232話:本物のシャノン
「あなたは、お嬢さまが必死に生き残ろうとした姿を茶番だと?」
私の視界に入っていたモスを、エリオットが乱暴に掴むのが見えた。
「君、本当にシャノンのことになると短気だねぇ。聞きなよ。この状態のシャノンを立って歩いて学生生活ができるよう手をほどこしたのはこの精霊だ」
冷静なモスの言葉に、みんながアーチェを見る気配がした。
当のアーチェは欠伸をして不機嫌そうに尻尾を打っている。
「さて、僕がこういうことを話したのは一つ。僕がこの精霊と話すのを邪魔してほしくないからだ」
「エリオット、落ち着け」
「ここは一度モスに任せてみよう」
ジョーとアンディがエリオットを引き離したようだ。
「ま、茶番と言った説明くらいはしておこうか」
モスがそう言って体勢を立て直した。
「シャノンは爆発がなかったことになっても一番近くでその力を浴びた。そのせいで心が欠いてしまっている状態だった。そうとわかるまでも、何度もやり直しの日々さ。僕が会いに行って初めてこの精霊は動ける。けれどループの記憶はあやふやだった」
「長い時を存在することで時間に干渉する力自体は持っていたけれど、遡行した時間を認識するのは全く別の能力だからね」
アーチェだけが普段どおりやる気のない様子で答えた。
「そしてこの精霊はシャノンの欠いた心を補うことで、今度はあの大爆発の失敗を回避させようとした。それが、ループの解除条件だった」
「どうやってシャノンを回復させたの?」
シリルが待ちきれずに聞くと、モスは息を整えるような気配があった。
「…………あれは何度目の繰り返しだったか。見舞いと称して会いに行って、この精霊を覚醒させて。言われるままに文献を調べたり、必要な素材を集めて渡したりしていた。そしてその時間もまたなかったことになった。でも次のループで違ったのは、シャノンの体調不良なんて聞いてないとメアリ叔母さまに言われたことだ」
どうやらループを認識できるモスにとっても、突然のことだったらしい。
「会いに行けば確かにシャノンは健康そのもので喋って動いていた。そして会いに行った僕を見てとても驚いていた。…………全く別人のような態度でね」
「別人…………?」
エリオットが何かに気づいたように呟く。
「僕はシャノンを回復させるんだと思っていた。けれどこの精霊は体に備わる血統と魔法の才能さえあれば良かったんだ」
「いつもそれに拘るね。欠いたのだから埋めればいい。足りないのなら満たせばいい。シャノンの心がないのなら、そこにはまる別人の心を持って来て動けばそれでいいだろ」
うんざりしたように言うアーチェに、室内が静まり返る。
そしてモスは乾いた声で笑った。
「ね、茶番だろ? しかも恐ろしいことに、その欠いた心にはまる相手を異世界から精神だけで引きずり込むと言うようなことをしたんだ。僕に聞かないでくれよ。意味が分からないのは同じだ。ただ、確かにシャノンの体で不自由なく生きられる何者かが、シャノンの体を使ってこの精霊の望むとおりに白い精霊に関わる生き方をし始めたんだ」
誰も、モスの言葉に何も言えない。
突然の話、予想外の話、想像もできない話すぎて…………。
(ねぇ、シャノン)
(えぇ、乃愛)
((私たち別人))
(だね)
(よね)
なんて今さらなのかしら。
けれどこうして聞いて初めて自覚した。
私はシャノン・メイヴィス・メアリ・テルリンガーであって、佐々木乃愛じゃない。
(えー、ちょっと恥ずかしいんだけど? 一般庶民なのに普通にお嬢さまのつもりでいたよ、私?)
