5-6
それから三十分ほどで一馬は歩けるようになり、二人は無言のまま家路についた。別れ際も、一言挨拶を交わすだけだった。
疲れの溜まった体を横たえ床についても考えることはいくらでもあった。だが休息を欲していた頭はすぐに眠りへと誘った。
翌朝。
まだ眠りの足りない頭で支度をして家を出ると、ありさがいた。
「烏丸先生が黒幕だったとわかった以上、報告すれば『互助会』も動くだろうね。でも、そうするとかえでさんも捕まっちゃう」
どんな理由で烏丸と行動を共にしているのかはわからないが、かえでが”発症者”で、烏丸に汲みしていることは明らかだ。
「そんなことは……させないさ」
答える一馬に覇気がない。
定刻通りに学校に着き、教室に入ると机に突っ伏す。どうせ烏丸は来ないのだろうから、代わりの先生が来るまで寝ておくことにした。
(烏丸はもうこの町から逃げたのか? 昨日のうちに捕らえておくべきだったか)
今更考えても詮無いことだとわかり切っているが、思わざるを得ない。目の前に真実があったのに、掴めずに歯がゆい思いをする。
チャイムが鳴り、がらりと扉が開く。ずいぶん早いな、と顔を上げた。
「な、何であんたがいるんだ!?」
黒ローブ、ではなくいつもの黒いスーツに身を包んだ烏丸だった。
「何だとはなんだ。俺はこのクラスの担任だぞ」
一馬の驚きをよそに、いつも通りにホームルームを始める。あまりにも普通。何ら変わらない烏丸の姿に、一馬は気分が悪くなった。
簡素な日程と注意事項を口頭で済ませ、ホームルームが終わると、一馬は教壇に近づき、小声で言った。
「何であんた、普通に学校来てるんだよ」
「俺は教師だからな。休むわけにもいかん。話をするなら放課後、進路指導室に来い。昨日の娘も連れてな」
それだけ言うと出て行った。
昨日のことなどなかったかのような烏丸の態度だが、一瞬だけ見えた眼光は昨日見たそれだった。
幸いにも今日は烏丸が担当する授業はなかった。正体を知った今、まともに授業を受けられる気がしない。
昼休み、朝の出来事をありさに話した。もしかしたらかえでも登校しているのでは、と期待したが、それはなかった。
「罠だよ、きっと」
人目のない進路指導室に呼ばれたからには警戒するに越したことはないが、ありさと一緒ならば不安はない。そう告げると、顔を赤くして不承不承ながらもありさは一馬の同行に賛同した。
放課後になり、二人揃って進路指導室に入った。普通の教室の半分ほどの広さで、壁に沿って赤本や大学の資料が並べられている。中央に長テーブルとパイプ椅子が置いてあるので、二人は着席した。この部屋の存在は知っていたが、一馬にとって進路はまだ白紙のもの。こんな形で足を踏み入れようとは思いもよらなかった。
「遅くなってすまない」
ごく普通の調子で入ってきたので、一瞬だけ目の前の男が何の変哲もない教師のように感じた。だが烏丸が一歩近づく度に一馬の心臓は嫌な感覚に包まれる。ありさは敵意をむき出しに睨んでいた。
「そう睨むな。こんなところで戦う気はない。話し合いがしたいだけだ」
「話し合いだって? 人の妹を誘拐しておいて何を寝ぼけたことを言ってやがる」
「ここの使用許可はとってあるから時間は存分にある。まずはお前の妹について、誤解を解いておこう。俺は彼女に無理強いをしているわけではない。契約を交わしているだけだ」
「契約だって?」
「彼女には俺の活動を手伝ってもらい、俺は彼女の願いを叶えててやる。至って健全な関係だ」
「かえでの願い?」
「それは衛藤。お前の命を助けることだ」
「俺の命……?」
知らず、心臓に手を重ねた。
「自分で殺したって言うのに、どういう風の吹き回し?」
ありさが言う。
「確かに、一度殺した。殺意をもって目撃者の排除を実行した。命が消えたことをしっかりと確認した。だがどういうわけか、再び生命の光が輝きだした。宮前、といったな。お前が何かしたのだろう」
「さて、ね」
「しかし、だ。一度消えた命が再び戻るなど本来あってはならないことだ。命が消えたら死ぬ。それが人間の、生物のルールだ。ルールを強引に捻じ曲げておいて、その体に何の影響もないわけがなかろう。それだけのことをしたのだから。
俺は生物の命を府光の輝きで視ることができる。若く、健康的な者ほどまばゆく輝き、死にかけの人間は暗い。衛藤、お前は自分がどのように輝いていると思う?」
「そりゃ、俺は生きてるんだから明るく光ってるんだろ」
「光っていない」
「え?」
「お前に生命の輝きは見られない。石ころやその辺の無機物と一緒だ。生物としてありえない。それなのにお前は生きて、動いている。まるでゾンビだな。命の輝きのないお前は、いつ死んでもおかしくない、非常に不安定な台の上に立っていると言える。正直、お前を見ていると気分が悪くなってくる」
生命の輝きがない。生物としてありえない。なのに生きている。
奇妙な能力を持つ『敵』に面と向かって「お前は人間ではない」と言われたショックは一馬の自己を揺るがした。
