地の悪い言い方をするのだから」
魔法学校は全寮制なので生徒の生活を見る監督生がいる。成績優秀者や人望などを考慮されると聞いた。
ゲームではそんな身分なんてない。何せ一年が何度も繰り返すコナン時空だから。
「私が女領主になるかもしれないという話はお父さまからあったでしょう?」
「えぇ…………、そうなった場合の婚約についてのご説明がありました」
「今の内に婚約を白紙にしておけばいいのに、別に責任なんて感じなくていいのよ」
「しません」
エリオットは酷く真面目な顔ではっきりと言った。
ジョーとアンディは主従らしすぎると言っていたけれど、こんなにはっきりものを言う従僕、公爵家では見たことがない。
「お嬢さま、僕はお嬢さまと生きたいんです」
「生き方はエリオットの自由よ。私にこだわる必要はないわ」
「…………通じない。…………僕はお嬢さまを愛しています」
「ありがとう。私もエリオットの幸せを心から願っているわ」
エリオットは撃沈したように項垂れてしまう。
「本当よ?」
「本当だとわかるから…………あぁ…………」
「どうもー」
突然扉が開くと間延びした声が室内に向けられた。
「オーエン!?」
「やぁ、シャノンくん。楽しそうなところ悪いけれど従者くんを貸してもらえるかな? 若さまが従者くんを指名して荷物の運び込みをするように言ってるんだ」
「お兄さまお戻りになったのね」
「うん、報告を侯爵さまに上げてからこっちに来るって」
「く…………僕に面倒な命令を与えてお嬢さまを独り占めにするつもりですね!」
言うや、エリオットは手早く刺繍を片づける。
「お嬢さま、すぐに戻ります!」
「あまり急いでぶつからないようにねぇ」
私の見送りの言葉を背に、エリオットは部屋から出て行く。
「それで? どうしてオーエンは残っているの?」
「いやー、まさか君が未来予知を侯爵さまにまで告げるとは思わなかった。どんな気持ちの変化かな?」
「どうして…………!?」
私が驚くとオーエンはにやりと効果音がつきそうな顔で笑う。
「やっぱりか。悩ましげだった若さまが肩の荷が下りたような顔してたからかまをかけてみたんだ。どうやら当たったみたいだね」
やられた!
私が睨むのも気にせず、オーエンはエリオットが座っていた席に勝手に着く。
「どうして僕のことを言わなかったんだい?」
これもかま?
いいえ、言ったのならお父さまがすぐ排除に動くはず。それがないから聞いているんだろう。
「…………あなたには黒幕でいてもらわなければ困るのよ」
意趣返しで私はオーエンに笑ってみせる。
実際バタフライエフェクトのためにはオーエンの存在はほしい。
黒幕を早々に排除するのも手だけれど、確実に未来は大きく変わる。
私の目標は小さな変化で大きな結果だ。
オーエンとの出会いと交流がゲームどおりかは知らない。
けれど今のところオーエンは私を操る気でいる。ならこのままゲームどおりを目指したい。
「君、動く時には突っ走るけど、練る時には慎重だね」
「そう…………」
でもないとは言えないため、私は刺繍に視線を落として言葉を濁す。
「それもこれも、私が生き残るために必要なことよ」
挑戦するようにオーエンを見つめると、瞳に滲む感情があった。
けれど読み取る前に笑顔で誤魔化される。
「ところでこのファッジ、食べていい?」
花を描いた器に盛られた甘く柔らかなお菓子を指してオーエンは聞く。
「…………どうぞ。私のお勧めはドライフルーツの入ったファッジよ」
「僕はチョコファッジが好きだけど、おすすめなら」
美味しそうに食べるオーエンに、なんだか毒気を抜かれた。
「美味しいね。さすがはお嬢さまに提供されるお菓子だ」
「高級だから美味しいと言うことはないでしょう。きっと出来立てや発祥の地で食べたほうが美味しいし楽しいわ」
「クラージュ王国のように?」
「そうね」
また何か企んでるのかとオーエンを見据えると、同意するように微笑み返される。
暖簾に腕押しってきっとこういう時に使うことわざだ。
「私のおやつでいいならあげるから、誰かを死なせるような真似はしないでちょうだい」
「自滅するような小物、僕の知るところじゃないんだけど」
自滅する小物とは、執事のことだろうか?
執事は私とアンディを殺そうとした時に、誰かから警告を受けていたような口ぶりだった。
今回関わってないと言ったけれど、こんな殺人を引き起こす裏にオーエンは関わっている。
私がこれ以上の犠牲に対して訴えようとすると、口にファッジを押し込まれた。
「お菓子の誘惑には抗えないこともあるかもしれないね」
私はすぐにほどける口の中のお菓子で喋れない。
飲み込んで文句を言おうとするとまたファッジを入れられた。
オーエンにファッジを押し込まれると同時に、ノックもなく扉が開く。
「いい加減諦めて実家に帰ったらどうだい? そちらでも君は十分にやれるだろうとこの僕が保証してあげてもいい」
「いいえ。僕はお嬢さまのお側を離れません。あなたこそ妹離れをすべきでしょう。女領主の件だって手放しがたいからなのではありませんか?」
「ほう? お父さまの決定に異論があるのかい?」
「まだ決定で、は…………」
喧嘩しながら入って来たエリオットとお兄さまは、私とオーエン見て言い合いをやめる。
「うわぁ…………」
さすがに状況のまずさを察してオーエンが腰を浮かす。
「何をしている、オーエン!」
「やはりお嬢さまに手を出す不埒者!」
「うわー! 誤解ですってー!」
二人に責められるオーエンは、私に視線で助けを求めた。
私は笑ってファッジを手に取る。
「お返しが欲しいのかしら?」
「オーエン!?」
「なんて羨ましい!」
うん? エリオット?
「ファッジが食べたいならどうぞ」
「違いますよ、お嬢さま」
「オーエン、どうしてシャノンに食べさせていたのか納得できる理由はあるんだろうな?」
「いや、えっと…………のり?」
ぽろっと真実を口にしたオーエンに、お兄さまの眦がつり上がる。
何故か落ち込むらしいエリオットは、もしかしたら力仕事の後にお兄さまとの言い合いで疲れたのかもしれない。
「エリオット、はい。あーん」
私の言葉とファッジを目の前に、エリオットは反射的に食べる。
「あまりお行儀良くないからこれだけね」
「ふぁ、…………ふぁい!」
「シャノン、この兄にはそういうサービスはないのかい!?」
頼りになるお兄さまの子供のような一面に私は笑ってしまう。
悩ましげだったとオーエンが言っていた。心配させてたのは申し訳ないし、やっぱり死亡フラグのことは極力秘密にしよう。
知った相手に重荷を背負わせるのは嫌だ。
この楽しい時間が続くよう、私が頑張らなきゃ。
まずはバタフライエフェクトを起こすために蝶の羽ばたきのような小さな変化を。
いずれ飛び立った蝶が嵐を呼んで私の死亡フラグをへし折ってくれるように。
そう私は胸の内で決意を新たにしていた。
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