66話:水泳教室
時間を擦り合わせて三日後、私はミックに指定された小川に来ていた。
水着持参で。
そう、この世界に水着はある。ゲームでもあったし。
主人公は顔の見えない女の子だったけど、水着姿は描かれていた。
人魚を模したという巻きスカートつきのセパレートタイプが。
惜しむらくは、子供用もこの形なことだ。
「どうも初めまして。ミックの妹のモーリーです」
自殺の名所で出会った水泳教室先生役のミックが、妹を連れてやって来た。
なんだか挑戦的な言葉つきで、私たちに負けないと言わんばかりの様子だ。
赤っぽい茶色の髪にそばかすのモーリーは、私たちと同じ年くらいの少女だった。
「おい、モーリー。すみません。お嬢が女一人だと駄目だと思って」
「あら、貴族の倣いを良く知ってるわね」
「え、いや…………」
私が声をかけるとまだ怯えるの?
それでも気を使ってくれるなら感謝するけど、なんかモーリーが私だけ睨んでる気がする。
…………は! これはお兄ちゃんを取らないでってやつ?
ツンデレ? 隠れブラコン? そう考えると気難しそうに見えたモーリーも可愛いく思える。
「君も来てるなんてな、アンドリュー」
「やぁ、ルーカス。残念ながらジョーはいないけどね」
私のほうはアンディを連れて来た。
「溺れた時の救助要員が必要かと思って。水の魔法使いを呼んだの」
って説明したら、ミックとモーリーが唖然としてしまった。
「はぁ、さすが魔法の大家」
「そんな簡単に魔法使い用意するなんて」
「ちょっと遠いけど親戚だから、そんな大したことじゃないわ」
実は昨日アンディが訪ねて来たから声をかけてみただけだし。
水辺の事故が心配だと言ってみたら快諾してくれた。
そして話してわかったのは、アンディがルーカスとも知り合いだということ。
ジョーの父であるウィートボード公爵は騎士団の上役をしている。
ルーカスは騎士を目指してる貴族の子弟で、ジョーとの交流からアンディとも顔見知りになっていたそうだ。
ゲームではツン全開のアンドリューが、どうして主人公の初期メンバーになっていたのかちょっとわかった気がする。
家族や人間関係を知って初めてわかることだけれど、ゲームだと成り行きでの同行だった。
「俺らのやり方なんで、合わないかもしれないっすけど」
「わからないことは聞いて行くから。気負わずに教えてほしいわ」
「…………っす」
やっぱり私にはなんか怯え混じりというか、引け腰というか。
動きの鈍いミックに比べて、モーリーは細々動いて準備を整えてくれる。
「こっちに布張って着替えスペース作りましたので使ってください」
「ありがとう、モーリー」
わざわざ私のために用意してくれてらしい。
けれどお礼を言ったらぷいっと横を向かれた。
「着替え一人でできないなんて言っても知りませんから」
「大丈夫よ」
それはできる、というかできる服をちゃんと着て来た。
たぶん日本の女子高生の記憶なかったら、思いつかなかったことだけど。
だってドレスって基本的に一人で着れないようにできてるんだもの。
真後ろにボタンがあるって時点で、侍女がいる人専用の服だ。
だから今日はオフショルダーで上下別の緩い服にして、最初から自分で服を脱ぐつもりで来ている。
「よーし…………行こう…………」
私は気合いを入れて、着替え場所から出る。
みんなすでに着替え終えて私を待っていた。
ちなみにモーリーは見学で一人服を着たまま。
「お嬢さま、やはり露出が多すぎはしませんか?」
「水着はこういうものなのだから」
フリルのトップスに魚の鰭を模した模様の巻きスカートの私にエリオットが苦言を呈す。
このエリオット、泳ぐと決まってからすすめてきた水着がある。
それは囚人服のようなしましまの、全身を覆う古典的な水着。
それはないという確固たる拒絶により、私はくびれもまだできてないお腹丸出しの状況を耐えることができていた。
「うわ、白…………」
「誰と比べてるの、ミック」
ミックの感想にモーリーが兄を睨みながら背中を叩く。
妹に怒られたミックは、気を取り直して先生役を始めた。
「えーと、まず水に慣れてくれ。浅い所から入って…………」
嫌がってた割りに、ミックは普通に教えてくれる。
腰までの深さに入ると、最初は顔を水につけるところから目を開くまでという超初心者仕様だった。
「く! これは難しい!?」
まさかのスポーツ万能設定のルーカスが最初でつまずく。
「ここは水が澄んでるから川底までよく見えるわね」
「お嬢さま、さすがです」
「エリオット、君案外水が苦手かい?」
エリオットもすぐには目を開けられなかったことで、アンディがちょっと得意げだ。
ルーカスがなんとか目を開けられるようになってから、水に浮くこと、沈むことを練習する。
「たまにどういうわけか必ず沈む奴がいるんで、念のためだったっすけど」
「し、沈むと二度と浮かないのか?」
驚くくらい沈むルーカスが命の危険を感じてそんなことを聞く。
これは授業で水泳をしていた私もびっくりだ。
本当に何もしてないのにゆっくり沈んでいくし、川底についても浮いてこない。
「いや、バタ足し続ければ浮いたままでいられるっす。ただ、そういう奴に限ってバタ足も下手ってことも」
「うぐ…………」
「ルーカス、まだ一日目よ。これから改善して行けばいいんだから。重く考えないで」
慰めるとなんでか驚かれた。
「噂とずいぶん違うな」
「あら、どんな噂? ジョーが何か言ってた?」
「いや、ジョーは面白い令嬢だと」
それは褒め言葉なのかしら?