我思う、されど我は人でなし。
「そんな! 確かに私は一馬に命の炎を移したんだよ」
「なるほど。人によって生命のとらえ方は異なるという。俺は光の明滅、お前は炎と定義したか。今はどうだ、衛藤に生命の炎は燃え盛って視えるか」
「……わからない。あの時は必死だっただけ。自分の命を炎でイメージして、その炎を一馬に移しただけで精いっぱいだった。今はもう、生命の炎をイメージできない……」
悔しそうに顔を歪め、語尾が小さくなる。一馬を助けたつもりが、人間ではない何か別の者にしてしまったかもしれないという後ろめたさを感じてしまっていた。
「ふむ。いざとなったら使えるかと思っていたが、成功率は低そうだ。よほどこの男を死なせたくなかったとみえる。だが、絶望するにはまだ早い」
「……どういうことだ」
「俺の“ファントムペイン”は、生命のやりとりができるものだ。もともとは他人から生命力を奪うだけのものだったが、長年の修練で奪った生命力を他人に分配することもできるようになった。つまり、お前に生命力を分け与えて安定させることができる。それがお前の妹の望むことだ」
「かえでさんが手伝っていることは、人を襲って生命力を集める手伝いってことね」
「その通り。なるべく人に見られないように事を済ませるには、助手がいた方がはかどるのでな。だから、俺のことを捕まえるならば衛藤が死ぬことになるぞ」
「………………」
ありさは何も言い返せなかった。
烏丸を止めると一馬の命が危うい。烏丸を止めなければ、無関係な人に被害が及ぶ。
あちらを立てればこちらが立たず。ありさにはどちらかを選ぶことはできなかった。
「あなたは……何がしたいの? 金畑ゴールデンホテルでのことは何が目的だったの」
「俺の目的か。それは実に単純なことだ。そうする必要があったからに過ぎない。ただそれだけだ。……興が乗った。少し俺のことを話してやろう。
俺はこう見えて一世紀近く生きている」
突然の言葉は冗談を言っているとしか思えなかった。どう見ても三十代の男性にしか見えない烏丸は、その発言とは全くイメージが合わない。しかし冗談を言うような人物ではなく、戸惑いが生じた。
「信じられないというならそれで結構。証拠など持ち合わせていないのでな。俺はただ事実のみを口にしているだけだ。
若いころ、すなわち半世紀以上前から現在に至るまで、俺はあるものがたまらなく恐ろしく感じている。何かわかるか?」
首を振る二人。
「この世に生まれたならば、いつかは必ず訪れる生きとし生けるもの全ての命題。死ぬことが怖い。死が何よりも恐ろしいのだ。二度と目覚めることのない眠りとはどんなものだ? 考えることもできず、感じることもできず、闇に揺蕩うだけの状態とはどんなものだ? 身内が死に、知り合いが死に、あの世へ逝ったという。天国とはなんだ、地獄とはなんだ。今いる俺の意識はどうなってしまう。あらゆる文献を読んでもわからない。考えれば考えるほど、答えの出ない問いに恐怖する毎日だった」
烏丸はサングラスを外した。その目は、いつやってくるものかわからない死の影におびえる色を含んでいた。
「死におびえる日々の中に光が差したのは、俺が三十を越えた頃だった。ある結論に至った。人間が生きるためには生命力というエネルギーが必要だが、どれだけ健康に気を遣って長生きしようとも、人ひとり分から作られる生命力はせいぜい百年と少し生きられる程度しかない。それ以上生きるためには、他人から生命力を分けてもらえばよい、と。死から逃れたい一心の俺は、それを実現できる“ファントムペイン”を“発症”していた。
初めの内は調整がうまくいかず生命力を吸い取りすぎてしまうこともあったが、そいつらも不死の一部になれたのだから文句はないだろう」
「他人を食い物にしてきたのか。今まで……どれだけの人間を代償にしてきたんだ」
「失敗したのが十九人。少しだけわけてもらっただけの人間は……数えきれないな」
平坦で抑揚のない声は犠牲者に対して何も思っていない証だった。
目の前の男は人間ではない。化け物だ。
「それだけの人から命を奪っているなら、あなたには十分な量の生命力が蓄えられているでしょうね。普通の人よりも、ざっと十九倍以上生きられる分は吸い上げたのだから」
拳を震わせ、ありさが言った。
「問題はそこだ」
と烏丸。
「不死になれる可能性を秘めた俺だったが、とんでもない欠陥を抱えてしまった。命を操る能力を“発症”したからか、生命力を光のとして視ることができるようになった。他人から命を頂戴すれば、当然俺の生命の輝きも増すものだろうと思っていた。だが、日に日に輝きは失われていく。どれだけ補給しても、しばらくするとだんだん消えていくのだ。穴の開いたコップのように、備蓄が流れていってしまう。それから俺は、生きるためには常に『食事』をしなくてはならなくなった」
まるでネズミのようだろう、と自嘲気味に笑った。
