65話:無謀に目測を計る
「そこのあなた!」
私は声をかけながら崖の縁に向かって走った。
振り返るのは赤毛の少年。
溌剌とした爽やかさのある顔つきをしている。
「あなたは…………!」
自殺の名所にいたのは知った顔だった。
というか昨日いたわ。
お茶会に参加していたけれど見てはいない、それでも知っている相手。
何故なら、この少年は将来の攻略キャラだから。
「…………君は、ルール侯爵令嬢?」
そういう赤毛の少年の名前はルーカス。
王子のついでに調べたから、グッドナー伯爵家の三男ってことも知ってる。
「こ、ここで何をなさっているの?」
ルーカスは初期メンツ。そして王子の学友にして護衛でもある。
昨日もアーチェに答えるために話題にした相手。
王子の側を離れて本当に一人で何をしてるんだろう?
ゲームでは裏表のない好青年で、腹黒王子とは対照的なキャラクターだった。
天然で鈍いところがあり王子の腹黒に気づいていないというキャラだ。
「何を? 崖から飛び込もうかと」
「駄目!」
「うわ!?」
「お嬢さま!」
私はルーカスに飛びついて止める。
後ろをついて来ていたエリオットも、私を止めようと引っ張った。
「え、なんだ、いったい?」
「世を儚むには早すぎるわ!」
「なんだって? ど、どういうことなんだ?」
私は離さないと腕に力を籠める。
頭の上ではルーカスが慌てふためいていた。
「グッドナー伯爵令息、どうか危険ですのでこちらへおいでください!」
エリオットの誘導に、ルーカスは思ったより素直に応じる。
「お嬢さまも離してください。いつまでも殿方に抱きついていてはいけません」
エリオットに叱られ、私も身を離す。
改めて見たルーカスは、驚くほど真っ赤になっていた。
あ、あー! そうだね、いきなり異性が抱きつくとかないよね! うわ、淑女として恥ずかしい!
冷静に状況を見直した私も、顔が赤くなるのを自覚した。
「…………ごめんなさい」
「いや、その、こちらこそ…………柔らかくて、じゃなくて…………えっと…………」
お互いに目も合わせられず、言葉も出てこない中、エリオットがわざとらしく咳払いをした。
「グッドナー伯爵子息、自殺の名所で飛び込むなど何を考えてらっしゃるのですか」
「自殺の名所…………!?」
この反応は、どうやら知らなかったらしい。
ルーカスは驚いた後に、気づいたように私を見る。
「あ、あー。そういうことか。これは申し訳ない」
私の行動の理由を理解すると、己の紛らわしい言動の非を認めて謝って来た。
「その様子では、自殺のつもりではないのね?」
「いや、まさか」
ルーカスは大きく手を横に振って否定した。
ほっとした私は、最初に心配していた人物のことを思い出す。
振り返ると、まだ若者は木の陰に隠れてこちらを窺っていた。
「おいでなさい。あの方が私たちにあなたのことを教えてくださったの」
「そうか、知らないとは言え紛らわしいことをした」
「は、え、いや…………」
ルーカスの素直な様子に、若者は戦く。
「そう言えば、名前を聞いていなかったわね」
「…………ミック、です」
何処かの海賊に似た名前ね。
マルコとニックは今も海賊なんてしてるのかしら。
「ミック、その日焼け具合は船乗り? 君、泳げるか?」
ルーカスがいきなりそんなことを聞いた。
「え、はぁ…………。一応」
「ここから飛び込みってできるか?」
「無理っす。この下岩が切り立ってる上に潮が下向きに流れてるから浮かべないっす」
訳のわからないルーカスの質問に、思いの外詳しくミックが答えた。
ミックは周辺の漁師なんだろうか?
「ルーカスとお呼びしていいかしら? どうして飛び込みなんてしようと思ったの?」
「構わない。実は泳げなくてね」
「はい?」
私が驚く間に、ルーカスは照れたように頬を掻いた。
「船で来た時に、殿下が波の揺れで落ちそうになったんだ。掴んで事なきを得たが、万一落ちたら飛び込んで助けなければと思って」
「そ、それでどうしていきなりここなの?」
「ちょうど船からの高さと同じくらいだなと」
泳げないのにいきなり飛び込み?
