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3-2

 意識を呼び戻したのは額に感じる冷たい感触だった。


 まだ雪山にいるのか? と、ぎょっとしながら、目をあける。


「あ、起きた?」

「……何やってんだ、ありさ」

 目の前にありさの顔。手のひらを一馬の額に当てていた。

「私、手が冷たいからタオルの代わりになるかと思って」


「……」

 確かに冷やっこくて気持ちいい。が、しかし今の状況を人に見られたらと思うと、それ以上に気恥ずかしさがこみ上げてくる。


「あー……今何時? 先生は?」

「昼休み。先生はいないよ。気分はどう?」

「おかげさまでピンシャンさ。……そろそろ手をどけて欲しいんだけど」

「まだ寝てた方がいいよ」

「も、もう大丈夫だって」

「休んでなきゃダメ」

「ぐげえ!」

 上体を起こそうとすると、アイアンクローで頭を押さえつけられた。思わず声をあげる。


「無理しちゃダメって言われてるでしょ。負荷をかけちゃいけないよ」

「そ、その手の方がダメージあるんだが……。それはさておき、よく俺がここにいるってわかったな」

「一馬の教室に行ったとき、眼鏡の人に教えてもらったの」

「十川くんか……」

「これ、その人から。『君が早く元気になってくれないと僕に負担がかかる。せいぜい養生するといい』だってさ」

 ありさは十川の口調を真似てスポーツ飲料とカレーパンを差し出す。


 意外と物真似がうまくて内心驚いた。

「ツンデレってやつだね」

「十川くんは聖人だぞ! そんな俗っぽい言葉を当てはめるな!」


 この一日で十川に対する評価が鰻登り。


「じー」

「なんだ、その物欲しそうな目は。……あっ、カレーパンか? これが欲しいのか?」

「わかった、半分やるから。そのどこまでもまぶしく欲望にまみれた目を向けるな。……あ、片方が大きくなっちゃったな」

「こっちもらうね」

「迷わず大きい方をとったな! 少しは遠慮の心ってものはないのか!」

「じゃあちょっと返すね」

「本当にちょっとだけ! 指先でつまむくらい! ……これ、カレーが詰まってない部分だ! ただの揚げたパンだ!」

「一馬、食べないならそっちももらうよ」

「もう食べ終わったのか!? これ以上はダメだ。このカレーパンには十川くんとの友情が詰まってる。彼の優しさを噛みしめながらいただくんだっ!」


 この一日でありさに対する評価が大きく下落した。

 食いしん坊バブル崩壊だった。



「かえでの部屋を調べてみようと思うんだ」


 体調の戻った一馬はその後の授業に出席し、十川にお礼の缶コーヒーをプレゼントし、「べ、別に礼を言われるようなことをしたつもりはないぞっ!」との反応をもらい、放課後になって迎えに来たありさと共に帰路に着いた。教室を出る時に「通い妻だ」と聞こえた気がするが、一馬は気のせいと思うことにした。


「妹さんの部屋を?」

「ああ。もしかしたら、何かヒントが見つかるかもしれないだろ? 日記の一つでも見つかれば重畳だ」

「妹のプライベートをまるはだか」

「嫌な言い方をするものじゃあない。そこで、その、ありさにも来て欲しいんだけど、いいか?」

「妹の部屋に女を連れ込む兄」

「だから!」


 なんて話をしているうちに一馬の家に到着した。ありさは初めから一馬の案に乗るつもりだったので、そのまま衛藤家に上がる。


 二階建ての一戸建て。二階にある一馬の部屋の反対側。「立ち入り禁止」「ノックせよ」「勝手に入ったら殺す」などのプレートが扉にかかっている。


「……物騒だね。鍵がかかってるんじゃないの?」

「心配ない。これこの通り」

 一馬の手には銀色の小さな鍵があった。

「こんなこともあろうかと合い鍵を作っておいたのさ」


 がちゃり、と鍵が開いた。


「どんなことを考えれば妹の部屋に侵入する用意をしておくのよ……」

聞こえない振りをして中に入る。


 きれいに整頓された部屋だった。ぬいぐるみが飾ってあるアルミラック、ファッション雑誌や参考書などが収められた本棚、クローゼット。壁に向かって学習机があり、ノートパソコンが乗っている。

