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3-1

 翌日は静かなものだった。


 たまにやってくる看護師や見舞いに来た母くらいしか一馬を訪れず、退屈極まりないものだったので、ロビーにあるテレビを眺めていた。見やすい位置にはすでに長期入院患者がいたので、遠くのソファに座ってBGM代わりにするにとどめた。

 母に持ってきてもらった一馬の携帯電話を操作する。新着のメールがあった。差出人は衛藤かえで。一馬の妹だった。受信時間は昨夜。ちょうど一馬がげに恐ろしい体験をしている頃だった。


 たった一言、『心配しないでいい』とだけ打ち込まれていた。

 いつも顔を突き合わせていたわけだから、妹とメールのやり取りはあまりしない。緊急の用事がある時にこのように一言二言で済ませるものだから、このメールが果たして本当にかえで本人が打ったものなのかは判断がつかない。


「俺がしっかりしてればな……」


 携帯電話から目を離し、背もたれに頭を預ける。真上に蛍光灯が見えた。


 妹の所在について、真実に近い場所にいたかもしれないというのに、その記憶がまるまる抜け落ちている。不甲斐ない自分が嫌になった。


 その他にこの日は変わったことはなく、平和そのものだった。考えごとに集中するには最適な環境で、ひとりでいる時は黙考に耽っていた。


 休んでしまった授業のリカバリーについて。

 目撃し、体験してしまった異能、“ファントムペイン”。

 ありさたち“発症者”。

 そして妹のこと。


 かえでがあの場にいたというのなら、“ファントムペイン”に何らかの形で関わっていたのではないか。ありさについていけば、手がかりがつかめるかもしれない。次に会ったとき、協力を頼んでみよう。そう考えていた。


 しかしながら、入院中にありさと再会することはなかった。



 さらに翌日、一馬は無事に退院し、今日から学校へ行く。金畑ゴールデンホテルでの事件から数日が経っていても街は以前と変わらない。ほっとしつつも、一馬にとって大きな事件だった金畑ゴールデンホテルでの出来事がまるでなかったかのように、何も影響を与えていないことに不安を感じた。


 妹なんて本当はいなかったのでは?


 家の中にあちこちあるかえでの私物を見て、とりあえずその考えは消えた。

朝のかったるさといったら、久しぶりに味わうはずなのに全く新鮮さを感じず、それどころかまた繰り返さなければならないのか、という倦怠感というか憂鬱さというか、そんなネガティブな感情が渦巻く。


 何はともあれ、一馬は日常に帰ってきた。


支度をして、家を出る。


「おはよ」

 女生徒に挨拶された。


「おう、おはよーさん。まだ時間に余裕があるとはいえ、あんまりボヤボヤしてるとあっと言う間に遅刻するぜ。経験者が言うんだから間違いない」

「遅刻したことあるの?」

「ああ。あれは去年の夏のことだった。『そもさん』って言葉あるだろ? 言葉になるくらいのそもって人は一体どんな人なんだろうって考えてたんだ。一度考えたら気になっちゃって、時間が過ぎてたんだ」

「『そもさん』ってのは人の名前じゃないよ。さあどうだ、答えてみろ、っていう疑問の言葉なんだよ」

「へえ、そうだったのか。時を越えてすっきりしたぜ。ありさは物知りなんだな。……って何だと!?」

「だから、疑問の意味」

「違う! そもさん、なんでありさがうちの前にいる!?」

「せっぱ。一緒に学校に行くから」

「強制!? な、なんで家の場所を知ってるんだよ!」

「世の中知ろうと思って知れないものはないんだよ」

 ありさは陰を含んで笑った。


 美少女の黒い微笑に震えあがったものの、会いたいと思っていた相手が向こうからやってきた。これは好機といえる。


「しっかしまあ、何というか……」


病院で会ったときはよく見る余裕がなかったので、今は違う印象を持つ。一馬が通う、金畑高校指定の制服に着たありさ。黒く肩まで伸びた髪がさらりと流れる。赤色のネクタイは一年生の証。歩くたびにプリーツスカートが揺れ、風にあおられ翻る。細く伸びる足は膝下まで黒のハイソックスが包む。


