68話:自前の印籠
今日は町へお忍びで来てる。
お供はもちろん、絶対お側を離れないマンのエリオットだ。
伯爵になるんだから、そろそろお嬢さま離れしていいと思うんだけどな。
「お嬢さま、ほどほどに。また根も葉もない噂にされますよ」
「この場合、根も葉もあるんじゃない? それに何かモーリーの悩みの種があるはずよ。それを見つけるためにはほどほどなんて」
「お嬢さま本人とかけ離れているので根も葉もありません」
うん、エリオット。本当にお嬢さま離れしよう?
それと知らない仲じゃないんだから、モーリーのことも気にかけてあげて。
そんな私たちはお忍びで軽装。別荘地から休暇をもらって遊びに来た使用人風を装ってる。
私が着てるのは白シャツに赤いリボン、黒いワンピースという目立つことのない服装。
裾は短めにしてチュールを飾る程度のちょっとしたおしゃれだけ。
頭にはスカートと同じチュールで飾ったつばの広い帽子。これは私に特徴である紫色の瞳を隠すためだった。
「目さえ見えなきゃばれないはず…………!」
「顔見知りに会っては意味がありませんが」
うん、親戚の住む土地だから出会わない可能性は五分かな。
暮らす領民も屋敷の下働きをしていたりするので、私を遠望したことがある人いるかもしれない。
「と、ともかく。まず市の品揃えを確認しましょう。暮らし向きを知るバロメーターよ」
「また馬車の試乗を理由に出て来ているので、長居はできませんよ」
やらかしすぎてエリオットが厳しめに忠告してくる。
クラージュ王国では引っ張り回したし、従います、はい。
私たちは町の市場へ向かった。
ここは周辺の村から産物が集まる場所で、別荘地の料理人も買い付けに来ると事前に情報を得ていた場所。
「広場に屋台を出しているのね」
「都のような店舗は土地代もかかりますから。ここは市場の利用料だけで済みます」
さすがエリオット。市場については予習済みらしい。
「あら? そこは食べ物を売っているのかしら?」
「お嬢さま、帰ってからの食事に差し支えますので、見るだ、け」
私の心を読んで釘を刺そうとしたエリオットは、不自然に言葉を区切る。
目を向けると、エリオットは誰かを…………あ、ミック発見。
私は悪戯心を起こして、帽子で顔を隠し寄って行く。
エリオットもキャスケットを目深に被って呆れ顔を隠した。
どうやらミックは一人で店番をしながら、食材の下ごしらえをしているようだ。
「らっしゃー…………お嬢?」
「あら? どうしてわかったの?」
今顔も見てなかったわよね?
「うわ、本当にお嬢じゃないっすか。そんな手入れの行き届いた真っ黒な革靴履いて俺に近づく貴族なんて他にいないっすから」
「あらまぁ。靴一つで貴族だとばれてしまうのね」
服はグレードダウンしていたけれど、靴はある物を履いて来た。
これでも靴は一番質素な物だったのに。
「お忍びだったのだけれど、予想以上に早くばれてしまったわね。ところでミック、ここはあなたの店なの?」
「いや、その…………親方から店番頼まれて」
食べ物屋さんで、ミックは材料の皮むきをしている。
前掛けには食材の汚れがついているようなので、店番とは言え作るのもミックのようだ。
「あなた、料理人だったの?」
「見習いっすけど」
気恥ずかしそうに答えるミックを見ていたら、満足げなモーリーの顔が頭をよぎった。
「もしかして、いつも軽食を作ってくれていたのはミック?」
「…………っす」
モーリーはやっぱりブラコンだぁ。
お兄ちゃんの手料理褒められてあんなに嬉しそうな顔をするなんて。素直じゃないなぁ。
「なんでそんな笑ってんすか?」
「モーリーと仲いいのね。私も兄がいるからすごく気持ちがわかるの」
「あ、あいつはお節介なんすよ…………」
ミックは恥ずかしがって横向く。
どうやら兄妹は似た者同士らしい。
「やっぱり仲良しなんじゃない。あ、モーリーが軽食の感想を聞く時、すぐ立ち去るみたいにしていたのって」
「お嬢、からかわないでください」
「だからモーリー、先日は私が食べ終わる前に感想を聞いて来たのね。兄を自慢したかったのね。仲がいいのはいいことよ」
「ほんと、やめて…………ほんと…………」
真っ赤になっちゃった。予想以上にミックは恥ずかしがりなのかもしれない。
そんな風に楽しく会話していると、横から声が上がった。
「おいおい、一人前に女引っ掛けてるのかミック!」
「…………ち、面倒な奴が」
粗野な声だ。ミックの顔も険しく不良っぽくなってる。
もはや睨む癖じゃなく、完全に睨んでる状態ね。
そしていちゃもんつけた相手は白いシャツにベストまで着て、比較的身なりがいい。
この町の有力者? にしては若いので有力者の息子あたりだろう。
帽子で顔を隠した私には、気取った声を向けてくる。
「何処から来たか知らないが、お嬢さん、そいつに関わるとろくなことがないですよ」
ミックと違ってちゃんと敬語は使えるみたい。
こっちの身分も推察はできる頭はある。
なのに、ミックには喧嘩腰って、因縁のある相手ということかしら?
