221話:ラメインク
「へー、僕にそんな大役を任せてくれるのかい?」
温泉街にある源泉に近い宿でモスはからかうように驚いてみせた。
今後のために協力を要請し、ある程度の事情も話している。
敵の正体の予測を聞かせてこう言えるのだからモスの肝の据わり方は尋常じゃない。
お父さまや公爵方も頭を抱えたというのに。
「姿を現さなくてもいいわ。ただ、あなたの力なら安全に無力化できると思って」
「いやいや、公爵家の二人もシリルにも声をかける気のなかった君が、僕には協力を求めるなんて大役さぁ。きちんと姿を見せて正面から立ち向かってみせようじゃないかぁ」
からかうように大袈裟な仕草で腕を開く。
そして私の後ろに控えるエリオットに顔を向けた。
「従者くんはどうするつもりだったんだい? ただの使用人には重すぎる話だと思うけど?」
エリオットの身の上の話はしていないので、当たり前の疑問だ。
「エリオットは私を手伝ってもらうつもりだったわ」
「ふーん、結局従者くんは連れて行くんだねぇ。外遊に出して離れようとしてたのに」
「う…………その、エリオットは」
「私も少々関わる部分がありますので、牽制も兼ねてお嬢さまのお側に侍ります」
「おや、そうなのかい?」
モスが驚いてもエリオットはそれ以上何も語らなかった。
「それで、他にも秘密があるんだろ?」
「え?」
「今君が言った話を全て信じたとして、それでもまだ足りないじゃないか。事実を突きつけただけで彼らが行状を改めるとは思えないねぇ」
鋭い。
私の本来の目的はマリアたちを止めることじゃない。
アルティスの暴走を止めることだ。
そのためには本物のアルティスの巫女を引き摺り出す必要がある。
その後は魔女としての私の役目であり、そのためにモスの力が必要になる可能性があった。
「ま、僕にも秘密はあるから無理には聞かないさ」
にやりと笑うモスの不穏さに、私は腰を浮かせた。
「今度は何を作ったの!? まさかまた爆発物じゃないでしょうね?」
「ひ、み、つ」
「毒物の生成はメアリ叔母さまに言うように言ってあるはずよ」
モスは笑うだけで教えてはくれない。
爆発物でも毒物でもないようだけれど、私は不安になって部屋の中を見回す。
室内に変化はなさそうではあるけれど、モスの腰に見慣れない鳥籠が下がっていた。
私が鳥籠を見ていることに気づいてモスは得意げに撫でる。
「これはミナミと作ったんだ。なかなか面白い物だよ。あ、そうそう。このことをミナミには?」
「言わないわ。これ以上関係のない面倒ごとに巻き込むのは迷惑でしょう」
「そうかなぁ」
「内容が内容ですので、関わる者は最小限であるべきです」
「すでにずいぶんな数になってる気がするけどねぇ」
エリオットも私の意を受けて拒否すると、モスは苦笑した。
「本当に君は心配のし甲斐がないねぇ」
「何よそれ?」
「さーてねー」
今日のモスは含みが多すぎる。
私が不機嫌になるとモスは笑って立ち上がった。
「しょうがない。ここは僕の成果を一つ見せてあげよう」
私が答える前にモスはさっさと実験室へ姿を消す。
そして手の中に納まる瓶を持って戻ってきた。
「あらそれは、インク瓶?」
ずんぐりとした透明なガラス瓶はよく見る形の物。
机の上に置かれたインクはラベルがないため、黒い中身がよく見えた。
「光に透かして見てくれ」
手に取って言われたとおりにすると、光りの当たった部分が細かく煌めく。
しかも色は黒に見えたけれどどうやら濃い紫らしい。
「綺麗…………」
けどこれってもしかして、ラメ入りのインク?
いったい誰が使うの?
「それは注文されて作った魔法の触媒さ。それで書いた魔法陣は水属性系の魔法を長くもたせることができる」
「まぁ、すごいじゃない。いったい誰に頼まれたの? あなたが自発的にそんな有用なもの作るとは思えないけれど」
私の指摘に気を悪くした様子もなくモスは笑う。
「それ、オーエンが持ってきた依頼だよぉ」
「え…………?」
オーエン?