「本当に高校生だったんだな」

「失礼な。どこから見ても立派な女子高生でしょ」


 大きくはない胸を張るありさの横を、ランドセルを背負った女の子が通り抜ける。悲しいことに、両者に身長の差があまり感じられなかった。一馬は心の中で泣いた。


 残酷な現実から目を逸らすために、一馬は別のことを質問した。

「あの赤いスカーフはつけてないんだな」

「校則違反だよ。当たり前でしょ。あれは戦いがある時にだけつける、大事なものなの」

「ゲン担ぎみたいなものか?」

「そんなとこ」


 燃えるような赤色のスカーフは彼女にとてもよく似合っていた。凛として、力強い眼差し。身の毛のよだつ恐ろしい相手に一歩も引かず立ち向かう。風に流れるように揺れるスカーフ姿をもう一度見てみたいと思った。


「何ジロジロ見てるの?」

 訝しげな目を向けられ、慌てて目をそらす。

「と、ところで、何でいきなり俺と一緒に学校へ行くなんてことになったんだ?」

「嫌なの?」

「そんなことはない。でも気になるだろう。『互助会』とやらの命令か?」

「勘違いしないでよね、一馬のためなんだよ」


 不覚にもその一言で心臓の鼓動が高まったのを感じた。


「この力、“ファントムペイン”の厄介なところは、近くに“発症者”がいると発症しちゃう可能性が高くなるの。“ファントムペイン”は呪いの力、その呪いがウィルスのように感染するのね。まあ、ウィルスっていうよりは毒電波って言った方がそれらしいかな。

 一馬の場合、大きな傷、それも死んじゃうくらい重い怪我を負った。私のような“発症者”が近くにいた。だからあなたも発症しかねないの」

「俺が、発症」


 思いがけない言葉に面食らう。手のひらにじわっと汗がにじみ出た。


「髪が伸びた女の人を見たでしょ? あの人は発症したてだった。“ファントムペイン”を発症すると精神的に不安定になりやすいの。暴走して、誰彼構わず暴れることもある。そんなことにならないよう、私が一馬に張り付くことにしたの」


 あの夜のことを思い出す。髪を振り回し、鬼のような形相で見境なく襲ってくる女性の姿。自分もあんな風になってしまうかもしれないと思うと、背筋がぞっとした。


「ん? “発症者”が近くにいると発症のリスクが高くなるっていうなら、ありさが近くにいたらより発症しやすくなるんじゃないか?」

「うん……それは確かにそう」


 まるでマッチポンプだね、と続けた。


「でもね、もう一つ理由があるの。金畑ゴールデンホテルでの事件には黒幕がいるって話したでしょ? 今のところ行方が知れてないの、一馬の妹さんと同じように。もしかしたら妹さんはこの件に巻き込まれたかもしれない、と考えてる」


 ただ、いくらありさが訴えかけても、『互助会』としてははっきりとした証拠がなければ動かず、家出少女の捜索は警察の管轄だ、と考えている。

 そこで最大限の譲歩として、“発症”警戒者の監視という名目でありさが張り付くことになった、と言う。


「黒幕とやらを追いかけるのとかえでを探すのは同じってことか。実は俺の方でも同じことを考えてたんだ。黒幕を追えばかえでに辿り着く可能性があるっていうなら、俺たちは協力できるんじゃないかって。だからあんたの登場は渡りに船だった。俺はかえでを探し、アンタは黒幕を追う。そのために手を組もう」


 一馬は手を差し出し、

「うん、よろしくね。一馬」

 ありさはその手を握った。


 この時点で二人の遅刻は確定した。



 学校に到着しありさと別れて大急ぎで二年二組の教室へと滑り込む。まだ担任は来てなかったので、咎められることはなかった。


 ほっとしたのも束の間、すぐに担任が入ってきた。本当にギリギリの滑り込みだったようだ。


「お前たち、席に着け。ホームルームを始める。ああ、衛藤、退院したんだったな。心配したぞ」


 二年二組の担任、烏丸は不思議な魅力で人気の先生だった。三十五歳、男性、独身。担当科目は日本史。常に黒いスーツで授業に臨み、室内だろうとちゃんと見えているのかわからない黒いサングラスをかけている。今年の春からこの学校に赴任してきたばかりだというのに、その強烈な見た目から学校中で名前を知られる教師となっていた。厳めしい相貌ながらもわかりやすい授業と、心地よいハスキーボイスという個性的なキャラクターが短期間で生徒の心をつかみ、主に女生徒から人気を博している。一馬もそんな烏丸先生のことが嫌いじゃなかった。