(それを言うなら私だって。確かに私たち違いすぎたわ。別人よ。なのにもう一人の私だと思い込んでいたわ)
これがアーチェが施した術なのか、それとも欠いた心にはまるということなのか。
「なぁ、だったら俺たちが今まで一緒にいたのは、シャノンじゃない別の誰かなのか?」
「そんなことはありえません! あれはお嬢さまです! 異変があれば気づきます!」
困ったように聞くジョーに、エリオットが怒りを見せる。
「あぁ、それは安堵が過ぎてのことだよ。それまでは突然起きなくなっていたのに、シャノンは何かしら怪我をして意識を失った後に別人になるようになった。そんなことがあって目覚めたら、少しくらいおかしくても目を瞑るだろ? 実際そうなっていたし、以前と性格が違ってしまったのも怪我の後遺症だと君は思ったようだ」
モスが言うにはそれでもエリオットは私を支えようと、恩に報いようとループの最後まで一緒にいたらしい。
「どうも魔法の存在しない世界から来るらしくて、シャノンの体で調子づく者は一定数いた。同時に入学前に事故や事件に巻き込まれて死んでしまう者もいた。入学しても問題を起こしたり巻き込まれたり、何度も何度も何度も…………」
「君はそれをただ見ていただけなのかい、グリエルモス? シャノンが死ぬのをただ?」
静かなアンディの質問は、確かな感情の高ぶりを孕んでいる。
「まさか。そんなことになったのはこの精霊を無条件に信じてしまった僕の過ちだ。シャノンの体を返すよう説得したこともあった。長く生きてくれるよう協力したこともあった。けれど、どれも上手くは行かなかった。いっそ、僕が動いてあるべき時の流れを変えると、シャノンが死ぬ頻度が高くさえなったんだ」
「そんな…………モス、あなた、いったい何度そんなことを繰り返したというの?」
「さぁね。過ごした時間を全て足せば、僕はもう百歳を超える老人なのは確かだ、ひひ」
シリルに答えて声色を変えるモスは何処かアーチェを彷彿とさせる投げやり具合だった。
「ただ、今回だけは違った」
そう言ってモスは私に触れる。
「十歳より前の記憶を語ったのは、彼女が初めてだった。別人ならシャノンの過去の記憶は知らない。けれど、このシャノンは確かにかつて僕と会って話したことを覚えていた。…………シャノンは、自ら欠けた心を取り戻して戻って来たんだ」
「そう? 今までとそんなに変わらないと思うけど」
アーチェはそう言うと、魔導書の上でまた丸くなった。
(私、何か欠けている?)
(そんな大雑把に聞かれてもなぁ)
(わ、私シャノンでいいのよね? 別人だったりしないわよね?)
(それこそ私に聞かないでよ。たぶんシャノンはシャノンだよ。大丈夫だって)
(そう、そうよね。だったら今回はどういうことかしら? 私、異世界へ行ってしまっているわ)
(そうだよね。今回心は平気だけど、こうして戻っても体動かせてないしね。何が駄目なんだろう?)
自問自答、いえ、他問他答をしながら私はどうにもできない状況を見守るしかなかった。
「さて、精霊に質問だ。今ここでシャノンを殺せばまたループは起きるかい?」
モスのとんでもない質問に周りで息を呑む音がした。
けれど答えるアーチェは全く意に介していない。
「無理だね。僕たちも島も無事に済んでる。アルティスも魔力を放出して安定したし。まずループを起こす理由がない。そしてループを起こすための膨大な魔力がもう存在しない。これで君は解放される。喜べば?」
アーチェを覗き込むモスの顔が私にだけ見えた。
赤い血のような瞳が怒りに燃え盛ったように感情がぎらつく。
そんな顔、初めて見た。
「あぁ、全く君にはがっかりさせられるよ」
吐き捨てるように言ったモスは、最近腰につけていた籠を取り出した。
それをアーチェに向かって上下に開くと、瞬く間に鳥籠が飲み込むようにアーチェを入れ込んだ。
「何これ? こんなことで何が…………なんだこれ!?」
アーチェが鳥籠の柵を引っ掻いて慌てる。
「出られないだろう? これは君を捕まえるためにループを繰り返しながら研究し続けた成果だ。君は決してシャノンを救おうとはしない。そうわかっていたから研究をし続けていた。完成したのがまさか本物のシャノンが戻って来た今だなんて驚きだし、こんな結果になる前に使っていれば良かったと、自分の間抜けさ加減に腹が立つけどね」
鳥籠の中で暴れるアーチェは抜け出せず、ただの猫のようだ。
本体の魔石にも戻れないし魔法も使えないのが見てわかった。
「さて、こうなったら人為的にループを起こす方法を探すしかないかな? シリル、ひとまずこれを完成させるに至った功労者を呼んでくれるかい?」
シリルがドアを開けると、応答する声でミナミだとわかる。
「鳥籠は成功したようですが、あまり良い結果にはならなかったようですね」
「ミナミ、君の連れた精霊の知恵を借りたい」
「さて、あまり有益な情報なぞ今さら絞り出せはせぬがな」
モスの声に応じるのはクダギツネだ。
アーチェを捕まえる鳥籠は、どうやらミナミとクダギツネの協力あってこその物らしい。
私に隠れてしていたのはこれだったのか。
「…………あ」
突然目が開いた。
見えるのは白い天井。
どうやら私はいいところで夢から覚めたようだ。
(モス、ごめんなさい。私、何も知らないで…………)
(シャノンが謝ることじゃないよ。これで終わりなんてない! モスだってまだ手を考えてる! こっちも連絡取れるくらいのこと考えよ! 私は行って帰ってこれたんだから、シャノンだって戻れるはずだよ!)
異世界に引きずり込まれた被害者の乃愛が前向きに言い募る。
そうだ、私が落ち込む時はいつも乃愛が励ましてくれた。
そして今日まで生きている。
(ありがとう…………乃愛が来てくれて、良かった。本当に…………)
諦めてはいられない。
私はまだ、死んでいないんだ。
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