表向きは事故死扱いでモスには生存を言っていないのに。
「オーエンは学校の発明クラブの顧問を請け負っていてね。定期的に何かしらの発明課題を出すんだ。魔具師の才能がある生徒には、個人的に依頼を出すのは一部では知れたことだった」
「全然知らなかったわ」
「あくまでクラブ内でのことだからね。僕も君と懇意だと知って発明クラブに入ってみたんだ。面白いことがあるかもしれないと思ってね」
どうやらモスの腕は認められてオーエンから依頼を受けたと言う。
けれど何故これを今、私に見せたの?
「課題を出す際、もちろんオーエンは必要な素材を用意していた。中には単に加工するだけでも難しい希少素材もあってね。これも希少な素材を使って作ったんだ」
「そう言えば、この光っている粒はなんですか? 雲母とも違う輝き方ですね」
エリオットもインクを覗き込んで首を傾げる。
「そうね。もっと滑らかな光り方で…………まるで真珠のよう、な…………あ!」
私は紫のインクの中を浮かぶラメの正体に気づいて声を上げた。
途端にモスは腹を抱えて笑う。
「これ! 紫真珠じゃない!?」
「当たりー」
「それは確かお嬢さまが人魚から贈られ、大半を海賊に渡したと…………」
「真珠って女性の化粧品として砕いて混ぜることもあるから、やってみたかったんだよねぇ。インクの色は趣味だけど、やっぱり真珠と合わせるとこれが一番綺麗でさぁ」
楽しげに語るモスは紫真珠を三つ砕いたと気軽に話した。
あまりに贅沢な話しに唖然としていたエリオットも、見落とせない事実に気づいて改めてラメ入りインクを見つめる。
「まさか、海賊からの依頼を生徒に回していたのですか!?」
「みたいだよぉ。オーエンの前の顧問も同じようなことをしていたと言うから、まぁ、そういうことなんだろうねぇ」
「つまり…………密輸組織で受けた素材加工を、生徒にやらせていた?」
確かに加工したほうが高値が付く。
課題としてやらせれば賃金はかからない。
だからって!
「オーエンが学内の偵察に密輸組織が関わっていると言ったのは、このことだったのね」
「生徒が関わるという推測は当たらずも遠からずと。お嬢さま、つまり教員の中に密輸組織と繋がる者がオーエン以外にもいるということでは?」
エリオットの言うとおり、どうやらオーエンより前からやっているとのこと。
でも大伯父家に魔法学校で暗躍する伝手はないはず。
「…………そういうことね」
「どういうことかな?」
私の呟きにモスが頬杖をついて答えを求める。
「白々しいわね。私の話を聞いて、繋がりがわかったからこれを出してきたんでしょう、モス?」
「うーん、まぁ。そういうことかなぁと思わなくもなかったねぇ」
モスはふざけるように肩を竦めた。
気づいているのかしら?
これはオーエンがモスを巻き込んで私に残したヒントだと。
崖で遺した言葉、あれはマリアだけに言ったんじゃない。
隠れて見ている私にも、そして、上役にも向けた言葉だ。
「で、これよろしく」
モスはラメインクを私の手に押しつけた。
光る紫真珠の粒を見て、思わず溜め息が零れる。
「いいですけどね。今度は温室の時みたいに遅刻しないようにお願いよ」
「わかっているさ。知らずに巻き込まれるなんて面白くもないしねぇ」
モスは気軽に手を振る。
私はラメインクを持って宿を後にした。
そして深夜に向かったのは隠し港。
「というわけで、はい。注文されていた魔法の触媒よ」
ラメ入りインクを机に置く私に、マルコの顔が引きつる。
「確かに、持続時間を長くするか魔力の消費を軽減する触媒を作るよう依頼したのは、俺だ…………加工するのもいいと言ったのは、俺だがなぁ…………」
光るインクを見据えてマルコはがっくり項垂れた。
「く、砕きやがった…………」
「頼んだ相手が悪かったわね」
確かに紫真珠は宝石としても価値が高い。
普通なら原形をとどめたまま触媒にするだろう。
けれど相手はモスなのだ。
普通の加工をするだけなら閑静な隠れ宿で小火など起こすはずがない。
唯一救いがあるとすれば、断言した分効果だけはきちんとしていることだった。
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