「へえ、きれいなもんだな。俺の部屋と大違いだ」

「一馬の部屋ってどういうの? 見せてよ」

「そのうちな」


 かえでが帰ってきた時のことを考えると、探索した痕跡は極力残さないように細心の注意を払わなければならない。手分けして探すよりも一緒にひとつずつ丁寧に見ていった方がいいかもしれない。



「まずは机から見ていこう」

 大事なものは身の回りに置くもの、と相場は決まっている。日記をつけているとしたら、引き出しの中に隠されている可能性が高いとふんだ。

 が、出鼻をくじかれる形となった。


「開かないな」


 引き出しには鍵がかかっていた。近辺を探ってみたが鍵は見つからなかった。

 アルミラック、本棚、ともに探してみるも、何も手がかりは見つからなかった。


「うーむ。できればここを調べるのはやめておきたかったんだけど」

 残る怪しいポイントは、クローゼット。家族とはいえ、男の一馬が女物の服を漁るのには抵抗があった。

「というわけでありさ、頼んだ」

「だから私を連れてきたんだ。でも同姓とはいえ、他人が触る方が嫌がるんじゃない? 一馬がやりなよ、お兄ちゃん」

「バカめ。そんなことをしてもしバレたりしたら、俺の体は内蔵を引きずり出されて粗挽き肉団子にされること必至」

「どんだけ恐れてるの……」


 一馬は思い出していた。

 昔、興味本位に無断でかえでの部屋に侵入したことがあった。すぐにバレて、怒り狂った彼女に手痛い折檻を受け、一週間罵倒の嵐が続いた。それ以来、部屋に鍵が取り付けられるようになった。

 秘密を暴くということは、それ相応のリスクを背負うことになる。


 とはいえ調べない訳には行かない。公平かつ後腐れのない白黒つける勝負方法、じゃんけんによってどちらが手を付けるかを決めた。

 一馬、グー。

 ありさ、パー。


「部屋に入った時点で一馬へのお仕置きは決定してるんじゃないかな」

「ここを俺が見るのと見ないのとでは罪の重さが変わってくると思うんだ」

「そんなことないと思うよ」

「さいで」


 一馬は意を決して、閉ざされたクローゼットを開けた。


 人が二人並んで入れるくらいのスペース。春夏秋冬、女物の服がハンガーに吊されている。下部には衣装ケースが段となって積まれていた。


「おおう。あいつ、こんな服持ってたんだ。着てるところなんて見たことねーぞ」

 おしゃれに気を遣う年頃らしく、カジュアルでラフなものから色合いが派手で露出部分が多いものまで、ファッショナブルな品ぞろえだった。


 珍しいものが見つかったが、服を見にここへ入ったわけではない。かえでのことがわかるものはないものか?


「ねーねー、そのケースなんか怪しくない? いっぱい入ってるよ。具体的にはブラ下着類」

「せっかく視界に入れないようにしてたのに! そんなとこ探せるか!」

「これは決してやましいことじゃないよ。妹さんが大切なんでしょ? 絶対見つけ出すんでしょ? だったらどんな小さな可能性でも追及するべきだよ。これは大切なことなんだよ!」

「……はっ! そ、そうか。俺は目先の恥ずかしさばかりに気がいってて大事なことを忘れていた。これはかえでを見つけるのに必要なことなんだ。だからお兄ちゃんは何も悪くないぞー!」


 ありさの言葉で奮起し、下着が畳まれているケースを開ける。下着の一枚一枚、隙間も逃さず暴いていく。


 すべては愛する妹のために!


