26話:秘密の婚約者
十歳の結婚観に悩まされた日の夕方、私の部屋をノックする音が響く。
「お嬢さま、旦那さまがお呼びです」
「エリオット、帰っていたのね」
「はい」
普段どおり使用人のお仕着せを着たエリオットは嬉しそうに笑って答える。
ロザレッド伯関係で出かけていたはずなのに、まだ身分を隠したままなのかしら?
私はエリオットに案内されてお父さまの書斎へ向かった。
「エリオット、あちらはどうだった?」
「そうですね、まるで時が止まっているようでした」
何処とは言わずとも、ロザレッド伯の領地だと気づいたみたいで、エリオットは寂しげに言った。
「不在の間、現状維持を続けていたそうで。屋敷も何も、十年以上変わらないままだとか」
「そう…………」
エリオットの父が出奔してから、ロザレッド伯の領地はそのまま。
領主館も手付かずだったようだ。
「思い入れはないはずなのに、どこか懐かしいのが不思議でした」
「幼くても、何か覚えていたのかもしれないわね」
きっと、初めてでも父親の痕跡を感じられたんだと思う。
懐かしいというエリオットを見て、私はそのほうがいいかもしれないと思えた。いつまでも使用人でいるより、本来あるべき姿になるべきだ。
こんな、父親の思い出話も普通に話せない状況じゃ、悲しい。
バタフライエフェクトなんか関係なく、私はエリオットには幸せになってほしい。
「旦那さま、お嬢さまをお連れいたしました」
「シャノン、私のお姫さま。会いたかったよ」
「私もです、お父さま」
見るからに疲れてるお父さまは、テンション高く抱きついて来た。
幼児じゃないんだけど、苦労したお父さまに乗ってあげよう。室内にいたお母さまも呆れて見てるだけだし。
「あなた、お茶は下げますよ」
「いや、もう一杯ほしいな」
「この後夕食ですから、駄目です」
うちは基本、お母さまが強い。別にお父さまを立てないわけじゃないけど、ここぞって判断はお母さまが優先される。
今回はそんな話じゃないけど、お父さまは退出するお母さまを見送るだけだった。
「お父さま、夕食前にご用事ですか?」
「あぁ。そうなんだ、シャノン」
わざわざ夕食でも会うのに私を呼んだということは、使用人も給仕に立つ中では言えないこと。
十中八九、エリオットの今後についてよね。
「二人とも座りなさい」
私は促されてエリオットと並んで座る。
お父さまだけだから許される現状は、やっぱり今後のことなんだろう。
「エリオットがロザレッド伯として公示される時期が決まった。魔法学校を卒業した年だ」
「四年後に入学して、三年制だから…………。七年後ですね」
思ったより時間がある。けれど公示が七年後でも準備は今から始めなくちゃ。
改めて言われたせいか、エリオットも緊張ぎみの様子だ。
「今回は急なことだったけれど、今後は年単位で動くことになる」
「はい」
説明してくれるのは助かるけど、それを何故私に言うんだろう?
「今後もエリオットはうちで教育する」
「使用人としてですか?」
「そうだ。公示されないからな。今まで使用人という隠れ蓑で上手くやれていた。今後もこの形で時期が来るまで表には出ないよう、王家からも申し入れがあった」
まだすぐにエリオットと離れなくていいとわかって、私はほっとする。
…………いやいや、それだとイエスマンの問題があるんだ。入学前には距離を普通の貴族と使用人くらいにしなきゃ。
「入学後は成績が大事だ。可能な限り成績上位を目指してもらう。そのためには今後授業を増やすことになる」
「私の付き添いという形で、ですね。つまり、ロザレッド伯としての公示前に認められるだけの実績を積んでおく必要があると?」
「そのとおり。今回の件が発端とは言え、あまり公にできない理由だからな。王籍復活に値することを第三者にもわかるようにしなければならない」
説明して、お父さまはポツリと、七年後には状況が変わってる可能性もあると言った。
「ロザレッド伯になれないこともあるのですか?」
「いや、それはない。そこは王家の思惑と合致するからな。ただ…………」
お父さまは私たちしかいないのに、声を顰める。
「ウィートボード公爵から聞いたのだが、実は三カ月前に王妃の懐妊が明らかになったそうだ」
「え!? そんな風には見えませんでしたよ?」
「前のお二人を生んだ時も体型はあまり変わらなかったそうだからな。体調も大きく変化はないそうで、そろそろ発表予定だったらしい」
「…………つまり、エリオットの継承権の順位が下がることもありえる?」
「そのとおりだ。このまま二、三人王子を産んでくだされば、エリオットも気楽になるんだがな」
「旦那さま、お言葉が過ぎます」
お父さまのぼやきをエリオットが咎める。
けれどお父さまの言葉ももっともだ。
継承順位が下がれば、エリオットが第一王子の対抗馬と見られなくなる。そうなれば国王に睨まれずに済むはず。
「だが、継承権が下がれば、エリオットとの婚約も横やりが入らないだろう?」
「…………え!?」
聞き間違いじゃない? エリオットが婚約?
