ルール侯爵家のエリオット
エリオット視点
「なぁ、なんでエリオットはルール侯爵家にいるんだ?」
お嬢さまが離席し、ジョージさまが暇を持て余してそんなことを聞いて来た。
それに乗るのはアンドリューさまだ。
言い合いはよくあるものの仲が良い。
「確かに。君の出生を思えばジョーの家のほうが違和感はない」
「僕はお嬢さまにお会いしなければ数年で地方の修道院へ送り込まれているはずでした」
「げ、そりゃあんまりだろ。だいたい俺より継承権高いはずだろ?」
王家の血を継ぐからこそきわどい話も気にしないジョージさまに、聞かされているアンドリューさまが迷った末にまた乗る。
結局乗るのだからやはり仲は良いのだろう。
「非嫡出子扱いなら継承権自体発生しないんだよ。でもそうなると余計にルール侯爵は何故君を引き取ったんだい?」
「お嬢さまがそう望まれたからです」
「いや、何処でどんなふうにシャノンと会ったと言うんだい? こうしてロザレッド伯の打診が来るなら王家は君の身をルール侯爵家に預けたんだろう?」
思いつきはジョージさまのほうが鋭いものの、推測はアンドリューさまのほうが適格だった。
お二人は話してて飽きない相手だ。
僕の素性を知っていても以前と変わらず接してくるのも悪い気はしない。
だからだろうか。話してもいいと思えた。
「そうですね。まず僕は両親が殺された後碌な説明もなくフューロイス帝国に連れ去られました」
「あ、大陸のほうにいたのか?」
「はい、ジョージさま。そして帝国は勝手に連れ去っておいて邪魔だ、いらないと押し付け合いを始めました」
「本当に碌なことをしないな、あの帝室は」
アンドリューさまは苦々しく呟くと、僕に先を促した。
「そしてある日、自分の中で何かが壊れたのを感じました。感覚としては、踏み躙られた花が地に伏したまま枯れるような、死んだような?」
言い表しにくいけれどその変化は顕著だった。
悲しくない、苦しくない、怒りもなければ驚きもないまま、全てに心動かされなくなったのだ。
「それから会う大人は僕を再起不能と見なしましたが、身勝手な失望にも傷つくことはなくなりました。そうそう、最後に帝国で聞いた言葉は『女系に価値はない』というものだった気がします」
「怖ぇ。それを淡々と話してるエリオットがまだ何か壊れてる感じで怖ぇ」
遠慮のないジョージさまをアンドリューさまが横から肘を入れて黙らせる。
事実なのだから特段気にしてはいないのに。
それに価値がないと見なされたからこそお嬢さまに会えたのだ。
「結局ここでも僕はいらない存在で、大人が処分の仕方を検討しているのだけはわかっていました」
「エリオットも少しは言葉を選べ」
僕までアンドリューさまに窘められてしまった。
けれど当時どうでも良かったし、生きてるのも死んでるのも変わらないと感じていた。
「では僕に起きた変化を話しましょう。ある日、鐘の音が聞こえたのです」
「鐘なんてどこでもあるだろ。お前何処にいたんだ?」
「王城ですよ」
「非嫡出子にしては厚遇と思うべきなのかな? やはり血筋的に無視はできないんだね」
ジョージさまに答えるとアンドリューさまが国側の対応を考察する。
今となっては当時の処遇なんてどうでもいいけれど、あの日城にいられたことには感謝してもいい。
「鐘の音を聞いて、僕は父の言葉を思い出しました。住んでいた街の鐘の音を、父は愛していました。故郷の鐘の音に似ているからだと言って」
僕はこの音だと確信した。
そして音のするほうへと気づけば歩き、辿り着いた所は教会だった。
「あ、城の中の教会で鐘が鳴らされるって、姫の洗礼式?」
たぶん参列していただろうジョージさまがいつであるかを言い当てた。
「そこにあるのは祝福の声、幸せな笑顔、溢れる日差し…………眩しすぎる光景でした」
今でも覚えている。
