32話:喧嘩を売られる
私は部屋の外で待っていたエリオットと合流した。
侍女たちは部屋の片づけのため残っている。
「食堂へご案内いたします」
従僕らしく振る舞うエリオットだけど、まだ顔が険しい。
男手としてお兄さまの着替えの手伝いに行ったはずが廊下に立ってるんだから、わからなくもないけど。
「お部屋に入れないなんていじわるをして…………。お兄さまは相変わらずね」
「ひどくなってます」
「そ、そう?」
エリオットの低い声にちょっと驚いた。
そう言えば、あのことを知っていて、エリオットにいじわるをしているのだろうか。
「お兄さま、婚約のことはごぞんじなのかしら?」
「知っていたらあれでは済まないかと」
「そんなこと…………ないとは言えないけれど。お父さまは言ってないの?」
「存じ上げませんが、学業に専念させたかったのではないでしょうか」
確かに私とエリオットの婚約なんて聞いたら、お兄さまは勝手に帰ってきそうだ。
同じ想像をしたのか、私は苦笑いするエリオットと顔を見合わせた。
言葉にしなくても、お互いお兄さまには言わないでおこうと頷き合う。
どうせ口約束だしね。
「なんなの! どうして邪魔をするの!」
突然行く先から金切り声が聞こえた。
私を庇って、エリオットが前に出る。
食堂へ続く大きな廊下で誰かが騒いでいるようだ。他の客も困惑顔で近寄ることをためらっている。
誰もが見つめる先には、何処かのご令嬢が顔を赤くして怒っていた。
金髪をサイドテールにしているというゲームにいそうな髪型。
着ているのは青いドレスで、吊りぎみの目が美人系だ。なので怒ってると余計に怖い印象を受ける。
「何故止めるのです!」
「こ、これ以上はあちらのご不興を買われます!」
「あの方はそのような方ではありません!」
「それはそうかもしれませんが、い、一度落ち着かれて…………!」
荒れる令嬢を側つきらしい人たちが止めているようだ。
まぁ、令嬢はどんどん苛立ちから声を大きくしてるみたいだけど。
「あの方、正装をしているからには、やっぱり貴族専用の食堂へ向かうのよね」
「ここはお通りにならないほうがいいでしょう。別の通路を」
「エリオット、ここ以外から行く道を知っていて?」
「…………聞いてまいります」
私といたから船の通路を確認していなかったエリオット。
道を尋ねるために船員を捜そうとするようだ。
「お嬢さまはお部屋でお待ちください」
「いいわ。私も散策したいもの」
「お嬢さま」
「少しだけよ。エリオットが一緒なら大丈夫でしょう?」
笑ってみせると、エリオットはちょっと嬉しそうだ。
頼られて嬉しいのは男の子だからかな?
もしかして婚約話に乗ったのも、お父さまに見込まれて喜んだからかしら?
なんて考えている内に騒ぎの声が近くに迫っていた。
「もういいわ。直接ご挨拶するために、お部屋に向かいます!」
「そ、そのようなはしたないことは!」
「何故よ! 私とは知らぬ仲ではないのに!」
「ですが、殿方のお部屋に行くなど!」
何やら男女関係らしい。令嬢は誰か思う相手に会いたくて怒っているけれど、周りが止める、と。
ちょっとエリオットの両親のようなラブロマンスを想像してしまう。
「お嬢さま、お退きください」
エリオットに庇われた途端、騒がしい令嬢たちが大きな廊下からこちらにやって来る。
曲がって来た令嬢と目を合わせないよう、私は反射的に俯いた。
「だから…………あなた!」
え、私声かけられた? なんで?
空気が張りつめてるっていうか、なんだか怒りがこっちに向いた気がするんだけど。
私はエリオットと顔見合わせ、知らない人だと首を振り合う。
エリオットも覚えがないなら、本当に初対面だろう。
「まぁ、なんて恰好をなさっているのかしら?」
「え?」
知らない人がなんか高圧的に言って来た。
周りが止めようとするけど、令嬢は手を上げて側つきを睨む。
目を逸らした内に、私は令嬢を観察する。
年齢はたぶん五つくらいは上。恰好はニグリオン連邦風。
だけどやっぱり知らない相手で、喧嘩を売られる理由はない。
「黙ってらっしゃい! 私に意見しようというの!」
周りは戸惑って黙ってしまう。どうやらそれなりの地位の家のようだ。
これは事を荒立てないほうがいいよね。せっかくの家族旅行だし。
「ちょっと、あなた!」
「…………お初にお目にかかります」
私はそう挨拶して、知らない人ですよね? と確認をとった。
「気持ち悪い蝶なんてつけて、どういう感性なのかしら」
「はい?」
私一押しの蝶デザインに文句とな? さすがにカチンとくるよ?
