ルール侯爵家のロバート
他視点
夢で目が覚めた。
「なんだ…………? 夢?」
強い感情に突き動かされて起きたのに、目が覚めると同時に見ていた夢は霧のようにとらえどころがなくなる。
覚えているのは死にまつわる不吉で悲惨な夢であったことのみ。
「僕は、いったい何を…………?」
「お目覚めですか、ロバートさま?」
「あぁ…………、入れ」
従僕が朝の世話をしに来たようだ。
「午後の船便のチェックを。ルール島へ行く」
「かしこまりました」
従僕は疑問をさしはさむこともなく応じた。
何故か妙にシャノンの顔が見たい。
一緒にいるだろう口答えする従者の顔が浮かぶのはもう長年の癖だ。
シャノンはまだ学生で寮住まい。だからルール島本家に行っても会えるわけではない。
そう半ば諦めていた。
「お兄さま! お待ちしておりました」
「シャノン? 学校は?」
予想外に妹の出迎えを受け、僕は一時不安を忘れた。
艶やかな黒い髪に透き通るような紫の瞳。
勝気そうな顔が笑みに緩むさまは、大人っぽくなってきた今も変わらず愛らしい。
「お兄さまがルール島にいらっしゃる際は報せるよう言ってあったので」
どうやら朝ルール島行きを決めた時に、午前の便で報せが届いていたらしい。
「ですので、ご用がお済みなったらお時間をいただけませんか?」
「いや、すぐでいいよ。シャノンへのお土産にトライフルの材料を持ってきたんだ。作ってくれ」
「まぁ、私が寮にいるから材料ですか? 嬉しい」
使用人に言いつけるとシャノンは喜ぶ。
トライフルは甘いスポンジ、甘いカスタード、甘いクリームに甘酸っぱいベリーを重ねたお菓子で、僕には甘すぎるけれど。
嘘を見抜く異能に何も引っかからず笑うシャノンに何故かほっとした。
代わりに何も言ってないのに刺さるように感じるエリオットの視線に笑ってしまう。
「おや、いたのかエリオット。気づかなかった」
「お嬢さまに、ロバートさまとのお時間をいただくようお願いしたのは私ですから」
「僕に?」
驚いて聞き返すとばつが悪そうに目を逸らす。
たぶん僕が嘘を見抜く異能がなくとも一番良くわかるのはこのエリオットのことだ。
出会った時は何もなかった。
他の人間相手に実は少しずつ異能は反応していたんだと改めて気づくくらい何も。
それは僕にとって人間ではありえない心の死んだ存在だった。
それがこうして後ろめたさを感じられるほど人間らしくなっている。
これはシャノンが少しずつこのエリオットを人間として生き返らせたからだと思うとちょっとした感動すら覚えた。
うん、僕の妹は素晴らしい。
実はエリオットからわかりやすく嘘を吐かれると、それだけ人間らしくなったんだと安心するところがなくもない。
「それで、エリオットがわざわざシャノンの手を煩わせてまでなんて、いったい」
用件を聞こうとして、シャノンの顔を見た僕は絶句した。
頬を染めて降ろした瞼の先で睫を震わせる可憐な表情。
軽く噛み締められた唇が恥じらうようで、目を上げて見つめる先にはエリオットがいる。
「ロバートさま、話しはお部屋で」
シャノンの表情に目尻を緩ませるエリオットに、すごく嫌な予感がした。
「お兄さま? どうなさったの?」
玄関横の談話室に向かおうとするシャノンは、動かない僕に声をかけて来る。
「…………何を、話す気だい?」
「ど、どうしてそんなに警戒なさっているの、お兄さま」
見るからに焦るシャノンに嘘なんてない。
これは異能じゃない。
僕の経験から来る勘が聞かないほうがいいと言っている!
「逃げるんですか、ロバートさま」
「安い挑発だ。それこそ僕にとっては嫌な話題だと明言してるも同じだよ、エリオット」
「いい大人が嫌なことから逃げないでください」
「いや、聞かない。絶対に聞かないぞ!」
はっきり拒絶した僕に、シャノンは困惑して僕とエリオットを見比べた。
「え、えっと? お兄さまはどうしたの、エリオット?」
「お嬢さま、ロバートさまは私たちが何をお話しようとしているのかわかっていて拒否なさってます」
「知らない! 知りたくもない! やっぱり帰る!」
「何を子供のようなことをおっしゃっているのですか。だいたい私の背中を押したのは旦那さまとあなたでしょう」
うわー、やっぱりそういうことなんだ!
そんな心構えしてない!
夢見も悪いし可愛い妹が本格的に他人のものになりそうだし、なんて日だ!
「もうお話してないのはお兄さまだけなのに…………」
「なんで僕が最後なんだい、シャノン!?」
思わず帰ろうとした足を踏み出してシャノンに問い質してしまった。
「それは、その…………言いにくくて。友人たちなら顔を合わせたついでと弾みをつけることもできたのですけれど。改めて言うとなると、その、恥ずかしくて…………ごめんなさい」
「さい、最後って、ルール島にいる親族はともかく、まさか友人たちさえ含めて最後なのかい!?」
それはひどい、ひどすぎる。
というかエリオット!
今まで散々周囲に言われて慣れてから僕に言うつもりになったな!?