そ、そうか。そうよね。面倒ごとがなくなればエリオットも結婚して血筋を残すことに問題がなくなるわけで。
もしかして結婚に後ろ向きだったエリオットも、前向きになってるの?
思わず私が笑みを浮かべると、お父さまも笑顔になった。
「婚約も卒業後まで待たせることになるが、卒業と同時に婚約だ。遅いと思うかもしれないが、魔法学校に入る者ではよくあることだ。心配はいらないよ、シャノン」
あれ?
なんで私を見るの、お父さま?
「結婚式の招待客の準備で半年は必要になるが、婚約から一年は待たせず結婚式だ」
「あの、お父さま?」
「どうした、シャノン?」
「それは、エリオットの結婚の話ですよね?」
「あぁ、そしてシャノンの結婚の話だ」
「はい!?」
「うん?」
「だ、旦那さま、話が飛びました」
エリオットが顔を伏せて指摘する。
つまりエリオットは話しの全体像を知ってるってこと!?
「エリオット、どういうこと!?」
「その、ですね…………。身分を隠す間は、変わらずお側にいられるように」
「それはいいの。私の結婚ってどういうこと!?」
「それは、その…………卒業後の、僕と、お嬢さまとで。旦那さまが、僕の王籍復活に伴って、お計らいを…………」
「待って、え? え!?」
はい? 私がエリオットと結婚?
卒業したら婚約? なんでそんな話になってるの?
(緊急会議ー!)
(ゲームは在学中だから、卒業後なんて知らないよー!?)
(で、でも、何かヒントになりそうなことはなかったの!?)
(あのゲーム、コナン時空だからわからないよ! なんでお父さまは結婚推すの?)
(それは…………エリオットが王族になるから?)
(は…………! 政略結婚ってやつか!)
(そうよね、ここまで育てて見返りもなしに手離すわけないわ!)
(エリオットならきっとうちを離れても恩を忘れないのに?)
(目に見える繋がりが欲しいのよ。貴族だもの、一番お手軽な手が結婚よ!)
(つまりエリオットに恩を着せるために私と結婚させるの!?)
(そんな、ひどい!)
(断固阻止しなきゃ!)
私は決意と共に目を見開く。
「駄目よ、エリオット!」
「お、お嬢さま?」
「育ててもらった恩はあるでしょうけど、爵位をもらってまでうちに尽す必要はないのよ! その地位は本来、エリオットが持つべきものなんだから!」
「あの…………」
「お父さまも、エリオットがそんなに薄情だと思ってらっしゃるの?」
「シャノン…………?」
「恩を盾に結婚を強要するなんて見損ないました! そんなのエリオットが可哀想よ!」
「シャノン!?」
声を裏返すお父さまは気にせず、私はエリオットに言い聞かせる。
「エリオットも流されてはいけないわ。結婚に前向きになれたなら自分を優先して」
「いえ、僕は…………」
「お父さまのことは気にしなくていいの。私はエリオットの幸せを願っているのよ。私に義理立てはしないで」
「義理立てではなく、僕は…………」
「自分で選んで、自分で納得のいく方をお嫁さんにしなきゃ。きっと天国のご両親もそう願っているはずよ。少なくとも、私はそうしてエリオットが幸せになってほしいと思ってるの」
私の言葉に、エリオットは目を瞠って黙る。
もしかして心に響いた?
私は安心させるように笑いかけた。
「まだ七年あるんだもの。立派な貴公子になればきっと引く手あまたよ。大丈夫、エリオットならきっと素敵な人と結ばれるわ」
私の思いに感動したのか震えるエリオット。
絞り出すように声を漏らす。
「僕は…………、旦那さま、僕は…………」
「皆まで言うな、エリオット」
お父さま見ると顔を覆っている。両手で。
なんだか乙女っぽい。
「これは、妻の血だ。彼女も、善意に満ちて私を何度も振ったんだ…………」
「旦那さま…………」
「七つの時他国の貴族の彼女に出会って、手紙をやり取りしながら何度も…………」
え、なんだかお父さまの声が悲壮感たっぷり?
「エリオット、私から言えるのはただ一つ。時間はかかるが挫けるな。いつかは届く」
「はい、はい…………、旦那さま」
何故かエリオットとお父さまが何か通じ合ったようだ。
なんだろう?
答えがわからないまま、この話はお母さまが夕飯に呼びに来て終わった。
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