「……はあ、はあ」

「興奮した?」

「するか! 疲れたんだよ! こんなに数があるなんて思わなかったぜ。まあ、イメージ通りの色ばかりで安心した」

「やっぱり中にはなかったのかな」

「やっぱり? やっぱりって言ったか? わかってて調べさせたのか?」

「ケースの大きさの割には前に出っ張ってるって思ってたんだよ。もしかしたらこの奥にに何かあるんじゃないかって……」


 ありさはケースをクローゼットから引き出す。

「ほらね」

 その後ろに隠されていた真実が明らかになった。

「これは……」


 奥に鎮座していたのは、少女だった。


 ただし本物の人間ではなく、手のひらに乗る大きさまでリサイズされ、ひらひらでカラフルな衣装を身にまとい、かわいいポーズを決めている女の子。

 いわゆるフィギュアだった。


「こっちはDVDボックスやら漫画やらが山のように」

「なんだ、こりゃあ。かえでのやつ、こんな趣味があったなんて」

 一馬は唖然とした。学校では成績優秀の優等生、どこに出しても恥ずかしくない謹厳実直を絵に描いたようなかえでのイメージとはまるで違うものだった。


 今明かされる真実。驚愕せざるを得ない。


 一馬もアニメや漫画は好きで、収められたコレクションの中にはテレビ放送を追いかけていたものやタイトルだけ知っている程度のものまで、メジャーマイナー問わず豊富に取り揃えてあった。


「一馬、鍵があったよ。これ、引き出しの鍵じゃないかな」

 ありさが指さすフィギュアは魔法少女アニメの主人公で、手に持っていたはずの魔法のステッキの代わりに小さな鍵を構えていた。

「よく見つけたな、そんな小さいの。きっとそれだろうな」

 さっそく引き出しの鍵穴に差し込み、回す。ロックが外れる手ごたえがあった。


 どんなものが仕舞われているのか、と覗いてみると、一冊のノートがあるだけだった。どこにでもある、普通のキャンパスノート。だがわざわざ鍵をかけて管理していたということは、かえでにとって極めて重要な意味を持つものだと推測できる。


 ぱらぱらとめくると、前半部分には自筆であろうイラストが描かれていた。どれも女の子が色とりどりでふんわり可愛らしい服を着ている。どの絵でも奇抜なデザインの棒を持っていた。


「これは……魔法少女?」

 一馬も見覚えがある、日曜朝にやっていたアニメのキャラクターだった。そういえばクローゼットのDVDボックス群の中にもこのアニメがあった。

「絵、うまいんだね」

「俺も知らなかった……」


 読み進めると、新たな衝撃を目にした。


「《氷の女帝》衛藤かえで。アクアマリンのブローチに導かれ、魔法少女メイプルへと変身する。瑠璃色の髪、紺碧の瞳。魔法を使う時には固有ステッキ《オーディーン》が青く輝く。目の届く範囲すべてのものを凍結させる、《エンド・オブ・ザ・ワールド》が使える。』」

 青いステッキ《オーディーン》を構え、「《エンド・オブ・ザ・ワールド》!」の掛け声を発する少女のイラストが添えられている。


「ちょっと待て。え、これ本当にかえでが描いたのか?」

 にわかには信じられない事態に思考がフリーズ。


「まるで、その……」

「中二病だね」


 場の空気が《エンド・オブ・ザ・ワールド》。


「見て。設定資料が何ページにも渡って」

「やめてくれ。なんかもう、そっとしておいてやってくれ……」


 背筋を通る冷たい感覚は、一馬にも身に覚えのある痛さだった。ありあまる想像力を書き留め、世界のルールを作り出す悦楽に浸り、後々に思い出して枕を抱えて転げまわりたくなる。血のつながった兄妹だということだった。


 ノートを仕舞おうとすると、間に挟まっていた紙がひらりと落ちた。拾い上げると、それは写真だとわかった。

「これはスキー旅行の写真だ」

 先月に行った、家族旅行での一枚。一面の銀世界、スノーウェアを着た一馬の隣で小さくピースをするツインテールの少女がいる。

 吊り上った目はカメラから外れ、泳いでいる。嫌がっているわけではなく、単に照れていることが写真を通しても伝わってくる。


「この子がかえでさん?」

「ああ、そうだ。ありさも同じ学年なんだから見かけたことがあるんじゃないか?」

「うーん。クラスが違うとまだどんな人がいるかわからいの」

「そうか。ちょっと体が弱くて気の難しい奴だけど、悪い奴じゃあないんだ。身内の俺が言うのもなんだけど、頭はいいし器量もいいと思う。もしも交流があったら仲良くしてやってくれ」


 そう言って一馬はノートと写真を引き出しに戻した。


 口にはしなかったが、ありさは気付いた。

 鍵付きの引き出しに一馬とのツーショット写真を仕舞っておく。これは一馬に好意を持っている何よりの証拠だということに。


 この兄妹は仲がいい。それがわかり、ありさはこっそりと微笑んだ。

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