93話:物音のするお茶会
「シャノン、私と一緒にお茶をしよう」
「お兄さま?」
音楽の家庭教師が帰ったピアノ室に、お兄さまがやってきていきなりそんなことを言った。
その上、私の侍女たちはお兄さまに続いて入ってくるとピアノ室の窓辺にお茶の準備を始める。
「あの、いったいどういう?」
「皆、思い悩むシャノンを見ていられないそうだよ」
「…………あ、すみません」
「謝らなくていい。それに、だいたいの者がシャノンの悩みの理由はわかっているからね」
言われて、私はお兄さまが従僕を連れていないことに気づいた。
「おいで、シャノン。同級生に聞いた故郷の菓子は君が好きそうだと思ってね。再現させてみたんだ。発酵させた生地を揚げて、中にクリームを詰めてある」
侍女たちが下がった後のテーブルには、ドーナツに真っ白な粉糖をかけたお菓子があった。
お兄さまとお菓子の誘惑に、私は席に着く。
食べてみるとドーナツより生地に弾力がある。
再現させたという何処かのお菓子ではあるけれど、我が家の菓子職人が作っただけあって私の口にはあった。
「久しぶりにシャノンの笑顔を見たね」
「…………そう、ですか?」
「侍女たちは表面的に笑っていると言っていた。心配していたよ」
「はい…………」
自分でも気分が下降してる自覚はあったけれど、心配されるほどだったとは。
お兄さまはカップを置くと私を優しく見つめた。
「エリオットを私の外遊に同行させるよう言い出したのは君のはずだったけれど」
お兄さまがそう言った時、隣の部屋だろうか、壁に何かがぶつかったような音がした。
「なんの音でしょう?」
「…………掃除の者が何か倒したのかもしれないね。それでシャノン、続きだけれど。不安があるようならエリオットの同行はやめさせるかい?」
「いいえ。どうかエリオットをお願いします」
また隣の部屋から物音が鳴る。
誰かは知らないけれどずいぶん乱暴な掃除の仕方だ。
「んん、少し話を変えようか。シャノンの落ち込みを見て、私と離れるのを寂しがっていると言っている者もいるんだ」
「まぁ…………。ふふ、私は幾つになっても子供扱いなのでしょうね」
「ここでそのとおりだと嘘でも言ってくれないのかな」
「あら、本音の混じっていないご機嫌取りなんて、お兄さまにはお耳障りでしょう? それにもう何年か一緒に暮らしたならともかく、卒業後一年も経っていませんもの」
「私の不在には慣れていると? 悲しいなぁ。愛する妹が私と同じだけの思いを抱いてくれないなんて」
冗談めかすお兄さまに、ちょっと本気を感じる。
もしかして本当に嘘でもいいから寂しがって欲しかったのかしら?
「私、一度お兄さまと離れて暮らしてわかったことがあるのです」
「ほう? それはなんだい」
「久しぶりに会う度に、お兄さまが恰好良くなっている気がしてしょうがないと」
私の言葉に嘘はないはず。
なのにお兄さまは動きを止めた。
「…………なんてことだ。帰省の度にシャノンが可愛くなっていると思っていたけれど、もしかしてそれもたまに会うからだったと!?」
「え、えぇ、そうではないかしら?」
「いや、そんなことはない! シャノンは今日も可愛い! 明日はもっと可愛い! 十年経てばきっと美しさに目が眩むだろう!」
「お兄さま、それ以上騒ぐようでしたら嫌いになってしまいそうです」
私の本気を感じ取り、お兄さまは居住まいを正す。
私たちは気を取り直すようにお茶を入れ直して飲んだ。
「ありがとうございます。少し気が晴れた気がします」
「シャノンは物わかりが良すぎる。もっと不安や焦りや、抱えていることが苦しい胸の内を吐き出してほしかったのだけれど?」
「甘やかしすぎですよ。これは私が立ち向かうべき問題です。それに、お兄さまにはもう負担をかけてしまっていますから」
きっと今もエリオットは外遊への同行を拒否してお兄さまを困らせているだろう。
そうなるよう頼んだのは私で、この先魔法学校へ入学してから立つ死亡フラグを折らなきゃいけないのも私だ。
「つまり、エリオットの世話はシャノンがすべきことじゃない、と」
「そんな拾ってきた犬猫のように言わないでください」
「餌を与えれば懐いてくれるだけ、犬猫のほうが可愛げがあるだろうね」
エリオット、いったいどれだけお兄さまを困らせているのかしら?