木陰の中、僕は絶望した。
目の前の光景はもう二度と自分には得られないものだと確信したから。
幸せなんて訪れないと、僕は絶望して、気づいたら泣いていた。
両親が死んでも混乱が勝って泣けなかったのにただひたすら涙が流れた。
「そんな僕を眩しさから守るように影が差した時、僕はお嬢さまと出会いました」
そこから僕の運命は動きだしたのだと思う。
「泣く僕をお嬢さまが慰めてくださり、何があったのかを聞いてくださったので話しました」
「ふふ、姫の洗礼式なら僕たちは三つか四つだろう? シャノンはその頃から変わらないみたいだね」
アンドリューさまは微笑ましそうに言ったけれど、その後お嬢さまが怒って僕を引き取るよう旦那さまに強請ったと語ると頭を抱えた。
「侯爵それでエリオット引き取るとか、懐でかすぎだろ。あ、そうか。もうエリオット正気じゃないと思ったから王家のほうも押しつけたんだな」
「王家の考えはそのようなところでしょうが、旦那さまは情だけで動くほど甘い方ではありません。侯爵として何かしらの意図があったのでしょう」
ルール侯爵は歴代ルール島の返還を求めて動いている。
僕を引き取ることで王家に恩を売る意図でもあったんだろう。
ただお嬢さまだけは純粋に僕を思ってくれた。そう信じられた。
だからただ側にいたいと願ったのだ。
「お嬢さまのお側にいるため僕は使用人として必死に学びました。そして旦那さまが僕を王室の者として隠しながらも遇しようと慮ってくださることを知りました」
「あぁ、シャノンと一緒に基本的な教育は受けてたんだっけな。婚約ってその頃から狙ってたのか?」
「隠すと言ってるんだから違うだろう。ただルール侯爵家では君の扱いは悪くなかったということか」
…………悪い点もなくはない。
園芸の楽しみを教えてくださった奥さまはいい。
ただお嬢さまの兄にあたる方は僕に当たりがきつい。
僕がお嬢さまのお気に入りとして常に側にいるからだ。
僕が引き取られるまではお嬢さまを旦那さまと取り合っていたというのだから、僕はあの方にとって明確な邪魔者だったのだろう。
正直僕の失ったものを全て持っているあの方が、僕に嫉妬しているという事実は優越感があった。
それにあの方は僕の生まれや育ちに触れない。その点で貶めるようなことは言わない。
徹底してお嬢さまとの時間を邪魔することにだけ方向性を据えている。
それはそれで腹立たしくはあるけれど、僕がお嬢さまの特別だと思えるのは嬉しくもあった。
「そうですね、このままでいられたら、そう願うほどには」
「含みのある言い方するな。なんだよ、シャノンと二人きりの時間を邪魔するなって?」
「それはできない相談だね。正直、いつも君がついて回るのが面白くないのはこちらだ」
ジョージさまに続いてアンドリューさまも挑むように言ってくる。
これはこれでお嬢さまに一番近しいのが僕だと教えてくれているようで悪くない。
同時に羨望もある。
僕ではお嬢さまと対等にはいられない。
そして立場上、決してお嬢さまの前に出て二人に物申すことはできないのだ。今は。
「睨むなよ。誘拐にシャノンを巻き込んだことは悪いと思ってるよ」
「う、その件に関しては君がシャノンを救いに行ってくれて助かった」
「別にそのことで怒ってはいません」
どころか怒る余裕がなかった。
お嬢さまがいなくなったという恐怖のほうが勝っていたのだ。
犯罪者の手にあるという不安に、最悪を考えずにはいられなかった。
人は日常の極一瞬で命を落とすことを、僕は知っている。
結局無事だったものの失えないと強く思った。
だからロザレッド伯を継ぐとなった時も嫌悪を押さえて受け入れられた。
これでお嬢さまと一緒にいられる、そう思った。
「なんか今度は落ち込んだな。エリオット、ちゃんと喋れよ。さすがにわかんねぇって」
