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天井から、壁から、床から伸びてくる氷の柱はありさを貫かんとする。見てから避けることは可能だが、床を凍らせているのでローファーで動き回るのは非常に危ない。何度も転びそうになりながらも、絶妙な体捌きで転倒を免れ、それでも直撃しそうな氷は炎で相殺した。
(とはいえ、いつまで避けられか……)
ありさは火球のつぶてを飛ばそうとするも、一馬の妹が相手だと思うと傷つけるわけにもいかず、仕方なしに防御に回るしかなかった。命を狙われようと、ありさが戦うべき相手ではない。
「串刺しがいい? それとも氷漬け? 好きな方を選ばせてあげる」
最小限、避けられそうにないものに炎を当て続ける。体力のリソースが有限である以上、無駄なことには使えない。
加えて、フィールドの相性も良くなかった。絨毯が敷かれた、動き回るには手狭な廊下は今や至る所が凍り付いて氷河期じみた戦場と化していた。体温の低下は体力の消耗を加速させていく。
狭い廊下では不利と判断し、一計を投じることにした。
「せいっ!」
腕を横に振ると、炎の壁を出現させた。《目からビーム》男との戦闘で使った、煙幕ならぬ炎幕。一時的にかえでの視界を遮り、その隙に一旦撤退した。
「くっ……逃げる気!? 卑怯者!」
せまいところでは上下左右、どこからでも奇襲を受けてしまう。吹き抜けになっているエントランスホールならば十分な広さがあり、回避するのに有利に働くと考えた。
「……なんかデジャヴ感。ちょっと前もこうやって逃げ回ったな」
つい最近もここで同じように逃げ回ったこともあったことを思い出して苦笑した。
かえではあまり体が丈夫でないというのは本当のようで、直線上であっと言う間に距離が開き、角を折れると振り切ることができた。目の前には侵入してきたエントランスホール。ここから外に出られるが、逃げたところで何の解決にはならない。
「《エンド・オブ・ザ・ワールド》だっけ。厄介な魔法だね」
後ろを向き、様子を窺おうとする。足下が異常に滑り、バランスを崩して倒れた。上質で手触りのよいはずの絨毯は冷たくて固い。
凍っているかのように。
はっとして顔を上げる。
眼で捉えられる距離までかえでが接近していた。そのスピードは普通に走るだけの速さではありえない。瞬く間に声が聞こえるところまで近づいてきた。
「逃がさないわよ!」
怒髪天を衝く、鬼のような形相で追いかけてくる。その速さの秘訣はすぐに理解できた。
床を凍らせ、その上を滑るように走る。スピードスケートの如き姿勢でぐんぐん速度を増していった。
だが、かえでにスピードスケートの経験も知識もない。テレビで見かけて見よう見まねでやっているだけだ。
「ち、ちょっと! これどうやって止めるの!?」
スケート靴ではない、普通のスニーカーではブレーキが困難なうえ、勢いづいた速さはもはやかえでがコントロールすることは不可能。
「きゃああああ!」
ありさを追い抜いて、突き当りにある売店コーナーに突っ込んだ。
激しい音を立て棚に激突し、陳列してあった商品が雪崩のようにかえでを覆い隠す。
「………………」
呆気にとられ、ありさはその様子を眺めることしかできなかった。
しばし待っても出てくる気配がない。もしや怪我をしたのでは、と心配になり山と積まれた品物に近づいて声を掛けた。
「あの……大丈夫?」
その途端、辺り一面に冷気が轟き、床が凍りつく!
「しまった!」
ありさのローファーごと凍結し、足を上げることができなくなった。
「ふふん。かかったわね」
山が崩れ、勝ち誇った顔のかえでが姿を現す。その頭には潰れた金畑ゴールデンまんじゅう(一個百二十円)が乗っていた。すぐに気づいて手に取り、怒りの表情でかぶりついた。口の端についた餡子を拭って言う。
「これでもうあんたは動けないわね。観念なさい。ゆっくり棺桶に送ってあげるわ」
「そこまでして憎まれる理由がわからないのだけど。私、何かしたかな?」
氷を溶かして脱出することはできる。だがいかんせん、かえでとの距離が近すぎた。逃げることはできてもすぐにまた捕えられてしまう恐れがある。次は身動きが取れないよう、腕まで凍らされたら文字通り打つ手がなくなってしまう。少しでも時間を稼いで策を練ろうと会話を試みる。
「あんた、お兄ちゃんの周りをうろちょろして目障りなのよ。さっさといなくなれば見逃してやったものの、いつまでも離れる気配がなかった。許しがたいわ」
「ずいぶんと一馬のことが好きなんだね」
「軽々しくその名を口にするな!」
平手がありさの頬を打つ。
「どうしてあんたはお兄ちゃんの隣にいるの。そこは私の指定席なんだよ。お兄ちゃんの体の問題を解決したら、また私が舞い戻る場所。それをどこの馬の骨とも知らない女に奪われた怒り、あんたにわかる!?」
ああ、とありさは得心がいった。かえでが向けてくる敵意の正体は、嫉妬。わずかな期間とはいえ一馬と親しげに行動するありさの存在を知って冷静でいられなくなったのだろう。
「あなたが一馬のことを考えて動いていることはわかった。それならば、私たち二人で生命力を折半すれば一馬を助けられるんじゃないのかな」
「確かに。可能かもしれないわね。でもそれはできない。あんたが生きていることに我慢ならないのよ。……ねえあんた。お兄ちゃんのために命を懸けてる風だけど、どうしてそこまでできるの。あんたはお兄ちゃんのなんなの」
「……え?」
「癪だけど、何故だかあんたもお兄ちゃんを特別に思っていることはわかるわ。でもそれは、どういう気持ちから来るものなの? 女としてお兄ちゃんが好きなの? それとも、年上で頼りがいのあるお兄ちゃんを兄だとでも思ってるの?」
考えたことのないことだった。ありさにとっての一馬は協力者であり、死んだ実兄の面影を重ねた存在。それだけで命をかけられるものなのか?
(私にとって一馬はどんな存在なの?)
「答えられないなら、お兄ちゃんのそばにいる資格はない。ここで果てなさい!」
かえでが携帯電話を取り出し操作する。ややあって烏丸がやってきた。
「用事が終わったとのことだが、命を差し出す覚悟はできたか?」
「さっさとやっちゃいなさい。そしてお兄ちゃんを呼び出して、生命力を分けるのよ」
「言う通りにしよう」
烏丸が一歩ずつ歩を進める。
物理的にも精神的にも動けないありさは黙って見ているしかない。
「さらばだ。もし幽霊になったら、あの世があるのかどうか教えてくれ」
ありさの頭に触れようと手が伸びる。
ありさは目を瞑った。
横合いから黒い影が躍りかかる。
両腕を広げ、ありさを庇うようにして、一馬が飛び出してきた。
かえでが目を見開く。
烏丸が息を呑んだ。
その場にいた者にはスローモーションで光景が繰り広げられ、しかし確実に一馬は生命力を蝕まれていく。
ありさが瞼を開ける。
瞳にはゆっくりと倒れていく、一馬の背中が映った。