「以前もお願いしましたが、いじわるは」
「していないよ。ただ普通に従僕としての仕事をさせている。けれど勝手に持ち場を離れる不出来な従僕だ。相応の罰を与えることもある。それも、シャノンには虐めと映るかな?」
「…………いいえ。けれど、エリオットは決して不出来ではありません。優秀なんです。だから私の側で腐らせるわけには、行かないんです」
お兄さまは口元を押さえて笑い出した。
「やはりうちの中で一番エリオットに甘いのはシャノンだね。だからエリオットも懐くんだ」
「そうですか? …………たぶん、もう私は嫌われてしまいましたけれど」
「どうしてそう思うんだい?」
心底不思議そうにお兄さまが聞いて来た。
「このところ、私の下へ来ませんし。それに、お父さまから外遊の話をされた後、私はエリオットの嫌がるようなことを言ってしまったようで」
「…………本気か。ちなみにシャノンはエリオットに嫌われたならそこまで悩んでやる必要もないんじゃないかな?」
「嫌われて悲しいのは私の我儘ですよ? 散々エリオットが嫌がることをし続けていて、いざ嫌われたとなったら落ち込むなんて」
本当は今すぐにでも謝りに行きたい。
けれどエリオットが来なくなったというこの好機を潰したくもない。
私との関わりがなくなれば、エリオットが死亡フラグに巻き込まれることもなくなるのだ。
「私としては、シャノンがそうして暗い顔をするくらいなら、エリオットの将来をそこまで見てやる必要もないと思っているけれどね」
「そんな、お兄さま。エリオットが幸せになれるチャンスなんです。ご負担は承知していますが、どうか」
何故か私が頼み込むほどにお兄さまの表情は曇る。
「エリオットは、きっとシャノンの側にいるほうが幸せだと言うだろうね」
それこそ、死ぬまで側にいるほうが。
お兄さまは声を出さず、口を動かすだけでそう言った。
「冗談でもやめてください」
私はそれが冗談にならないことを知っている。
ゲームで従者の台詞なんてほとんどない。
名前もイラストもない従者だけれど、台詞の中にあるのだ。
『あれはさすがに死んだと思いましたね、お嬢さま』と。
エリオットが『不死蝶』の従者になれば、必ず『不死蝶』の死亡フラグのその瞬間に立ち会う。
そして今のエリオットの性格を考えれば、自分を犠牲にしても私を助けようとする。
「シャノン、本当に最期までいるのはエリオットだけかい?」
今のお兄さまの悲しげな表情は、何度か私の死亡フラグについて話した時に見ている。
けれど何度聞かれても、『不死蝶』が死を前にしたその時、お兄さまはいない。
「私の知る限りでは、私の側に立っていたのはエリオットだけです」
「…………ここで私が外遊を取りやめて国内に残っても?」
お兄さまの外遊は、卒業一、二年してからの予定だった。
それを半年後に繰り上げたのは、私の入学までに国内に戻ってくるためだ。
バタフライエフェクトを狙う私としては、そんな大きな改変は反対だったのに、お兄さまは両親を説得してしまった。
「私の知る未来に、お兄さまが関わって来たのは一度だけ。その一度で確かにお兄さまは私の助命を願ってくださった。それだけで十分です」
「けれど、私はシャノンに敵対したんだろう? 全く自分が信じられないね。その未来の私は何を思ってシャノンと」
「お兄さま、それを言うなら問題を起こしてしまう私のほうに非があったのですから。…………私も、将来の自分が何故悪さばかりをするのか、未だにわかりません」
『幻の皇太子妃』のようにわかりやすい物は今のところない。
雪を降らせる魔導書に関しては、悪意はなかっただろうと思えなくもないけれど。
「唯一確実に味方になるとわかっているエリオットを遠ざけて、本当にいいのかい? いっそ盾にしてしまったほうがエリオットも喜ぶだろう」
「そんなエリオットを特殊性癖みたいに言わないでください。いいんです。たとえ私といることが幸せだとエリオットが思っていても、他の幸せを探させます。やはり、これは私の我儘なんです。私のためにエリオットに死んで欲しくないんです、私」
「シャノン、それは私たちも同じだ。君が死んで得られる幸せなんてない」
真剣なお兄さまに、私はあえて笑ってみせる。
「はい。ですから私も生き残るつもりです。…………お兄さまには甘えさせていただきます」
「そう思うならもっと…………いや、うん。私だってシャノンを死の運命に巻き込むかもしれないと思えば、言えないな」
どうやら、死亡フラグについて告白したことが最大の甘えだとお兄さまはわかってくれたようだ。
できればお兄さまもゲームのとおり外遊で魔法学校に関われないままでいてほしい。
因果律かゲームの強制力が働いてしまうと、お兄さまが本来エリオットがいた位置に収まってしまう可能性もあるのだ。
「お兄さま、お願いですからこれ以上未来を変えることはやめてくださいね? 私が知らない未来になってしまっては」
「わかっているよ、シャノン。おや、ちょっと話し込んでしまったな。次の家庭教師がもう来ているんじゃないか?」
「まぁ、次は歴史です。時間ちょうどに来られる方ですね」
「ここの片づけは私がさせておこう。急ぎなさい、シャノン」
「はい、お兄さま。お菓子美味しかったです。ありがとうございます」
そう言って部屋を出て扉を閉めると、また隣の部屋から物音がした。
お兄さまと話していた時から何度もしていたけれど、いったい誰が掃除しているのか。
「あら? それにしてはいつも音が鳴る場所は同じだったような…………?」
お兄さまの残った部屋から話し声が聞こえる気がして一度首を傾げる。
考える時間も惜しく、私は気のせいにして足早に家庭教師の下へ向かった。
隔日更新
次回:突然の改心