「シャノン、淑女に言うべき言葉じゃない」
「お嬢さま、いっそ侮辱と取ってもいいのでは?」
「アンディ、エリオット。それ本人には言わないでね。悪気はないんでしょうから」
「それだ」
どれだ?
ルーカスが私を指す。
「高慢で我儘で人の話を聞かず偉ぶりひたすら他人を見下し、下に見た者をとことん甚振ると聞いていた」
「そ、れは…………本当にそんな人がいたらすごいことになるでしょうね」
事実確認のためにアンディを見ると、知らないと言わんばかりに首を振る。
「そこまで酷い噂なんて初めて聞いた。ルーカス、それは何処で聞いたんだい?」
「城でだな。だいたいルール侯爵令嬢の名前が出ると聞く話だ」
「私お城に上がったのは数える程度よ」
「しかも公に発言をしたことはありませんね」
これは…………もしかして私にも『不死蝶』の因果律が?
それは困る!
「ルーカス、そういった話が他にもあったら教えてほしいわ。私が何か気づかない内にどなたかに失礼なことをしていたかもしれないもの。できればそのお城での噂の元がわかればいいのだけれど。まずはそんな噂になりそうな行動をいつ私がしたのか知りたいわね」
「あ、あぁ…………」
「どうしたの?」
「もっと感情的な子かと思っていたから」
噂にヒステリーでもあるの?
今のところ人前で癇癪を起した記憶はないんだけれど。
「そう言えば初対面でジョーにも怒らなかったね、シャノンは」
「あの後、僕にあなた方を探るよう命じられましたよ。お嬢さまは冷静で賢いのです」
「エリオット、邪推しないで。ちょっとした興味よ。お茶会を放り出してこそこそしているなんて、気になるじゃない」
「なるほど、その好奇心旺盛なところをジョーは気に入ったんだな」
ちょっとは印象が向上したらしいルーカスに、私は微笑んで見せた。
「私があまり令嬢らしくない振る舞いをすることはどうかご内密に」
「いきなり僕の腕に飛びついて来たこととか?」
「それは聞いてないよ、シャノン」
アンディが不服そうに言って、エリオットを睨む。
「言い訳させていただけるなら、止める暇もなく。何より自殺の疑いがありましたので」
「う、では俺はその自殺の名所で飛び込みの練習しようと考えてたことを黙っていてもらえるか?」
ルーカスが拝むように言う姿に、私たちは笑い合った。
「あのー、お楽しみのところ悪いっすけど。そろそろ上がらないと体冷えるっすよ」
気づけばミックが焚火をしている。
いつの間に? モーリーも薪拾いをして私たちが水から上がるのを待っていた。
「そう言えばルーカス、あなたどうしてそんな噂を聞いていたのに私の誘いに乗ったの?」
水泳に誘った時、ちょっと考える以外の反応もなく頷いていた。
私の疑問に、ルーカスは悪気のない顔で答える。
「使えるなら何でもいいかと思って」
「…………その素直さは美点だと思うけれど、もう少し言葉を飾ったほうが立派な騎士さまになれると思うわ」
私が遠回しに改善を要求すると、アンディがずばっと言ってしまう。
「今のは無礼すぎて頬を叩かれてもルーカスは文句を言えないよ」
「お嬢さま、謝罪と撤回を求めるべきかと」
「エリオット…………。殿下をお助けするためという高尚な目的に変わりはないのだから、言い方くらい気にしないわ」
私たちのそんな話の横で、平民の兄妹が額を寄せ合う。
「俺、いつまでお嬢方につき合えばいいんだ?」
「ミック、今さら何言ってるの。だから安請け合いするなって言ったのに。これ、全員泳げるまで続くわよ」
ミックとモーリーは兄妹らしく同じ仕草、同じタイミングで溜め息を吐いていた。
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