「普段は正面から張り合いもすれば文句も言うのに、こんな時に尻込みするなんて!」
「手紙で済まさなかっただけ誠意があると思っていただきたい」
「よし、目上への態度がなってない。こんな半人前まだまだ認められない。これで話は終わり。解散」
「お兄さま! 駄目です、ちゃんと聞いてください」
去ろうとするとシャノンに縋られた。
う、これを払いのけるのは無理だ。
「私、エリオットと…………!」
聞きたくない! まだ可愛い妹からそれは聞きたくない!
そんな窮地の僕には救いの音、いや、玄関に馬車が着いた音がした。
そして慌ただしくノッカーが鳴る。
「お客だ、シャノン。入りたまえ」
「お兄さま!」
「あ、やっぱりロバートさまいらっしゃった」
「シリル、それに公爵家の二人も」
誰か知らないままに招き入れると、シャノンと共通の友人であるシリルだった。
そして公爵家のジョージとアンドリューもいる。
さらに後ろに最近知った顔も続いて入って来た。
「これは、帝国の両殿下」
名前はアンリとアレクセイ。
シャノンが生死の境をさまよった事件で敵対していた相手であるものの、回復してから和解したことは聞いている。
「本当にいらしゃっるんだね。…………予知か」
アンリの言葉でシリルを見ると、にっこり笑い返された。
これはつまり、この状況を予知してやって来たと。ふむ、本当に救いの音だったようだ。
「今から妹たちが何か僕に大事な話があるらしいのであまり時間は取れないけれど?」
「おし、まだ言ってないし承諾も得てないな」
「ジョーさま、いったい何を」
「エリオット、君の勇気と献身を否定する気はない。けれどあれは狡い」
指を突きつけるアンドリューがエリオットの気を引いている内に、シリルがシャノンへと距離を詰めた。
「シャノン、まだ学生生活始まったばかりよ。そんな急いで決めることないわ」
「え、でも、私は…………」
「だいたいその従者、性格が悪すぎる」
説得の雰囲気など押しのけて、アレクセイが言い放つ。
エリオットも正面からの罵倒に顔が引き攣っていた。
「僕たちはメア、シャノン嬢に恩がある。彼女の幸せを願う気持ちに嘘はない。だから」
「君では幸せにできないのではないかと危惧している! 故に、婚約を発表するようであれば物申す! まずはその曲がった性根を真っ直ぐ清く正しくするべきだ!」
「はぁ!?」
アンリのフォローなど気にせず、アレクセイは説法でもするように両手を広げて言い切った。
さすがにエリオットも使用人風を繕えず声を裏返らせる。
その怒涛の勢いに僕は噴き出してしまった。
北の帝国の王子、なかなか面白いじゃないか。
「そういうことだ、エリオット」
「どういうことですか、ジョーさま!」
「まぁ、君の性格が曲がってるのは昔からだ」
「アンディさまは止めてください!」
「その、アレクは言い出したら聞かないから」
「それで海賊に誘拐された前科を忘れたんですか!?」
「他人の失敗をいつまであげつらうなど心が狭いぞ!」
「あなたが少しは慎重ならお嬢さまも困らなかったんです!」
「言いたいこともあるだろうし、エリオット、ちょっと私たちとお話しようか」
「シリルさま!? 私は今からロバートさまと」
エリオットが友人たちに囲まれたので、僕も合わせて動くことにする。
「シャノン、友人たちの分までトライフルはないんだ。一緒に茶菓子を選ぼう。君が一番彼らの好みに近いだろう。あぁ、君たちはそこの談話室を使いたまえ」
シャノンを引きはがすと、シリルたちはエリオットを談話室に引き摺りこむ。
「お、お嬢さま…………」
「エリオット、私も後で行くから」
エリオットの悔しそうな様子に、つい笑ってしまう口元を押さえた。
するとシャノンには見られていたようで怒られる。
「もう、お兄さまは本当にエリオットをからかうのがお好きなのだから。虐めないでくださいと言っているのに」
変わらない言葉は、シャノンがエリオットをなんとも思っていない時から。
だからこそ不安になる。
本当にエリオットでいいのか?
シャノンを救うという僕の期待に応えた。今さらエリオットの気持ちを疑いはしない。
けれどシャノンは?
「…………シャノン、僕も君の幸せを願っているよ」
「お兄さま…………。その、ご心配をおかけして」
「謝ってほしいわけじゃない。ただ、そうだね。シャノンはエリオットといて、幸せかい?」
エリオットには生まれという面倒ごとがついて回る。
もちろん僕にもロザレッド伯となったエリオットを助ける気はある。
けれどそれがシャノンの笑顔を奪うのであれば、別問題だ。
そんなことを考えた僕に、シャノンは満面の笑みを返した。
「はい、私、幸せです。素敵な家族がいて、素敵な友人がいて、す、好きな人もできて。生きてて良かったと、思うんです」
嘘偽りのない言葉と心からの微笑み。
そんなシャノンに、何故か僕は泣きたいほど安堵した。
あぁ、そうだ。今日は夢見が悪かったんだ。
あれは一体なんの夢だったか。
思い出せない。
いや、もう思い出す必要もないんだろう。
僕は幼い頃のようにシャノンの手を引く。
その手はとても暖かかった。