ゲームのルーカスも考えるより動いたほうが早いタイプだったけど。
ゲームでのルーカスはスポーツ万能で、魔物との戦闘では初期メンツの中の攻撃役だった。
明るく前向きで身を挺して主人公を守ってくれる騎士的なキャラだ。
「飛び込んだとして、泳げないのにどうするつもりだったの?」
「いや、特には」
ゲームより考えなしだー。
若気の至りで命落としそうなこと言ってるよ。
「水に入ればどうにかなるかと。まずは体験してみないとわからないからな」
「それでいきなり命捨てるってどうなんすか? あ」
ミックが思わず本音を漏らすと、ルーカスは気にせず笑う。
「まさか下がそんなことになってるなんて知らなかったからな。教えてもらえて良かった」
「海の色で深さはわかるっす。この下めちゃくちゃ白く波立ってるんで浅いっす」
「そうなのね」
私、日本でも海辺には住んでなかったから、ルール島に移動する今のほうが海には近い暮らしをしてる。
海の深さが見た目でわかるなんて初めて知った。
「あと、この高さで深いとこに飛び込んでも骨折れるっす」
「そうなのか」
「高い所から水落とされると水でも痛いっすから。それが自分から落ちてく状態っす」
ミックはまず船から飛び込むというルーカスの前提行動を止める。
「船で救助ならまず箱か浮きのついた縄落とすっす。泳げても飛び込みはないっす」
そう親切に説明してくれるので、私たちは頷きながら聞く。
「そうか。色々間違えるところだった。止めてくれてありがとう、ルール侯爵令嬢」
「いいえ、お礼なら私に危険を伝えてくれたミックに」
「もちろん、ミックも教えてくれて助かった」
「…………うっす」
年下ばかりで勢い教えてしまっていたミックは、思い出したように引け腰の返答をする。
面倒見は良さそうだけれど、身分を気にするのね。
「ミック、あなたは泳げるのよね?」
「は、はぁ…………」
なんで私にだけ怯え混じりなのかしら?
「ちょうどいいから私たちに泳ぎを教えてちょうだい」
「はい!?」
「落ちたら自分で浮きを掴みにいかなきゃいけないなら、自分が泳げなきゃいけないのでしょう?」
「いや、そんな…………教えるなんて…………」
「ねぇ、ルーカス。あなたも覚えたいわよね?」
「…………うん、そうだな。ミック、教えてほしい」
「いやいや…………!」
ルーカスの乗り気にミックは目を剥いた。
「お貴族さまに教えるなんて! 家でやってくださいよ!」
「家ではたぶん教えてくれないから言っているのよ」
「なんで!?」
「ルール侯爵家で海難事故に備えてお教えするなら、魔法ですから」
エリオットが私の代わりに答えると、ミックは茫然とする。
そしてルーカスは難しい顔をした。
「そうか。だが、俺は火属性だから魔法でもどうにもできないな」
「えぇ、魔法も万能ではないから泳ぎを覚えておきたいと思ったのよ」
ミックは、エリオットに止めるよう目で訴える。
けれど忠実な従僕は、私を見て乗り気であることを確認すると、首を横に振った。
「ここで断っても後で近隣の首長に問い合わせて家を探すだけですよ」
「お、横暴だ…………」
「あなたの人柄を見込んでのことなのよ?」
「俺も他に泳げる伝手がいない。報酬は払うから引き受けてはもらえないか?」
ルーカスからも頼まれ、ミックは味方がいないことを察して諦める。
「…………お願いですから貴族とわからない恰好で来てください」
そう答えたミックの落ち込みようとは対照的に、私は内心、ガッツポーズを決めた。
これは王子に一番近い相手と仲良くなるチャンス!
この夏は、バタフライエフェクト目指すぞ!
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