「階段から落ちたと聞いた。油断大敵、気をつけろよ。自分の体を粗末にするものではない」


 嫌いではなかったが、久しぶりに見た烏丸先生の格好はとても教育者には見えず、恐怖を感じるものだった。


(まあ、最初に見た時も同じように怖いと思ったよな……)


 始業式からまだ半月も経っていないというのに懐かしいと思ってしまう一馬だった。


「入院と言えば、最近貧血で倒れる人が多いそうだ。みんなも休養はしっかりとるように。それから、警察の人から話が来た。不審者の目撃があったそうだ。暗くなったらなるべく外に出ないように」


 その後は二、三の事務的な話をしてホームルームは終わり、烏丸は去って行った。


「さて、どうしようか」


 誰かに休んでいた分のノートを写させてもらう必要があったが、クラス替えで親しい友人と離れ離れになってしまい、まだ人間関係の構築ができてない中で選ばなければならなかった。一時間目の授業が始まる前になんとかしなくては、と考えていると、一馬の元にクラスメイトがやってきた。


「衛藤、お客さんだぞ」

 眼鏡をかけた男子生徒。二年生になって初めて出会ったものだから名前を思い出すのに苦労した。


「……ああ、十川くん。客って? 俺に?」

「僕は君の交友関係について全く知らないのでね、詳しく知りたいなら早く行ってあげるといい。一年生の女の子だった、とだけ言っておくよ」


 一年生の女の子。そのワードから導き出される人物はひとり思い浮かばない。何か緊急の案件でもあるのか、と気を引き締めた。


 十川はこれで義理は果たしたと言わんばかりにさっさと自分の席に戻っていった。その背中に感謝の言葉を投げかけ、一馬は廊下に出る。


 壁にもたれかかるようにして、ありさが待っていた。

「何かあったのか?」

「ううん、様子を見に来ただけ」

「えーと…………そ、それだけ?」

「うん」


 思いっきり肩透かしを食らった。


「黒幕とやらを探し出すナイスな方法を思いついたとかは?」

「ない」

「状況が悪化するような事態で一刻を争うような場面でも?」

「ない」

「ありさの身長は百五十センチ以上ある?」

「ない。……って何言わせるのっ」


 脛を蹴られた。


 ありさは頬を膨らませる。小動物のようだと一馬は思った。

「それじゃあ、新しいことがわかったってのもないのか」

「ないよ。あ、クラスメイトの傘無さんが入院したんだって」


 誰だよ。

 知らないよ。傘無さん。


 声に出して言ってやりたかったが、人の往来のあるところで大声はよくない。ありさが来てくれたのは心配してくれたからなんだ。当てが外れたからって怒鳴ってはいけない、と己を制した。