「お嬢さま」
私の様子にいち早く気づいたエリオットに抑えられる。
うん、大丈夫大丈夫。まだ大丈夫。
そう、蝶だろうと昆虫は全てダメな人もいる。
今着てるのは腰にリボンと一緒に大きく金属で細工された蝶だ。触覚とか再現されてて嫌いな人もいるのはわかってる。大丈夫、私はまだ大丈夫。
「しかもピンクに黒のレースなんて趣味の悪い」
「こ…………こほん」
出かけた言葉を咳払いで誤魔化した。
これはピンクじゃなくて桜色とかなでしこ色ですー!
細い黒レースが流れるように飾られてて、腰のリボンが太めっていうところが着物っぽくて気に入ってるんですー!
私が言い返さないと余計不機嫌になる令嬢は、より傲慢な態度を取った。
「まともに応対もできないなんて子供はこれだから」
これは完全に喧嘩売られてるけど、買ったら同レベルだよね。
周囲の目もあるし、今は絡まれた私に同情的だ。
買っても損しかない喧嘩なら…………投げ捨てよう。
「はぁ…………」
私はわざとらしく溜め息を吐いてみせる。
そしてエリオットに目を合わせた。
「行きましょう。お父さまたちがお待ちだわ」
「…………はい、お嬢さま」
「ま、待ちなさい! 私を無視するなんてどんな教育を受けているの!」
やっぱり怒る令嬢に、私はまたこれ見よがしに溜め息を吐いてみせる。
馬鹿にされてると怒ってもさすがに手を出さない。
怒ってばっかりでらしくないけどそれなりに育ちはいいのかな?
「私は、知らない方に声をかけられても軽々しく答えてはならないと言われております。名乗らない、ましてや名乗らせもしないような不調法な方、私の知る方の中にはいらっしゃいませんの」
真っ赤な他人アピールをすると、令嬢は真っ赤になって言葉を詰まらせる。
「わ…………私は!」
「結構です。ご縁がありましたら、正式な場でお会いすることになるでしょうから」
出直せと遠回しに言ってみる。
すると理解したようで、令嬢はわなわなし始めた。
ありがとう、皮肉屋なアンディ。あなたを真似したら相手を黙らせることができたよ。
私はその隙に歩き出す。エリオットは素早く道を確保して、食堂へと案内に立った。
「な、なんですの!」
背後でまた金切り声が聞こえる。
背後はエリオットが警戒してくれてるから、私は堂々と真っ直ぐ見て去るのみ。
「追ってまでは来ないようです」
「そう…………。なんだったのかしら?」
「知らないと言っても否定はありませんでしたね」
「そうね、知り合いではないと思うけれど。念のため、お父さまにご報告しましょう」
「はい」
あぁ、楽しい船旅の出鼻を挫かれた気分になったよ。
同じ船に乗ってるってことは、また会うこともあるのかな?
「そう言えばあの方、魔法使いのようだったわ」
「本当ですか?」
「あ…………そうね。私にしかわからないのよね」
「相対した者の、属性か適性がおわかりになるという、あれですか」
そう、あれだ。
実はこの半年、私には相手の属性と適性を表すゲームアイコンが見えるようになってる。
ゲームの仕様のまま。
属性は色で、適性は応じた剣や盾のデザインで見える。
ゲームの時も、初見の敵は属性か適性のどちらかしかわからないようにされてることもあった。
「うん…………? ってことは、あの方…………」
…………敵なの?
今までそんな人に会ったことなかったけど。
「お嬢さま? お心当たりがございましたか?」
「う、ううん。魔法学校関係者かもしれないなと思っただけよ」
「なるほど」
エリオットを誤魔化しながら、私は戦闘なんて起きませんようにと祈るしかなかった。
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