「この力の副作用なのか、俺は老いることなくこの姿を保っている。何十年も見た目が変わらなければ周囲の人間に怪しまれる。気味悪がられ、迫害される。定期的に居場所を転々とする必要があった」
「そしてこの町にやってきて、金畑ゴールデンホテルでの事件を引き起こした。『食事』のために」
ありさがそう続けた。
「間違ってはいないが、補足が必要だ。食事のためにひとつどころに留まっていたら警戒の目が厳しくなる。俺のような“発症者”を狩る者に見つかれば一巻の終わりだ。
そこで、大きな事件を引き起こして人目を引きつけておいて、その間に別の場所で『食事』を行っていたのだ。もちろん、今はもう完璧に調節できるから失敗はしない」
あの事件については黒幕の目的がわからなかったが、金畑ゴールデンホテルは目くらましに過ぎなかった。真の目的は、人知れずに見知らぬ他人から生命力を分捕ることにあった。
「そういうこと、話しちゃっていいのかな。私が『互助会』に報告すれば、あなたは終わりだよ」
「ふん。“発症者”の“発症者”による“発症者”のための『互助会』か。奴らは危険な“発症者”を対象に討伐隊を編成することがあると聞く。確かに、そんな連中が来れば俺を害悪と認定するだろうな。そして何もできずに討たれることは間違いない。しかし、こちらには人質と言い換えられる助手の存在があることを忘れるな。いつでもひとり分の生命力のタンクを用意している、と言うこともできる」
その言葉の意味はすぐにわかる。
「やめろ、かえでに手を出すな!」
「本来こんなことはしたくないのだがな、なにしろこちらには切れる札が圧倒的に少ない。少しでも優位に立てるなら何でも使わなければならない。許せ、衛藤」
悪びれる風でもなく、いけしゃあしゃあと言ってのける烏丸に食って掛かろうとするも、一馬のその行動を予想していたありさが素早く取り押さえる。ここで彼の生命力を吸い取ることも、烏丸は可能なのだ。
「それで、どんな札を使うというの。私たちの口を封じようとでもいうの」
烏丸の目が細められる。緊張が走った。
「……ふっ。そんなことはしないさ。ただ、取引がしたいというだけだ」
「取引ですって?」
慎重に烏丸の出方を窺う。
「正体を知られた以上、俺は明日にでもこの町を離れようと思う。だから、俺を見逃せ。それがこちらからの要求だ。代わりに衛藤の妹を解放しよう」
「そんな、こと」
飲めるわけがない、とは言えなかった。断ろうものなら、かえでの身の安全は保障できない。
「それからもうひとつ。まあ、これは衛藤の妹の解放にも関わってくることなのだが、衛藤の体に生命力を注入するためにひとり分の命を用意することだ。なにぶん急なことでな、今まで衛藤に手伝ってもらって集めていた分の生命力は全て自身が生きるために使っていて、余計なことに回す分がないのだ。明日去るためには、てっとり早くひとりを犠牲にする必要がある」
烏丸とかえでの契約は、一馬の不安定な生命を解決に導くこと。それが達成されない限り、かえでは戻ってくることはない。しかし、ひとり分の生命力を用意するということは、誰かを生贄として差し出せということに他ならない。
「そんなことできるわけがないだろ!」
一馬がたまらず怒鳴った。
「ならばお前が死ぬだけだ。その場合、お前の妹は激昂して俺を殺そうとすると予想できる。身の安全を確保するために、そいつも兄の後を追わせてやらなければならなくなる」
「くっ…………」
かえでが無事に戻ってくるためには、ひとりの人間を犠牲にして、かつ烏丸を見逃さなければならない。
どんな道を選択しようと、誰かしらの犠牲が必要となる。一馬もありさも、答えを出すことができなかった。
「一晩だけ時間をやる。その間によく考えておくことだ。それが、俺が教師としてお前たちに課す最後の宿題だ。明日、俺は学校へは来ない。待ち合わせ場所の詳細は、後で衛藤かえでを通じて連絡させよう。では、そろそろ俺は職員室に戻る」
隙だらけの背中を見せるも、二人は何もすることができなかった。ここで烏丸を捕えたところで、一馬の体の問題を解決できない。全国を探せば他にも生命に関する“発症者”がいるかもしれないが、見つかるまで一馬が生きていられる可能性は皆目見当がつかない。烏丸の話が本当なら、今日か明日か、はたまた一年か十年後にも生きていられる保証は誰にもできない。もっともはやく処置を施せるのは烏丸ただひとり。だからこそ、ここで捕まえるわけにはいかなかった。
烏丸が足を止め、振り返らずに言った。
「そうだ、生贄の候補として、衛藤かえでから推薦がある。宮前ありさ。お前が衛藤の代わりに死ぬべきだ、と」
そう告げると、今度こそ部屋を出て行った。
「……」
「……」
互いに言葉が出ない。進路指導室で、こんなにも残酷な進路を考えるとは、なんたる皮肉か。
外から聞こえる生徒の声だけが室内に響く。
しばらく二人は無言でいて、どちらからともなく動きだし、教室を後にした。
帰り道はいつもより夕闇に包まれていた。