「そうか……。それならこっちは何の問題もないから早いとこ自分の教室に戻るといいぞ」

「うん、そうする」


 頷くと、あっさりと去って行ってしまった。


「なんだったんだ……俺の顔を見に来ただけ? それだけのことでわざわざ来たのか」

 義理堅いというか何というか。気まぐれではないが、ふらっとやってきてふらっと撤収する、まるで猫のようだ。彼女に対する認識を少し改めた。


 一時間目終了時。


「衛藤、またお客だ」

「え、また?」

「さっきと同じ子だ。さっさと行ってあげるといい」

 十川はそれだけ告げると戻っていった。


「様子を見に来たよ」

「……」

 まめな性格だな、と思った。


 二時間目終了時。


「おい衛藤、彼女に伝えてくれ。僕はメッセンジャーではないと」


 すまない、十川くん。後でジュースでも奢ってあげよう、と心の中で詫びる。


「様子見」

「……」

 融通の利かないやつだ、と思った。


 三時間目終了時。


「衛藤! 彼女がいて着替えられないぞ!」

「ありさ、次俺たち体育だから! 男子はこの教室で着替えるから!」

 教室にいる男子諸君は入り口で中を窺うありさの姿にどぎまぎしている。


 一馬の姿を確認すると、満足したように帰って行った。


「衛藤。彼女は君のストーカーなのか? 僕でよければ相談に乗ってやるぞ」

「ありがとう。でもあの子も悪気があるわけじゃないんだ」

「悪気のあるストーカーなぞいるものか。彼奴らは愛と勘違いしての迷惑行為を実行しているのだからな」

 十川の言葉は妙に含蓄のあるものだった。もしかしたら彼は過去にストーカー被害に逢っていたのだろうか、と邪推してしまう。


 四時間目の体育。準備体操を終えてグラウンドを軽く一周する。そうしてから授業が始まる。


 しかし、一馬は途中で抜けざるを得なくなる。

 突然激しい頭痛が襲い、立つこともままならなくなるったのだ。近くにいた十川に支えてもらい、体育の先生に断ってから保健室で休むことにした。


「僕は衛藤係じゃないんだぞ。何度僕が世話を焼かなきゃならんのだ。君、今度は体調が悪いと感じたら倒れる前に言えよ。余計な心配をかけさせるな、バカ者」


 保健の先生に一馬を引き渡すと十川は戻っていった。

 彼の優しさが心に染みる。やはり後できちんとお礼を言おう。一馬はそう心に誓った。


 ベッドで横になる。柔らかい枕が後頭部を包み込み、少し痛みが和らいだ気がした。

 今まで急激に体調が悪くなることなどなかった。これは一度あの世へ足を突っ込んだ後遺症なのか。

 だとすると、今後もこうして倒れることがあるのだろうか。

(それはよくない。かえでを探すことで“発症者”と出会うことがあるかもしれないからな)

 直接戦うのは経験者であり“発症者”であるありさの役目。だからこそ、彼女の足を引っ張るような真似はしたくない。

(俺も何か役立てることがあればいいんだけど)

 戦う力はなく、便利な能力もなくなどない。

 どうすればいいか考えているうちに、眠りへと落ちていった。



 夢を見た。

 あれは今年の冬、かえでの中学卒業と高校入学祝いを兼ねて家族で行った、スキー旅行の記憶だった。

 雪が吹き荒ぶ山でかえでは遭難した。一馬が少し目を離した間にいなくなってしまった。

 一馬は自分の責任だと、両親の制止を振り切って吹雪の中を飛び出した。

 かえでの名を呼び続け、慣れない雪上を歩き、近くにいる人に片っ端から聞き込みをして、人が通った形跡があれば後を追い、転んでもすぐに立ち上がり、疲れても前進し、探して探して探した。

 焦りは不安を生み、最悪のイメージが一馬にのし掛かる。そんなはずはない、と頭を振って気を保つ。

 やがて、野ざらしになったかえでのスキー板を発見した。近くにいるはず、とあらん限りの大声で呼びかけた。絶対にこの声が届くはずだと信じて。


『お兄ちゃん』


 微かに。ほんの微かだが、確かに一馬の耳に届いた。

 発生源をつきとめ、小高く積もった雪を掘る。冷たい雪の中に柔らかい感触があった。スキーウェア。かえでが着ていたものと同じ。


『かえで!』

『お兄ちゃん』


 妹だった。顔は真っ青。体の芯まで凍えている。

だが生きている。心の底から安堵する。


『さ、帰るぞ。父さんと母さんも心配してる』

『うん。ごめん。…………お兄ちゃん、どうしてここにいるってわかったの?』

『俺はお前の兄貴だぜ。どこにいてもわかるさ』


 その時は微塵の曇りもなくそう言い切れた。

 だが今は?

 どこにいるかわからない。どうしていなくなったのかわからない。

 かえではどこでなにをしている?

 本当に見つけだすことはできるのか。

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