「ジョー、エリオットがこれだけ感情を表に出す理由なんてシャノン以外にないだろう」
「…………お二方は、何故お嬢さまに一度は振られたにもかかわらずまだ求婚を諦めていないのですか?」
ジョージさまに指摘された通り、僕はお嬢さまにふられた。
僕のこの思いは幼い頃の恩義から来るのだと。
僕は…………否定できなかった。
「帰ってからさ、母上に話したら怒られたんだよ。そんなプロポーズの仕方があるかって」
「僕もだよ。本人に選ばせる気なら相応の誠意を示してからにすべきだと」
「誠意とは?」
僕はお嬢さまをいとおしいと思う。
失えないと思う。
幸せにしたいと思う。
そして、この感情に恩義と忠誠がないとは言えない。
けれどこれが恩義と忠誠だけかと言われれば違うはずだ。
人によっては不純というかもしれないこの思いに、誠意があるのかないのか。
「「うーん?」」
どうやら二人もわからないらしい。
僕は正直ジョージさまとアンドリューさまに嫉妬していた。
ただの恩義ならお嬢さまの善き出会いを喜ぶはずだ。
真の忠義ならジョージさまとアンドリューさまに対抗したいなどと思わないはずだ。
なのに今、答えのない二人を見て安心している。
「たぶんまずはシャノンに好きになってもらう所からだよな」
「そのために好意を伝えて受け入れてもらう、これが誠意ということ、かな?」
お嬢さまへの好意ならある。
けれど僕にはこの思いがなんなのかはっきりと断言することができなかった。
同時に、お嬢さまが今も僕を守る対象と見ていることに気づいた。
それはお嬢さまの優しさだ。
不遇の僕を慈しみ、心配し、憐れむその心は正しいことだろう。
でもきっとこれでは駄目だ。
僕はお嬢さまに恋をしてほしい、恋する対象に僕を選んでほしい。
「シャノンってどんな相手が好きなんだろうな。まずはシャノンに助けられてるような奴じゃ駄目なのはわかるんだけど」
「シャノンは知識欲も強い。一緒に魔法の勉強をできるくらい見識を深めないとその内相手にされなくなるかもしれないね」
「なるほど。それで言えばお嬢さまに無用な不安を与えないことも必要かもしれませんね。心配でこちらを見てくださらなくなることがありますから」
そうだ、もっと強くなろう、慈しまれるだけにならないように。
もっと賢くなろう、心配されないように。
もっと心を鍛えよう、憐れまれないように。
お嬢さまは納得していなくても、僕は婚約を旦那さまに認められた優位がある。
それなら後はお嬢さまに恋をしてもらえばいい。
「…………恋とはどうやってするものでしょう?」
「それお前が聞くのか? 未だに語り草の大恋愛夫婦の間に生まれたのに」
「ジョー、親のなれそめを聞くような年齢じゃないだろ」
両親はいったいどうやって恋に落ちたのか。
考えても思い出せることはない。
「うちは政略結婚だからなぁ。母上のこと聞いたことあるけど、父上ももっと時間があったらわかり合えたとか言ってたぜ」
「我が家もそうだし、父上はあれだからね。いっそ父上に聞けば何か…………」
「あれ? 父上はアンディのところ恋愛結婚だって言ってたぜ?」
「え、まさか! あの母上が望んで父上と結婚するなんて思えないよ。でも嘘を吐く必要もないだろうし、ちょっと聞いてみよう」
「何か聞けた時にはお教えください」
ローテセイ公爵ご夫妻が恋愛結婚だとすればそれはそれで興味深い話だ。
旦那さまにも今一度奥さまとのなれそめを聞き直してもいいかもしれない。
恋愛とは何かを知るために焦る必要はない。
魔法学校卒業までは七年もある。
そうだ、立場は同じ。
ジョージさまとアンドリューさまに出し抜かれないように気をつければいいのだ。
何年も先を思う自分を笑ってしまう。
先を思うことは生きることだ。
僕はお嬢さまに出会って生きることを思い出したのかもしれない。