「商売の邪魔だ、帰ってくれ」
「ミック?」
突然ミックが私を邪険にする。
その様子に有力者の息子は馬鹿にするように笑った。
「おいおい、お前がいること自体が邪魔だろうが」
「客じゃないならさっさと帰れ、ポール」
「町長の息子に偉そうな口を聞ける立場だと思ってるのか? この町の面汚しが」
あ、有力者どころか町長の息子だった。
しかも自称って、相当その立場に胡坐をかいて増長しているようだ。
これはミックが睨むのもわかる気がする。
喧嘩になる前に止めようと思ったら、ポールが私を見てミックを指差す。
「お嬢さん、こいつは前科者だ。近づくとどんな酷い目に遭わせられるかわかったものじゃないですよ」
「おい! 余計なこと言うな!」
「本当のことだろうが、え?」
噛みつくように怒鳴ったミックだったけど、蔑むようなポールの言葉に黙る。
どうやら前科者については本当らしい。
「お嬢さん、こんな前科持ちより俺と一緒にどうです?」
ミックが黙ったことで何故か勝ち誇るポールがそんなことを言った。
「その靴はこんな市場を歩くための物じゃないでしょう。我が家でお茶でも。この町一番の屋敷です。一見の価値はありますよ」
ミックに前科があったことに驚きはしたけれど、それがポールを選ぶ理由にはならない。
悲しいことに、この世界に犯罪は多い。
その上窃盗で死刑とかちょっとついていけない基準で罰される。
貴族に手を出した平民は死刑とか、本当に間違った基準だと思う。
「おい、子供に手出す気か」
「黙れ前科持ち。美人になるポテンシャルがわからないのか」
「てめーの悪趣味なんか知ったことか。町長の息子が幼女好きなんてな」
「なんだと!?」
突然ミックがポールにあからさまな喧嘩を売った。
これはまずい。周りの人も聞いてる状況で、町長の息子を罵ったらミックの立場が悪くなるだけだ。
旧悪を暴露されて、これ以上の集客はなしと見て自棄になったの?
私はミックに近づこうとするポールの前に出た。
「ご忠告ありがとう」
微笑んで告げると、ポールは戸惑ったように足を止める。
えっと、頬赤くなってるけど、本当に小さい子が好きってわけじゃないのよね?
「けれどごめんなさい。私、あなたのこと趣味じゃないの」
ポールは一瞬何を言われたかわからない顔をした。
そして、今度は怒りで顔を赤くする。
「…………は? こ、こいつ…………!」
「おい、やめろ! その人はまずい!」
公衆の面前で恥をかかされたポールを、ミックが止めようとする。
けれど、エリオットのほうが早い。
いつの間にかポールの後ろへと回り込んでいた。
「な、何だこいつは!? い、痛たた!」
腕を後ろに固められたポールが痛みに叫ぶ。
抵抗しようとしてさらに抑え込まれるせいで前のめりになった。
エリオットのほうが年下で体も小さいけれど、鍛え方が違うと言ったところだろうか?
私は前屈みになって痛がるポールに近づいた。
「あ、おい」
ミックが止めようとするのを、私はウィンクで黙らせる。
…………何故かミックに引かれた。何故?
まぁ、今はポールだ。
「私が誰と話そうとあなたに関係のないことでしょう?」
「そいつは前科持ちだって親切に教えてやったんだろうが!」
「そんなこと、本人に私が聞きます」
「世間知らずが偉そうに!」
「偉そう?」
私はポールの言葉を繰り返して笑ってみせる。
そして帽子のつばを持ち上げ、ポールにしか見えないように顔を露わにした。
「…………あ」
自前の印籠を見せつけると、ポールは絶句する。
「誰にものを言っているのかしら?」
紫の瞳はテルリンガーの血が濃い証。つまり、侯爵家直系だと物語る確たる証拠。
町長の息子でしかないポールは、私を見つめたまま冷や汗を浮かべて黙り込んだ。
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